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#5 白き城の黒き牢


ハイランド城。

かつては辺境の防衛拠点にすぎなかったその城は、今や魔族を見世物として囲う檻となっていた。


月明かりが差し込む牢の片隅。

吊るされた鉄の檻の中で、黒き翼を血に染めた魔物が目を閉じていた。

ガーゴイルのヴァレック。

彼の背中には漆黒の羽根が二枚、無惨にも裂け目を刻まれたまま垂れている。


兵士たちはその翼を誇りと呼び、同時に「折る価値のある象徴」として扱った。

その誇りを引き裂かれた彼は、静かに耐え続けている。

ただの怒りではなく、“侮辱”と“屈辱”に。


「……空の、風が……懐かしいな。」


かすれた声。だが、その目には未だ濁りはなかった。

軍師としてルーデンと共に戦い、上空から戦況を読み、戦場を操った男。

その思考は今も冷静だった。


一方、地下の牢では、別の光が凍てついた空気の中で輝いていた。


月光を弾く純白の毛並み。

凛とした佇まいの女戦士。猫耳族ケットシー雪豹アンシア族のひとり、シヴァル。


牢の中、彼女は背を丸める小さな人間の子どもを静かに抱いていた。


「もう怖くない。私が守る。……約束したから。」


あの日、森で震えていたこの子を、ただ見捨てることができなかった。

逃げる時間はあった。戦う理由も、なかった。

だが、仲間とはぐれた人間の子どもが泣いていた。

ただそれだけで、彼女は敵の中へ飛び込んだ。


「シヴァル……。もう、我慢しないで。泣いてもいいよ……。」


「泣くのは、あなたが笑えるようになってからだ。」


静かな声に、子どもは再び彼女の腕の中で眠りについた。

シヴァルの瞳には、冷たい氷よりも澄んだ怒りが灯っていた。

仲間を傷つけ、子をさらい、魂を鎖に繋ぐ者たちへ。



そして、その頃――。

ハイランド城の外壁を這い上がる影が三つ、静かに闇の中に揺れていた。


ヤゴリ、ナコビ、メザカモ。

かつての仲間を救うために、力を得た者たちが再び動き出す。


「ヴァレックの羽根は、あいつの心そのもの……。よくも、そんな真似を。」


ナコビが、地を噛むように言う。


「……怒りに任せて突っ込むな。冷静に、確実にやる。これは救出作戦だ。」


ヤゴリの言葉にうなずき、3人は静かに夜の城へ潜入していく。

仲間の誇りを、囚われた尊厳を、そして……。

魂に響いたあの声への答えを持ち帰るために。



鐘の音が鳴り響いたのは、深夜二刻を告げた瞬間だった。


「侵入者だ! 城の西翼だ!」


衛兵の怒声が城中にこだまする。

鉄のブーツが石畳を打ち鳴らし、松明が赤々と揺れ、血の臭いが空気を支配し始めていた。


「ずいぶんと賑やかになってきたな。」


ヴァレックが吊るされたまま薄く笑う。

その鋭い目が、黒い影が舞い降りるのを捉えていた。


「……久しぶりだな、羽根野郎。」


着地と同時に城の石壁がひび割れ、雪を纏ったような白銀の毛並みと、鋭い牙を覗かせた戦士が姿を現した。

雹狼族のメザカモだった。


「メザカモ……か。久しぶりだな。まさかこんなところで会うとはな。」


「おまえの羽根がこんな風にされてんの見て、来ないわけがねぇだろ?」


続けざま、石の牢を轟音とともに破壊しナコビが突入する。


「シヴァル、無事か!」


「ナコビか!? なぜ……ここに!?」


氷のような声が牢から響く。

鎖を引きちぎるようにして、シヴァルが人間の子を抱え立ち上がった。


「うらたちが来た。……あとは思う存分、怒っていい。」


最後に姿を見せたのは、戦士たちを率いるヤゴリ。

城の衛兵たちは一瞬怯む。だが、すぐさま構え直す。


「魔族どもが脱獄だと!? 殺せ! 1匹も逃がすな!」


「殺すだと? なら先にお前たちの覚悟を見せてもらおうか!」


ヤゴリが巨斧を振り上げる。

