痛みの中で声を必死に出そうとするが、喉からはうめき声しか出ず身体も思うように動かせない。目の前で倒れている好きな人は動く様子がない。胸は上下に動いていたので生きていることは確認できる。
別にそこは気にしていない。気になっているのは、これからのことだ。山の森の中、動けない二人の人間。ココはクマが出ると事前に調べて追手が来ないようにわざとそのクマの出やすいエリアに来ているのだ。
つまるところ、これからクマが現れたら私たちは確実にクマの餌になってしまう。もっと率直に言えば、このままだと死ぬ。ということだ。
自分の欲望のためにこのエリアを選んでしまったことを後悔し、嘆く。声は出ないが、涙は出てくる。人語にない発音で嗚咽していると近くの林がガサガサと揺れ動いた。計画もせずに足音を立ててそれはこちらへ向かってくる。首を動かして何が来たのかを確認すると四つん這いで息を荒立てている黒い毛玉の中で黒い眼がきらりと光った。
クマだ。
案じていたことが、心配していた可能性が目の前に現れてしまった。風に乗った獣の臭いがこちらへ近づいてくる。クマはこちらへ近寄ってきて鼻を動かして匂いを嗅ぐ。そして、私たちが生きていてなおかつ動けないことを確認した後に再び私のほうへ近づき、クマは服で隠れていない私の足へ噛みつく。うまく声が出ないため私はうめき声で叫ぶ。クマはそんなことを気にせず私の足を咀嚼する。
あぁ、このまま私は死んでしまうのか…いや、私だけじゃない。朧くんも一緒に食べられてしまう。このまま一緒に死ねるのならいいのかもしれない。そのまま天国で幸せに暮らそう。天国に行けないのなら地獄でもいい。朧くんがいればどこでもいい。どのみち、このまま帰っても私には居場所がない。
クマの咀嚼が骨まで達した時、私の前のほうで倒れている朧くんが立ち上がった。
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強烈な匂いで目が覚める。斜め後ろで何かが咀嚼をしている音も耳に入る。動かない体を無理やりに起こしオレは朝比奈さんのほうへ振り返る。その横で朝比奈さんの足を食べているクマが目に入り、クマと目があった。目があったクマは威嚇をしながらも朝比奈さんの足から離れようとしない。
「お前、誰を食べているのかわかっているのか?」
思わずそんなことを言ってしまう。だが、クマはそれでもひるまずにとうとう足から口を離して血だらけの口元を開けて威嚇する。こいつ、やはり今自分がどういう状態なのかわかっていないな。朝比奈さんの様子を確認すると息はしている。意識もあるようだ。
かわいそうに…オレが倒れてしまったせいでこんなことに……オレは戦闘に使える分のエナジーが体にないことを確認してどうするか悩む。クマはそんなオレに構わず突進してくる。
「獣風情が……」
とは偉そうにいうものの戦える手段がない。いや、今はとにかく朝比奈さんから遠ざけなければ…林の中へ入り、力を振り絞りながら走る。クマはもちろんそんなオレに容赦なく追いついて足をかけて牙を立ててくる。押し倒された俺はクマの力に押し負けて方に噛みつかれる…
「まだ、準備が整ってないんだ……よ!」
左肩の肉を犠牲にオレは無理やりにクマを引きはがす。一気に左肩が重くなり走りにくくなる。オレは肩をかばいながら戦闘の準備を整える。体に残っているエナジーをかき集める。かき集めながら走る。その間クマに追いつかれるが、オレは必死に猛攻を躱しながら走る。
約30分走り、時折貧血で倒れそうになりながら地面に手ごろな棒がないか探す。
武器がないのなら作ればいい。一撃で殺しさえしなければ、いい。驚く程度でいい。手ごろな棒は、ないか?
