「ちょっと! 私の洗濯物と、お父さんの洗濯物。また一緒にしたでしょ! 別々にしてって言ってるのに」
「いや、だって一緒にしたほうが早く終わるし、水道代だってかからないだろ?」
「そういう問題じゃないの! もう、わっかんないかな……」
土曜の朝。朝食を取ろうとリビングに降りてきた雅也は、娘の叱責を受け、所在なく頭を掻いていた。
不機嫌そうにスマホをいじる娘の真紀に気を遣いつつ、椅子を引いてテーブルの前に座る。焼いたトーストとスクランブルエッグが朝食として用意されていたが、いつも飲んでいるコーヒーはなかった。
代わりに水の入ったコップだけが置かれている。
――機嫌がいい日はホットを用意してくれるのに。
そう思ったが、いまは文句を言えるような雰囲気じゃない。雅也は「頂きます」と手を合わせ、水を一口飲んでからトーストを
須藤雅也は今年41歳になるしがない地方公務員だ。妻を亡くし、今は娘の真紀と二人暮らし。食事は真紀に任せ、それ以外の家事全般を雅也が
元々は料理も雅也が作っていたのだが、「
二人っきりだけど仲の良い親子……と言いたいところだけど、最近になって娘の反抗期が始まった。
何かにつけて文句を言われるのはまだいいほうで、無視されることもしばしば。男親一人では、なかなかキツいものがある。
雅也はトーストを
――お前が生きてたら、また違ったのかな?
水を一口飲み、雅也はリモコンを手に取る。テレビを点けると、ニュース番組が流れていた。おなじみのキャスターが政治に関する話題を取り上げている。
真紀はまったく感心がないらしく、テレビには
髪を明るく染め、後ろで束ねてポニーテールにしている真紀。
前々から髪色が「派手すぎないか?」と思っていたが、注意する勇気はない。いつからこんな親子関係になってしまったんだろう。
味気なく感じるトーストを
その時、真紀が制服を着ていることに気づいた。普段ならなにもおかしくないが、今日は土曜日だ。
雅也は軽く咳払いしてから口を開く。
「真紀、今日は学校に行くのか? 何かあるのかな?」
スクランブルエッグを食べる手が止まり、真紀の冷ややかな目がこちらを向く。
「なに言ってるの? 前に部活の試合があるって言ったじゃん。聞いてなかったの?」
「え? そうだったか? そう言えば聞いた記憶も……」
頭を掻いて視線を落とす。嘘だ。まったく覚えていない。そんな会話しただろうか? 真紀はハァと大きな溜息を吐き、視線をスマホに戻した。
また、会話が途切れてしまった。
昔はお父さん、お父さんと
寂しくトーストを食べていると、真紀が「あっ」と声を上げた。
リモコンを取ってテレビの音量を上げている。雅也もテレビに目をやった。
『続いてのニュースです。政府は14日、奥多摩町に出現したダンジョンがS級の可能性があると発表しました。もしも、S級ダンジョンとなれば世界で三例目。攻略した事例は一つもありません』
「うそ! ここからすぐ近くじゃん」
真紀が身を乗り出し、テレビにかじりつく。確かに、奥多摩町は
不安を抱く雅也を
「ええええ! これってカイト君が近くに来るってことじゃない!?」
「カイト?」
雅也が眉根を寄せていると、テレビを見ていた真紀のテンションがさらに上がる。テレビに目を向ければ、銀色の鎧を身につけた青年が映っていた。
茶髪のイケメン。年は二十前後だろうか? 爽やかな笑顔を振りまき、インタビューに答えている。顔はテレビで見たことあった。こいつがカイトだろうか?
『ええ、もし、出現したダンジョンがS級なら、僕も全力で攻略に臨みます。絶対に〝ダンジョンブレイク〟はさせません。みなさん、どうか安心して下さい!』
白い歯を
そんな危ないものが近くの
しかし、真紀はカイトに夢中で、危険性に関しては考えていないようだ。
「ああ、カイト君。やっぱりかっこいいよね」
ひとりごちるように言う真紀に、雅也は顔をしかめる。
「そうかなあ? ちょっとチャラチャラしてないか? お父さんはこういうタイプ嫌いだなぁ」
「あ! もうこんな時間、行かないと」
真紀は雅也を完全に無視し、立ち上がって
皿やコップは残されたままだ。片付けておけ、ということらしい。
朝食を食べ終わった雅也はテーブルの上の食器をシンクまで運び、丁寧に洗って水切りかごに置いていく。
ハンドタオルで手を
ゆっくり過ごそうと思っていたが、違和感に気づく。
「何だ?」
どこからともなく〝音〟が聞こえてくるのだ。雅也が暮らしているのは山梨県の中でも山近くの農村地域。隣の家まで数百メートルはあるため、騒音が聞こえてくることなどまずない。
何の音だろうと思い、台所の勝手口から外に出た。
音は家の裏手、雑木林の方向から聞こえてくる。音に向かって歩いていると、目の前に
雑木林の手前にある土手で、そこには木枠で造られた入口があった。
――
雅也は防空壕の中に入った。いまは使われることのない戦時中の遺物。入口は
薄暗い土壁の通路を進んでいると、ドオン、ドオン、と音はどんどん大きくなってきた。しばらく歩くと、暗闇の先に光が見えてくる。
向こう側に開通しているのか? 雅也はさらに足を進め、光が漏れている壁の亀裂を
「これは……」
雅也は目を見開いた。そこにあったのは壁に囲まれた明るい空間。巨大な木が一本生えており、枝を振って暴れ回っていた。