雅也の肩に、振り下ろされた鎌が直撃する。瞬間――水の膜が弾け、死神の鎌が押し返された。
死神は驚いたように後ろに飛び退く。
雅也の体の表面に、水の膜が張り付いていた。それは水の鎧となって雅也を守り、あらゆる攻撃を阻害する。
――水魔法の練度が上がってる。いまなら攻撃にも防御にも使える!
雅也は長く伸びた〝水流剣〟を交差して構えた。こちらを見下ろす死神に狙いをつけ、雅也は剣を振り切った。
クロスして放たれた〝水の刃〟は恐ろしい速度で空を走る。
当たったと思ったが、死神は煙のように消えてしまう。またか! と歯噛みするも、雅也に焦りはない。
「方向を変えろ! 今度こそ死神を――」
飛んでいく水の刃が方向を変える。クロスの斬撃は形を変え、大きな〝鳥〟の姿になった。水の鳥は翼を広げ、まっすぐに下降してくる。
雅也は視線を動かした。少し離れた場所に煙が渦巻き、死神が姿を現す。
こちらを睨み、向かって来ようとするものの、上空から襲い掛かってくる〝鳥〟に気づいて動きを止めた。
電光石火の速さで突っ込んでくる鳥に鎌を振るう。
鳥と死神が交錯した瞬間――水が大爆発し、周囲に白い水蒸気が舞う。雅也は目をすがめ、白いモヤの先を見る。
徐々に水蒸気が晴れてくると、辺りの様子が見えてきた。
コンクリートの地面が
「……倒せた……のか?」
半信半疑で散乱した骨を眺めていると、ボロボロと崩れて煙が立ち上った。骨も外套も煙となって消えていく。
死神を倒したんだ。雅也は安堵してその場に座り込む。
少し離れた場所から声が聞こえてきた。湊崎と数人の冒険者が走って来る。
「須藤さん! 大丈夫ですか? あの浮かんでいるモンスターはどうなりました?」
息を切らし、慌てた様子で駆けてくる湊崎。雅也は「もう大丈夫ですよ」と
「死神のようなモンスターは死にました。他のスケルトンも倒しましたし、この辺はもう安全だと思います」
「そうですか、良かった……」
湊崎は心底ホッとしているようだ。本当に優しい人だな、と思いつつ、雅也は湊崎に目を向ける。
「県庁の別館に女子高生が避難して来ませんでしたか? 娘の真紀が向かったはずなんですが……」
「ええ、来ましたよ。安心して下さい。娘さんは無事ですから」
「そうですか! それは良かった」
真紀は言いつけ通り、湊崎に助けを求めたようだ。いつも反抗的な態度を取る真紀だが、重要なところではちゃんと話を聞いてくれる。
やはり頭のいい子だ。そんなことを考えていると、周囲の声が耳に入ってくる。
「おい、いまのって、A級ダンジョンのボスなんじゃないのか!?」
「ああ、情報共有されたボスの特徴に似てたよな」
「だとしたら、俺たちがボスモンスターを倒したってことか!?」
冒険者同士で盛り上がっている。死神がボスモンスター? それが本当なら、あんなに強かったのも頷ける。
水魔法と亜空間操作を使ってなんとか倒すことができたが、一歩間違えば殺されていただろう。改めて考えると足が
そんな雅也の心労を見て取ったのか、湊崎が心配そうに顔を覗き込んでくる。
「大丈夫ですか? 須藤さん。どこか怪我をしてるんじゃ……」
「いやいや、私は大丈夫です。それより加勢してもらって助かりました。私一人では大変でしたから」
本当は助力がなくてもなんとかなっていたと思うが、それを言うのは社会人として失格だろう。湊崎はふるふると首を横に振り、優しげな眼差しを向けてくる。
「須藤さんを助けてほしい、ってお願いしてきたのは、娘さんですよ」
「え!? 真紀が?」
意外な話に、雅也は目を丸くする。
「娘さん、須藤さんのことをすごく心配してましたよ。まあ、親子なんだから当たり前と言えば当たり前ですけど」
「そうですか……」
心の奥に、熱いものが込み上げてくる。普段は冷たい態度を取る娘だが、やはり親のことを心配してたのだ。そうか、そうか、と破顔して何度も頷く。