探し回っていると少し心もとないが長さは足りている棒を見つけた。オレはそこへ方向転換しすぐにその棒を手に取りエナジーを棒へためる。クマは突進して再度オレの左肩をえぐるように食らいつく。
「……待たせたな。準備が整ったぞ。」
倒れたままオレはそのまま棒に充填されたエナジーをクマの首元へゆっくりと充てる。振動した棒はクマの頭の中を振動させる。クマはその異様な感覚に口を離してオレから距離を取る。
「まだ、終わりじゃない。お前には少し…いや、だいぶきつめのお灸を据える。」
棒に溜まったエナジーのオレが倒れない程度に爆発させる。
「
ほぼ刀剣術に頼った一刀はクマの目の前で爆発する。その音とオレが放った殺気によりクマは情けない声を上げて後ずさりをして逃げて行った。
「ふぅ……危機は脱した…かな。」
左肩の出血が止まらない。でもここで倒れると次こそ命はない。オレは全身に力を入れて朝比奈さんのいる方向へ向かう。先生たちには何か適当に言い訳しよう…そうだ、たまたま見かけた朝比奈さんがいたから助けようとして遭難したということにしよう。朝比奈さんにはそれで帰ってもらおう。それでいいか……
歩いて朝比奈さんのいるところへ戻った。朝比奈さんはまだそのまま動けていなかった。
「朝比奈さん!旅館へ戻ろう。」
身体を起こしておぶろうとしたが朝比奈さんはもぬけの殻になったように動かない。
「朝比奈さん?」
「なんで、私を助けてくれたの?」
突然、質問をされてオレは止まってしまう。
なぜ、助けたのか。か……
「好きな人だったから。だと思う。」
「今は好きじゃないのに?」
「それは助けない理由にはならない。オレはそこまで冷たくない。」
「そうなんだね……」
オレは朝比奈さんを背負ったまま森の中を歩く。日が傾いてきたころ、旅館付近の森に来ると緑がガサガサと揺れ動いた。またクマかと身構えると修行をしているはずの誠たちだった。
「夜月!どこ行ってたんだよ!?」
「あら、背中に誰かを背負っているわね。」
「……遭難した人……ですか?」
その後ろから先生たちも来た。
「お前たち何をして……って、夜月か!?」
先生たちも近寄ってくる。オレと朝比奈を取り囲み旅館へ運ばれた。そのあとは今日あったことを話す。もちろん、オレが朝比奈さんに誘拐されたことは内緒にした。朝比奈さんは口を出そうともしようとするが、声が出ないためオレに視線で訴えてくる。
「朝比奈さん。これ以上事を大きくしない方がいい。この件はまた後で話そう。」
朝比奈さんは納得してないような顔でうなずいた。
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後日、明美は親が迎えに来て帰宅していった。朧はもちろん親にも誘拐の件は秘密にして明美を帰宅させた。修行三日目の朝、朧は目が覚めるがいつものルーチンをしようとすると肩の痛みでそんなことはできなかった。そのため皆と一緒に朝を迎えた。
「おはよう。」
「おう、ルーチンはできなかったみたいだな。」
「この怪我ではギアも満足に扱えない。」
その状態を見ていた諸星は九頭竜へ耳打ちする。
「ねぇ、九頭竜くん。今なら夜月くんに勝てるんじゃない?」
九頭竜は目を見開き「確かに…!」と言って朧へ向き直る。
「なぁ、夜月!今日の仕上げできそうか?」
「もちろんだとも。でも、油断しない方がいいぞ?」
九頭竜は朧の目がどこか修行前よりも違ったように見えた。そして、朝の集まりのために朧たちは集合し三日目の仕上げの説明を受ける。三日目の仕上げの内容は簡単で、二日間旅館で学んだことをぶつけるというものだ。茂木は朧の体調を確認するが朧は問題なく試合ができると爽やかに言い放った。
「仕上げに参加するのはいいが、夜月、一日目の修行の成果を見せてもらおう。」
「はい…昨日、クマと遭遇した時にマスターしましたから。」
朧はいとも簡単に一日目の修行のエナジーコントロールをやってみせた。それを見た茂木や緑化は無言でうなずいた。
「クマと遭遇しただけでここまで成長したのは少し信じがたいがいいだろう。」
「文句のつけようもないな。いいだろう。しかし、君は怪我をしているから気を付けてやるように。」
「はい。」
朧は元気よく返事をして戻っていった。そして、仕上げの試合が始まった。次々に試合をして修行の成果を見せるクラスメイト達に朧は驚きを隠せずにいた。
「たった二日でここまで成長できるとは…誠も諸星も、武田も成長している。」
「へへ、そーだろ。次俺たちだぜ。」
「あぁ。行こうか。」
朧と九頭竜はクラスメイトが見守る中対面する。ギアを起動して互いに構えた。
「
殺気が放たれると茂木クラス以外のクラスも空気が引き締まる。九頭竜はきちんとコントロールできるようになったエナジーを放出して朧の殺気を緩和させる。
「行くぜ……!」
「あぁ、来い……!」
朧は九頭竜の成長ぶりにも驚きながら二人はぶつかり合った。だが、勝負は一瞬で着く。もちろん朧が圧勝だった。朧は汗ばんだ額を拭い、確実に成長した九頭竜へ手を伸ばす。
「驚いたよ……出会ったときより確実に強くなっている。」
「よく言うぜ…その成長した俺よりも強くなってるくせに……あの一日で何だあったんだよ……たく」
朧は明美との戦闘を思い出し、クマとの戦闘も思い出す。だが、そんなことも言えず微笑むことしかできなかった。
「まぁ、クマと遭遇すればな。」
「本当にそれだけか?」
九頭竜の鋭い視線に朧はごまかしながら移動した。そうこうしていると三日目の修行も終わった。
弐拾之巻:夏の決別
一部 入学編~夏休みの修行編 完