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第17話 血の契約

 夜。


 私はまた、縁側に座っていた。


 仮面の破片を掌にのせ、かすかに震えるそれを、月明かりに透かして見つめる。


(……あの少女は誰だったんだろう)


 あの手の感触。

 胸に流れ込んだ助けを求める感情。


 それは、確かに現実だった。


 ◇ ◇ ◇


「眠れない?」


 背後から、声がした。


 振り向くと、やはり澪が立っていた。


 彼女はいつものように、静かに、柔らかく微笑んでいる。


 私は小さく頷いた。


 澪は、私の隣に座った。


 月明かりに照らされた彼女の横顔は、どこか幼く、儚げに見えた。


「ねえ、凛」


「……何?」


「君、自分の血のこと、知ってる?」


 唐突な問いだった。


 私は、仮面の破片を握りしめたまま、澪を見た。


「……少しは。私にも緒川家の血が流れてるって、聞いた」


「うん。そうだよ。君も、私と同じ」


 澪は、微笑んだまま、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「異界送りはね、誰かを呪うための儀式じゃないんだ」


 私は、思わず息を呑んだ。


「じゃあ……何なの?」


「“守るため”だよ」


 澪の声は、どこまでも静かだった。


「異界は、世界を守る“檻”なんだ。憎しみも、悲しみも、怒りも、全部、異界に閉じ込める。だから、現実世界は壊れずに済んでるの」


 彼女はそう言いながら、淡々と続けた。


「たまに、溢れた分だけ、“贄(にえ)”を捧げる」


 私は、言葉を失った。


 贄――犠牲を、異界に捧げる。


 それを、正しいことだと信じている。


「緒川家はね、その役目をずっと果たしてきたんだよ」


 淡々と。

 まるで、日常の一部を説明するように。


「凛も、いずれはきっとわかるよ。これは、悲しいことじゃない。必要なことなの」


 澪の瞳は、月明かりに照らされて、どこか無機質に光っていた。


 私は、何も言えなかった。


 ◇ ◇ ◇


 夜は更けていった。


 布団に潜り込んでも、

 私は眠ることができなかった。


 澪の言葉が、頭の中で何度も繰り返される。


 異界は、世界を守る檻。

 緒川家は、その鍵。


 ならば、私は――

 何のためにここに呼ばれた?


 何を、しなければならない?


 ◇ ◇ ◇


 うとうととしかけたとき、ふと、耳元で囁き声が聞こえた。


『たすけて』


 私は目を開けた。


 部屋の隅。


 月明かりの届かない闇の中に、小さな、白いワンピースの少女が、ぼんやりと立っていた。


 彼女は、また、助けを求めていた。


 私は、胸の奥で、何かが音を立てて崩れた気がした。

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