「どうかしましたか? 須藤さん」
「え!? いや、なんでもありません。はは、ははは」
ちょっと気持ち悪いと思われたかもしれない。その場はなんとか笑って誤魔化し、真紀が避難する県庁舎の別館へと向かった。
◇◇◇
その後は色々な事後処理に追われた。県やダンジョン協会にモンスター討伐の報告を行い、詳しい討伐状況を資料にまとめ、日常業務と並行しながら提出。
一段落したと思ったら、今度は表彰があるので県庁に来い、と呼び出される。
湊崎や他の冒険者と一緒にA級ダンジョンのボスを討伐したとして、
帰りに山梨県の冒険者協会に顔を出すと、出迎えてくれた相川が頬を崩す。
「すごいよ、須藤さん。あんな強いモンスターを倒すなんて! わたしたちでも苦戦して逃がしちゃったのに」
「い、いえ、湊崎さんや他の方がいたおかげです」
雅也が謙遜すると、相川は首を横に振る。
「湊崎さんから聞いたよ。須藤さんが奮闘してたから、最後になんとかボスモンスターを倒せたんだって。須藤さんは間違いなく一流の冒険者になるよ。C級に昇格させるって話もあるからさ。これからも活躍してよね。期待してる!」
相川に肩を叩かれ、雅也は愛想笑いで返した。評価してもらえるのは嬉しいけど、冒険者を続けるかどうかは、正直迷っていた。
娘の注意を引きたくて始めた冒険者。真紀が熱を上げる如月カイトに対抗意識もあったし、かっこいいところを見せたいとの思いもあった。
結果的に人の役に立てたのは良かったが、それでも、自分に取って一番大事なのは娘の真紀を守ること。尊敬なんてされなくてもいい。娘と二人、健康で穏やかに生活さえできれば……。
相川に一礼し、雅也は冒険者協会・山梨支部のオフィスをあとにした。
◇◇◇
家に帰り、雅也はリビングで夕飯ができるのを待っていた。
ソファに座って新聞を広げていたが、チラリとキッチンにいる真紀を見やる。あの騒動から一日経つが、色々と忙しかったため、真紀とはまともに会話をしていない。
面と向かって話したいことはたくさんある。
キッチンにいた真紀が「できたよ」と小さな声でささやく。雅也は「ああ」と新聞をたたみ、ソファーを立った。
ダイニングテーブルを
目の前に並ぶのは出汁巻き卵に焼き魚、味噌汁に納豆。久しぶりの和食だ。
――私の好物ばかり……機嫌がいいのかな?
箸に手を伸ばす前に、雅也は真紀に目を向けた。冒険者をやめる、そのことを伝えようと思っていた。
真紀に取ってはどうでもいい話かもしれない。
それでも、ちゃんと言っておいたほうがいいだろう。雅也が話し掛けようとすると、真紀が先に口を開いた。
「……この前は……ありがとう……」
「え?」
消え入りそうなほど小さな声。雅也はポカンとした表情で真紀を見る。
「だから……その、助けてくれてありがとう、って言ってるの! 父さんが来てくれなかったら、私も美鈴も無事じゃなかったと思うし」
「お、おお……そうか。いや、親が娘を助けるのは当然だからな。当たり前のことをしただけだよ」
雅也は照れたまま、伏し目がちに頭を掻く。真紀から改めてお礼を言われるなんて、正直、想像もしていなかった。
これだけで冒険者になった価値がある。もう思い残すことはない。
いまなら迷いなく、真紀に冒険者をやめると告げられる。そう思って口を開こうとした時、真紀と目が合った。
「お父さん、かっこ良かったよ。冒険者……向いてるんじゃない?」
真紀はそれだけを言い、箸を取る。ごはんを黙々と食べるだけで、その後はなにもしゃべらなくなった。
それでも充分すぎる言葉をもらった。雅也は嬉しすぎて胸が一杯になる。
――冒険者……もうちょっと続けてみようかな。
その日の食卓には、温かい空気が広がっていた。
――おわり――