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第18話 少年と母親

 料理が来るまで、かのんは辺りを見回して他の客を観察することにした。

 ここが時間も空間も捻じ曲げた場所なら、彼ら彼女らはいつの人なんだろうか。

 そう思うと興味がわいてくる。


「ねえ、ルカさんは他のお客さんと会話ってしたことあるの?」


「え? うーん……考えてみればないかもしれない」


「じゃあどうやってその小説書いているんですか?」


 かのんが半眼で尋ねると、ルカは笑って言った。


「あはは、言われてみれば不思議だね。でもここは不思議なところだからね。不思議は普通なんだよ」


「なんですかその理屈」


 言いながらかのんは頬杖をつきルカを見つめた。

 彼は笑っている。いつもと同じ何を考えているのかわからない笑顔で。

 いいや、もしかしたら何かを隠すためにいつも笑顔なのかもしれない。


「ルカさんていつも笑顔ですよね」


「そうだよ。笑顔は幸せを呼ぶでしょ?」


 そうだろうか、かのんにはわからない考えだった。


「ルカさんって大事な人とかいるんですか?」


「京介だよ」


「じゃなくって恋人とか。奥さんとか」


「僕は恋人いないし未婚だよ」


 ルカの表情からして嘘ではないのだろうけれど、ではなぜ彼はここにいるんだろうか。

 小説を書くため?

 小説でここに訪れた人々を記録し続けて。そのためにルカはここにいる?

 五年もの間ずっと。


「ルカさんは誰かを待っているわけじゃないってこと、ですよね?」


「それは正しいようで正しくないかなぁ」


 そう言ってルカは満面の笑みを浮かべて顎に手を当てた。


「なんでそこ、誤魔化すんですか?」


「誤魔化していないよ。ただ僕は小説を書くためにここにいる。ここに訪れる人を待っている、というのは間違えじゃないからね。客がいるから僕は物語を綴れるんだから」


「でもなんで見てもいない、経験してもいないことが書けるんですか?」


「頭の中に浮かぶからだよ。もしかしたら、カフェがお客さんたちの想い出を僕の頭に送っているのかもね」


「そんなことあるわけ……」


 ない、という言葉をかのんは飲み込む。

 あるかもしれない。だってここは常識が通じないんだから。


「ねえねえ」


「え?」


 後ろから急に声をかけられてはっとしてかのんは振り返る。

 そこにいたのは、小学生の男の子だった。

 コートの隙間から見えるトレーナーの柄が、かのんが子供の頃に流行ったゲームのものであると気が付き、心がぎゅっとなる。


「何?」


「プケモンしってる?」


「え? あぁ、うん、しってるけど」


 かのんが生まれる前からあるゲームだ。それにゲームを売る仕事をしているのだから知っているに決まっている。


「夏に映画やったでしょ?  ディアル○VSパルキ○VSダークラ○って」


 その言葉を聞いてかのんはどうしたらいいのかわからず曖昧に笑う。

 その映画は知ってはいる。

 かのんが確か、小学一年くらいの時にやった映画だ。見に行ったから覚えてはいる。

 もちろんこの夏にやった映画ではない。


「誰がいいかって言われると困るんだよねー」


「そ、そうか」


 そう答える以外何も言えなかった。


「ハルト、知らない人に話しかけないの」


 そこに母親と思しき女性がやってくる。

 けれどなんだかおかしな気がした。

 その女性は、小学生の子供がいるにしては年齢がいき過ぎているように思う。

 五十歳はこえていそうなその女性は、何度も頭を下げながら言った。


「この子、プケモン大好きで」


「あ、だ、大丈夫、ですよ」


「だってもっと話したいのに帰るっていうから」


 そう言って、男の子、ハルトは頬を膨らませる。


「だってもう遅いから」


「わかったよ。でもプケモンの話できてよかった。ありがとう!」


 と言い、少年は手を振る。


「じゃあまたね!」


「えぇ……また、ずっと先で」


 女性はこらえるような顔で言い、少年を見る。

 ハルトはニコニコ笑い、かのんたちに背を向けて走って扉へと向かっていった。

 かのんはその背中を見送った後、切なげな表情をする女性を見る。


「あの、失礼ですがあの子は……」


「え? あぁ……あの子は、私の息子と同じ名前、同じ顔をした……別人です」


 と言い、彼女は目を伏せた。


「息子、さんは……」


 遠慮がちに尋ねると、女性は泣きそうな顔で震える声で答えた。


「死にました。会社でパワハラにあっていたみたいで。二十七歳でした」


 その言葉は、かのんの心にずしり、と響いた。

 つまり自殺、ということだろうか。

 女性は首を横に振り、涙目で笑顔を見せる。


「でも会えてよかった。あの子、プケモンが大好きで。子供の頃はいっつもゲームの話ばかりだった。その時の事を思い出せて私、幸せでした」


 ということは、会いたい人にとって一番想い出深い姿でその相手が現れる、ということだろうか。

 あの子の話の内容からして、十七年くらいは前なはずだ。でもあの子は自分が会っている女性が誰なのか知らないようだった。

 そんなことをかのんが考えていると、女性は涙を拭い、晴れた顔をしてかのんたちを見た。


「私も帰ります」


 そして彼女は振り返りレジへと向かって歩き出そうとした。

 その時。


「ちょっと待ってください!」


 かのんはがっと立ち上がり、女性を追いかける。


「え?」


「あの……貴方は何年の人ですか?」


「え、えーと……二〇二六年……ですが……」


「へえ、それは興味深い」


 かのんの背後からそんなルカの呟きが聞こえてくる。


「呼び止めてすみませんでした。あの、よい夜を」


 そうかのんが言うと、女性は吹っ切れたような顔で微笑み言った。


「ありがとう、よい夜を」


 そして女性はレジへと向かう。

 会計を済ませた後、彼女もまた店から出て行った。


「僕は二〇一九年だった。かのんさんは?」


「……二〇二四です」


 答えつつ、かのんは席へと戻る。

 そこに京介が現れ、かのんの前の料理を置いた。

 以前も食べたボロネーゼとカフェオレだ。


「ありがとうございます」


「ねえ京介」


 去ろうとした京介に、ルカが声をかけた。


「君は、何年だったの?」


 その問いかけをしたとき、なんだか空気が張りつめたような気がした。

 京介は一瞬悩んだようだけど、ぽつり、と答えた。


「二〇二五」


「そうか、ありがとう京介」


 ルカはいつもの笑みを浮かべて言った。

 その様子を見ながらかのんはフォークを手に持ち、心のざわめきを抑えようと大きく息を吸った。

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