夜。
私はまた、縁側に座っていた。
仮面の破片を掌にのせ、かすかに震えるそれを、月明かりに透かして見つめる。
(……あの少女は誰だったんだろう)
あの手の感触。
胸に流れ込んだ助けを求める感情。
それは、確かに現実だった。
◇ ◇ ◇
「眠れない?」
背後から、声がした。
振り向くと、やはり澪が立っていた。
彼女はいつものように、静かに、柔らかく微笑んでいる。
私は小さく頷いた。
澪は、私の隣に座った。
月明かりに照らされた彼女の横顔は、どこか幼く、儚げに見えた。
「ねえ、凛」
「……何?」
「君、自分の血のこと、知ってる?」
唐突な問いだった。
私は、仮面の破片を握りしめたまま、澪を見た。
「……少しは。私にも緒川家の血が流れてるって、聞いた」
「うん。そうだよ。君も、私と同じ」
澪は、微笑んだまま、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「異界送りはね、誰かを呪うための儀式じゃないんだ」
私は、思わず息を呑んだ。
「じゃあ……何なの?」
「“守るため”だよ」
澪の声は、どこまでも静かだった。
「異界は、世界を守る“檻”なんだ。憎しみも、悲しみも、怒りも、全部、異界に閉じ込める。だから、現実世界は壊れずに済んでるの」
彼女はそう言いながら、淡々と続けた。
「たまに、溢れた分だけ、“贄(にえ)”を捧げる」
私は、言葉を失った。
贄――犠牲を、異界に捧げる。
それを、正しいことだと信じている。
「緒川家はね、その役目をずっと果たしてきたんだよ」
淡々と。
まるで、日常の一部を説明するように。
「凛も、いずれはきっとわかるよ。これは、悲しいことじゃない。必要なことなの」
澪の瞳は、月明かりに照らされて、どこか無機質に光っていた。
私は、何も言えなかった。
◇ ◇ ◇
夜は更けていった。
布団に潜り込んでも、
私は眠ることができなかった。
澪の言葉が、頭の中で何度も繰り返される。
異界は、世界を守る檻。
緒川家は、その鍵。
ならば、私は――
何のためにここに呼ばれた?
何を、しなければならない?
◇ ◇ ◇
うとうととしかけたとき、ふと、耳元で囁き声が聞こえた。
『たすけて』
私は目を開けた。
部屋の隅。
月明かりの届かない闇の中に、小さな、白いワンピースの少女が、ぼんやりと立っていた。
彼女は、また、助けを求めていた。
私は、胸の奥で、何かが音を立てて崩れた気がした。