朝。
私は、重たい身体を引きずるようにして布団から起き上がった。
昨夜見た少女の幻影。
助けを求める声。
あれが夢か現実かも、もうよくわからなかった。
◇ ◇ ◇
縁側に出ると、すでに澪が外で待っていた。
彼女はいつも通り、穏やかに微笑んでいた。
だが、その笑顔の奥に、私はどうしても拭いきれない影を見る。
「今日は……どこへ行くの?」
私は、努めて平静を装って聞いた。
澪は、少しだけ首をかしげた。
「今日は、案内しないよ」
「え?」
「君は、もう十分に知ったから」
澪の言葉は、穏やかだった。
けれど、その奥には、確かに「別れ」を感じた。
◇ ◇ ◇
広場の祠の前。
私たちは、向かい合って立った。
「凛」
澪が言った。
「ここから先は、君が選ぶんだ」
彼女の声は、静かだった。
けれど、その言葉には、明確な線引きがあった。
「君が異界を壊したいなら、止めはしない。
でも――
私は、君とは違う道を選ぶ」
私は、黙って澪を見つめた。
「異界送りは悪いことじゃない。犠牲は、必要なことだった。悲しいけど、世界を保つためには、仕方なかった」
澪の瞳は真っ直ぐだった。
揺らぎがなかった。
彼女は、本当にそう信じていた。
私は、胸の奥に湧き上がる痛みを感じながら、口を開いた。
「私は、そんな世界、いらない」
私は、犠牲の上に成り立つ平穏なんて、信じたくなかった。
「私は、異界を壊す。もう誰も、こんな目に遭わせたくない」
澪は、ふっと微笑んだ。
寂しそうな、でもどこか誇らしげな微笑みだった。
「そっか」
それだけ言って、彼女はくるりと背を向けた。
「じゃあ――」
小さく、でもはっきりと、彼女は言った。
「また、異界で会おうね」
その背中は、静かに夕暮れの中へ消えていった。
◇ ◇ ◇
私は、一人、祠の前に残った。
風が草を揺らす音。
遠くで、鳥の影が飛び立つ気配。
異界は、すぐそこにある。
私は、ポケットから仮面の破片を取り出した。
血に染まった破片。
これが、扉を開く鍵。
私は、覚悟を決めた。
これから先、何が待っているかはわからない。
でも、進むしかなかった。
さようなら、異界。
そして、さようなら、かつての澪。
私は、破片を強く握り締め、祠の奥へと、歩き出した。