「なんじゃこりゃああああああああああああああああッ!?」
翌日の朝。目が覚めると、俺は別世界にいた。
いや、よく見たら自分の部屋だわ。あの天井にある俺好みなシミの配置は間違いなく自分の部屋だわ。
ただ、置かれている家具や調度品が見覚えなさすぎる豪奢な物に変わってやがる。
天井から吊るされたシャンデリア。床に敷かれた肌触りのよさそうな絨毯。机やクローゼットもピッカピカ。無事な物と言えば時計などの小物やパソコン、そんで俺が寝ていたベッドくらいだな。
誰がこんなことを……いや、あいつだ。あいつしかいない。くそっ!
「ロロットはおるか!? ロロットを出せ!?」
俺は怒りのあまり蛙を呑み込んだような声を張り上げながら、リビングの扉を勢いよく開け放った。
「そんな大声出してどうしたのよ、タダオミ? ロロットなら暗黒魔界に帰ってるわ」
リビングにいたのは、両腕をピンと真上に伸ばして弓反りになり、さらに片足立ちしている紅髪の美少女――アンネリーゼだけだった。あの毒舌メイドの姿はどこにも見えない。
「いや、お前こそどうした? なにやってんの? ヨガ?」
胸の部分に『爆発物』と書かれたダサTを着たこの残念美少女は、いやホントなにやってんだ? 魔術的な儀式? それともUFOとの交信にチャレンジ?
「えっと、なんだっけ? 確かラ……ラーなんとか体操? ってやつよ。こっちの世界の朝は普通みんなでこれをやってるんでしょ? だからいつ混ざってもいいように今から練習しようと思って」
「そんな常識ねえよ」
いや待て、もしかしてラジオ体操のことか? だとしたら昨日の今日でどこから仕入れたんだその知識。テレビでやってたっけ?
――って違うだろ俺! ポンコツ娘の奇行なんてどうでもいいんだ!
「んなことより俺の部屋を勝手に模様替えしやがっただろ! せっかく昨日完璧に整頓できてたのに!」
というか、リビングの装飾も一変してやがる。テーブルとかソファーとか。変わってないのは電化製品みたいなこっちの世界にしかなさそうなものだけじゃないか。
俺が寝てる間によくも。てか気づかない俺も俺だけどな。昨日は大変だったから疲れてたんだろうね。
「あ、あたしは別にいいって言ったのよ? でもロロットが『アンネリーゼ様にあのような貧乏臭い邸で生活させるわけには参りません。せめて内装を整えます』って聞かなくて」
アンネリーゼはロロットの声真似をして状況を伝えてくれた。掃除するだけでは飽き足らなかったらしいな、あの毒舌メイドは。
「あれだけ『絶対俺の部屋は触るなよ! 絶対だからな!』って念を押したのにあいつめ」
「そう言われるとなんだかやりたくなってくるわね」
「フリじゃなかったのにくそう……」
確かに言い方が悪かったかもしれん。こんなことになるんならもっと全力で居候を断ってればよかった。殺されかねなかったけど。
「あんまり怒らないであげて。スルメ食べる?」
「食べりゅ」
アンネリーゼからスルメを受け取って二人でくちゃくちゃと齧る。この硬さが俺の怒りを少しずつ和らげてくれる気がする。
「元に戻せ。無理なら暗黒魔界に帰ってもらうからな」
「帰るのは嫌ね。ロロットに言っとくわ」
やっぱり帰る気はないんだよなぁ。姑のごとく嫌がらせしたりするのは人としてどうかと思うし、なによりそんなことしたら冗談抜きで命取られかねない。
どうにか暗黒魔界に帰りたくなるように仕向けられないかな。無論、平和的に。
「あ、そうだ。あたしの部屋はこの上になったけど、大丈夫だった?」
アンネリーゼは天井を指差した。ふむ、リビングの真上と言えば親父の書斎という名の物置になっていたな。今は誰も使ってないから好きにしてくれて構わな……そうだ。
「おいおい、あの部屋を使うのか? 正気か?」
「え? なに? なにかあるの?」
「この真上の部屋はな……出るんだよ」
「で、出るって、なにがよ?」
「それを俺の口から言えと申すか!?」
「なにが出るのよぉおッ!?」
自分を抱き締めてガクブルと震え始めるアンネリーゼ。ダメ元で試してみたけど、もしかして幽霊とかダメ系? 暗黒魔界人なのに。
このまま怖がって帰ってくれる気になれば最高だ。
「というか、押入れの穴はお前の部屋に繋がってるんだろ? だったらわざわざこっちに部屋作ってまで寝泊まりしなくていいんじゃないか?」
「そ、それじゃ意味ないでしょ。あっちの生活が嫌で家出したんだから」
「家出って認めてんじゃん」
まだナニカを怖がりながらそう言うアンネリーゼに俺は肩を竦めた。一度帰ってしまえば暗黒魔界の穴をどうにかして塞げばいいんだけど、そう簡単にはいかないか。
「とにかく、なるべくこっちの世界にいて太陽に慣れたいのよ。普通に外を歩くためにね」
確かに、もっともらしい理由だな。
だが、本当にそうなのか? フェイクの可能性もあるんじゃないか?
アンネリーゼが俺の家に巣食う目的。世界征服するための拠点とか?
昨日は否定してたが、こっちの世界を気に入ったっぽいしな。気が変わったのかもしれん。世界の命運は俺にかかっている!
「ふわぁ……」
俺が最悪の事態になってもいいように脳内シミュレーションしてんのに、当のお嬢様は暢気にも大きな欠伸をしてらっしゃる。
「眠いのか? お嬢様っぽいお上品さからかけ離れてんぞ」
「う、うっさいわね。余計なお世話よ。今日は張り切って早起きしちゃったからちょっと眠い……だけ……」
うつらうつらと船を漕ぎ始めるアンネリーゼ。それでもスルメを食べる口だけはもにゅもにゅ動いていた。
「寝るなら自分の部屋に行こうな」
「うにゅ……」
アンネリーゼは眠い目を擦りながら立ち上がり、ゆらゆらと危なげな足取りでリビングから出て行こうとし――
「……出ないといいな」
「だからなにがよぉおッ!?」
涙目になって全力で戻ってきた。俺にしがみついてブルブルしている。ちょっと可愛く思えてきたぞ、このイキモノ。
「――ってやば、よく考えたら今日月曜じゃねえか! 学校行かねえと!」
慌ててアンネリーゼを引き離す。朝飯は食ってる暇ないな。早く着替えてダッシュで行けばぎりぎり間に合――アンネリーゼが腰にしがみついてきた。
「待ってあたしを一人にする気!?」
「いやホント悪かった! 実はなにも出ないから安心して留守番しててくれ!」
遅刻の理由が『美少女にしがみつかれていたからです』なんて言えるわけがない。
「『学校』って言ったわね? 普通の子が通う教育機関よね? あたしも行きたい!」
「ダメだダメだ。学校だぞ? 部外者は連れて行けねえよ。だからその日焼け止めはしまいなさい」
「むぅ」
アンネリーゼは唇を尖らせる。そんな可愛い顔してもダメなもんはダメ。
「夕方には戻るから、大人しくしてろよ?」
そうして俺は部屋に戻って制服に着替え、学生鞄を引っ手繰り、なおもごねるアンネリーゼをスルーしてダッシュで家を飛び出すのだった。