その一撃が、城の中庭を地割れのように切り裂いた。


砕けた石の中から這い出る炎、火花、咆哮。

ナコビが殴り抜き、メザカモが剣で斬り払う。

瓦礫の中で衛兵たちはなすすべなく弾き飛ばされる。

だが、城の主は侮っていなかった。


「討伐部隊を出せ! 魔道兵も使え!」


兵士たちの奥から、魔力を纏った戦士たちが現れる。

彼らは人間の中でも、特に魔族を討つことに特化した部隊だった。


「なるほど、見世物の裏にはこんなお堅い番犬がいたってわけか。」


メザカモが剣を構え直す。


「いいだろう。見せてやるよ。

 魂を燃やして生きる、魔族ってやつの本気をな!」


激突の咆哮。


瓦礫舞う城内に、黒き翼が再び羽ばたいた。

ヴァレックが血を流しながら、ようやくその檻を蹴破ったのだ。


「……遅れて、すまない!」


「黙ってろ。飛べるか?」


「今はまだ無理だ。だが、地上なら、誰にも負けん!」


その言葉とともに、彼の掌が魔力を集める。

岩のように硬質な拳が、襲い来る兵士たちの盾を粉砕する。


牢からは、シヴァルを中心に他の雪豹アンシア族たちも解放される。

彼女らはしなやかに走り、凍える夜気の中で戦場を切り裂く。


仲間を取り戻すため。

失ったものを取り戻すため。

そして、魔王オべリスの“魂の声”に、確かな誓いで応えるために。

戦いの炎は、夜明けまで消えることはなかった。



崩れ落ちた塔の下、檻から解放されたヴァレックは、半ば折れた翼を庇いながら地面に膝をついていた。

地を踏みしめたヴァレックの目には、再び光が宿る。

その背に、ふわりと白い影が寄り添う。


「……飛べなくなったら、私たちの背に乗ればいい!」


シヴァルが、傷を負ったヴァレックの肩にそっと触れる。

仲間を庇って傷を負った雪豹アンシア族の白銀の毛並みが、夜の灯に照らされて淡く揺れた。


「……恩に着る!」


逃走のルートは確保済み。ヤゴリとナコビ、メザカモが衛兵たちを薙ぎ払った後、残された障害はもうない。そう、思っていた。


――カツン。


その音に、すべての魔族の動きが止まった。

塔の瓦礫を踏み越え、白銀の甲冑に身を包んだ男が歩いてきた。

その姿は光を反射し、月のごとく冷たく輝いている。


「白の砦……!」


ヤゴリの声が震える。


その名は、かつて大陸北部に住む魔族を封殺した剣士。

人類最強のひとりとされ、王国の防衛において“動かぬ砦”とまで呼ばれた男。


「ふむ。ここまでやっておいて、逃げるつもりだったのか?」


淡々とした声。まるで何も感じていないような、無感情の音。

その手には、一本の剣。光を拒絶するような黒鉄の刃身。


「まさか、白の砦が……。このタイミングで!?」


ナコビが呻くように言った。

一歩、また一歩。白の砦は近づいてくる。

気配だけで、空気が冷気に変化する。

彼の周囲だけ寒獄ようだった。


「おい、無理だ。逃げ――」


誰かが叫ぶ前に、


――空が、裂けた。


音もなく、空間の一部が断ち割られ、そこから燃えるような黒い影が現れた。


「……ッ、な、なんだ……?」


白の砦すらも足を止めたその瞬間、黒き衣の男が虚空から姿を現した。

その瞳は深い夜。気配は、一切ない。ただ、存在が“場”を支配していた。


「……貴様、何者だ!?」


白の砦が問うた。

黒き男はただ、一歩前に進み、魔族たちの前に立つ。

そして振り向かず、背で彼らを庇いながら、口を開いた。


「3人ともご苦労だったね。こいつは、僕が殺すよ。」


それは命令でも、お願いでもなかった。

魂に届く、“本能の宣告”。


「ま、まさか……。」


ナコビが呻くように呟いた。


「オべリス様……!?」


そう、現れたのは魔王オべリスだった。


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