小さな祠が、大学の裏山にある。
誰が置いたのか分からない、誰も近づかない。けれど、誰も壊さない。そういう種類のものだ。
俺は文学部の三回生。最近のゼミでは、「祠壊し文学」ってジャンルが流行っている。文字通り、作品の中で祠を壊す。すると何かが起きる——祟り、ループ、時間逆行、世界の崩壊。そのパターンに則って、いろんな学生が小説を書いてくる。
「でもさ、どれも似たり寄ったりじゃね?」
そう言い出したのは、工学部の伊坂だった。やたら変人じみてるけど、頭の回転は早い。
「どうせなら、本当に壊してみようぜ」
「は?」
「いや、マジで。文学ってのは現実にインパクト与えてナンボでしょ? 壊して、それで何も起きなかったら、それがリアルだし、作品にもなる」
ゼミの打ち上げ帰り、酒が入った伊坂はそう言って笑った。その場にいた数人は笑って流したけど、俺だけは気になって、家に帰ってもずっと考えていた。
そして三日後——
本当に壊されていた。祠が。
誰がやったかは分からない。でも、おそらく伊坂だろう。壊された破片が辺りに散らばり、山の空気が異様に澄んでいた。
その翌日、ゼミにいつものメンバーが集まっていた。けれど、一人だけいなかった。
「なあ、未来人のやつ、どこ行った?」
「未来人?」
俺がそう聞き返すと、皆が変な顔をした。
「誰だっけ、それ?」
「え、あの……メガネかけてて、いつも変な敬語で喋る……ほら、科学技術が好きな……」
だめだ。顔も名前も思い出せない。まるで——最初から、いなかったみたいに。
その晩、家に帰って、久しぶりに昔の写真を見返す。けれど、どの集合写真にも、あの人物はいない。俺の記憶にだけ残る“誰か”が、どこにもいない。なのに、なぜか心にぽっかり穴があいたようで。まるで、大事なものを捨ててしまったかのような。
後日談として、伊坂が書いた作品が、コンテストで佳作に選ばれた。タイトルは「祠を壊しただけだった」。受賞の挨拶で彼は言った。
「フィクションを現実が超える瞬間が、文学には必要だと思います」
俺は、それを読んで、なんとも言えない気持ちになった。俺たちの“未来”は、誰かの創作で壊されたかもしれないのに。