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第四章 一緒にごはん食べませんか?

第13話 本音の語らい

 昨日、陽翔と芽衣が話しているところを目撃してからというもの、胸のざわめきがおさまらなかった。まるで小さな虫が心臓の周りをうろついているような、落ち着かない感覚。


 ――二人で、俺のこと、なに話してたんだろ。ってか、陽翔さん、なんて答えたんだろ?


 一瞬聞こえてきた、芽衣の「叶翔のこと本気なんですか?」という陽翔への投げかけは、あまりにも直球すぎて息が詰まる。その答えが、イエスでも胸が痛くなるほど怖いし、ノーであっても……どこか失望してしまう自分がいることに気づいて、もっと怖くなる。


 考えれば考えるほど胸がズキズキと痛み、自分の呼吸が浅くなっていくのがわかった。


 ――いっそのこと、芽衣に俺がゲイで、高校の時のこと話そうかな……。


 この前、俺が少し自分の心を吐露した時、芽衣は全く嫌な顔をしなかった。複雑そうな表情ではあったが、何か察したような、優しい眼差しだった。それを思い出すと、少しだけ呼吸が楽になる。


 そう考えていた矢先、明るい声で名前を呼ばれた。振り返ると、そこには春の陽気のように明るい笑顔で、芽衣が手を振りながらこちらへ向かってやってきていた。


「やっほー、叶翔!」


「……芽衣」


 頑張って笑顔を作ってみるが、自分でも顔がひきつっているのが分かる。頬の筋肉が硬直して、不自然な形になっている感覚。もう何年も心から笑ったことなんてないから、どうやって表情を作ればいいのかさえ忘れてしまっていた。


「何? 次、空きコマ?」


「……うん。芽衣も?」


「うん! 予定ないなら、ちょっとしゃべらない?」


 近くのベンチに二人で並んで腰掛けた。春の日差しが暖かく二人を包んでくれて心地よい。頬に感じる陽の温もりが、少しだけ緊張をほぐしてくれる。


 まずは、この前、少しキツく言ってしまったことを謝ろう……。


「この前は、ごめん」


「え? 何が?」


「……えっと……、友達とか恋人とか……期待したくないとか……ちょっと強く言ってしまったなって」


 言葉につまりながら、視線を足元に落とす。こんな風に人に謝るのも久しぶりで、何を言えばいいのかわからなかった。


 芽衣はケラケラと明るく笑った。風鈴のように澄んだ、心地よい笑い声。


「なーんだ。そんなこと? 全然気にしてないよ?」


 あっけらかんとそんなことを言われて、俺はほっとした。本当に芽衣はサバサバしていてあまり物事を気にしないタイプなのだろう。そういう人は、俺みたいな複雑な人間と違って、生きやすいのかもしれない。


 そこで、俺は覚悟を決めて、過去の話を芽衣に伝えることにした。喉が乾いて、言葉を発する前に一度唾を飲み込む。


「ちょっと、話聞いてもらいたいんだけどいいかな?」


 芽衣は、「もちろん」と言って笑顔で俺が話し出すのを待った。その笑顔に背中を押されて、言葉が少しずつ出てくる。


 やはり、過去のトラウマの話をするのは、思い出すだけでも心が痛い。胸の奥にぎゅっと閉じ込めていた記憶が、鋭い刃物のように内側から突き刺さる。


「……俺、ゲイなんだ……。高校の時、ゲイバレして、SNSで名前晒されてすごく嫌な思いしたことがあるんだよね……」


 その時のことを詰まりながらも、ゆっくり話をしていった。言葉にしていくうちに、胸に詰まっていた何かが少しずつ溶けていくような感覚。芽衣は何も言わず、ずっと俺の話を聞いてくれていた。時折、理解を示すようにうなずいてくれる姿に、少しだけ心が軽くなっていくのを感じた。


 話が終わると、芽衣の表情が優しく柔らかくなり、俺の頭をポンポンと撫でて言った。


「ありがとう。こんな辛い話、あたしに言ってくれて。苦しかったよね……」


 その言葉に、俺は目頭が熱くなった。まるで長い間閉じ込めていた感情の蓋が、少しだけ開いたような感覚。初めてだ。俺の思っていたことを他人に伝えて、理解してもらえたことなんて。


「叶翔の気持ち、よく分かるよ。だってあたしもレズだし」


「ええっ! そうなの?」


 大学に入って一番大きな声を出したかもしれない。周りからじろりと見られて、すぐに俯いた。背中が熱くなるのを感じながら、小さな声で続けた。


「芽衣も……、なんだ」


「ほら、女の子同士って手を恋人繋ぎとかしてても、『仲いいんだな』って見られるだけだから意外とバレないんだよね」


 そう言って、少し寂しそうに微笑む芽衣の横顔を見た。そう言えば、こんなに明るい性格なのに、他の誰かとつるんでいるのを見たことがない。いつも一人で過ごしているのは、もしかしたら自分と同じ理由なのかもしれない。


「叶翔を見た時、なんとなく、同じ匂いがしたんだ。だから話しかけたって言うのもあるし――」


 ニヤリと笑いながらじっと俺を見つめた。その目は好奇心と楽しさで輝いていた。


「あたし、腐女子でもあるんだよねー」


「ふ、腐女子?」


 ――なんだそれ?


 不思議そうな顔をしていたのがバレたのか、芽衣がふふっと笑いながら説明した。彼女の笑顔にはいつも人を安心させる魔法がある。


「腐女子ってね、男性同士の恋愛の創作物が好きな人のこと。それでねー、ついつい BL転換しちゃうクセがあってね、それで――」


 イケメンカプとか尊いし? 心を開かないウケが明るいセメに心を開くのを見るのが楽しいし?


 へへっと笑いながら楽しそうに話しているのだが、俺には何が何だかさっぱり……。まるで、外国語を話されている気分になり、目が点になった。もしかして、俺は彼女からいろいろと妄想されているのか? その考えに、頬が熱くなる。


「だからね、叶翔と陽翔さんのこと応援したいの」


 芽衣が言った言葉に、心臓が一拍飛んだ。


「お、応援って……。陽翔さんと俺は別に……」


 そうだ。彼は別に俺のことなんて、一時的に興味を持っただけで……。どうせ飽きるんだから。長い黒髪で目元を隠しながら、そう自分に言い聞かせる。


 そう思うと、胸が痛くなって俯いた。自分でもわからない感情の混乱に、息をするのが辛くなる。


「ま、とにかく、あたしは叶翔の味方ってことっ! それだけは覚えといて!」


 まるで犬を扱うみたいに頭をがしがしと撫でられた。その仕草が妙に心地よくて、ほんの少しだけ笑みがこぼれる。


 ありがたい。俺の性癖を知っても嫌悪を抱くことなく、味方となってくれる人が現れてくれて。まさか大学に入って俺のことを認めてくれる友人ができるなんて思ってもみなかった。一人だと思っていた世界に、小さな光が差したような気がした。


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