翌日から、俺は中庭での昼食を避けるようになった。別に藤堂から忠告されたのが理由というわけではないが、「どうせ飽きられるなら、最初から距離を置いたほうがいい」という思いがどんどん強くなっていく。
陽翔が有名なバンドのボーカルという立場であることを考えても、陰キャである自分と一緒にいたら余計な噂を立てられかねない。何より、相手がどれだけ好意を向けてくれたって、いずれ捨てられると思えば、傷が浅いうちに自分から離れておくほうが賢い。
「俺なんかが、陽翔さんと話すことなんて、許されるはずないのに……」
そう自分に言い聞かせるたびに、胸の奥がズキズキと痛む。思わず頭を振って、切ない感情を振り払おうとする。
――そもそも、俺はゲイだし、彼はきっとノンケ。モテるから可愛い女の子がたくさん周りにいるはず。
そう思えば思うほど、陰鬱な気持ちが広がる。陽翔のまっすぐな笑顔を思い浮かべてしまう自分を否定したくてたまらないのに、一度灯った想いは簡単に消えてはくれない。
--……俺には“好き”だとか“本気”だとか、そんな言葉を信じる資格なんかないのに……。
結局、自分のせいでまた傷つくくらいなら、最初から踏み込むべきではない。そう自分に戒め続けては、ぐるぐると同じ思考に囚われている。
そんなある日の昼下がり、校舎の裏手を通りかかったとき、ちらりと目に入った光景に足がすくんだ。
――陽翔が、芽衣に何か話しかけている。
急いで物陰に身を隠し、こっそり様子を窺ってみると、陽翔は明らかに落ち着かない様子で、芽衣に詰め寄るような格好になっている。
「ねぇ、君、綾瀬叶翔くんと一緒にいた子だよね?」
芽衣が少し怪訝そうな顔をする。
「そうですよ。あたし、宮下芽衣って言います。陽翔さん、どうしたんですか? すごい血相ですよ」
「いや……あのさ、叶翔くん、大学来てる? このところ昼食どこにもいないんだけど……」
切羽詰まったような声の陽翔。そんな彼を前に、芽衣は複雑そうに眉をひそめる。
「来てますよ。そりゃあ、同じ授業も取ってるし……。会えてないんですか?」
「……うん……」
陽翔がそこで何か言いかけて、声が小さくなる。何を言っているのかまでは聞こえないが、落胆とも焦りともとれる感情がにじむ空気が漂う。
「……陽翔さん、叶翔のこと、本気なんですか?」
芽衣が低い声で問いかけた瞬間、胸がギュッと縮む。そんなこと、問いただす必要はないはずなのに、彼女は俺のためを思って確認しようとしているのか。
だが、陽翔の返事は聞き取れないほど小さい。芽衣が「そっか……」と呟く声だけが微かに届く。
俺は怖くなり、校舎の影からそっと背を向けて逃げるように立ち去った。
――目を合わせられないのは、ただ単に“怖い”から。彼の表情や言葉に触れるたびに、心が揺れそうで怖い。
期待したくないのに、もしかしたら……と淡い望みを抱いてしまいそうになる自分がいちばん嫌だ。
--もう二度と、誰にもそういう気持ちを抱かないと決めたはずなのに……。
そう自分に言い聞かせても、陽翔のまぶしい笑顔が脳裏に焼きついて離れない。過去のトラウマはまだ癒えていないのに、どうしてまた同じように傷つく道を歩もうとしてしまうのか――。
大学のキャンパスの風が冷たくなってくる夕刻、俺は人気の少ない廊下を足早に歩きながら、ただひたすらに自分の胸のざわめきを押し殺す。誰かのまなざしを受けるのが怖いのは、高校のときに思い知ったはずなのに……。
あの日の夜、走り去った彼の背中と、翌日から始まった地獄のような日々――それらが頭をかすめるたび、目をつぶってじっと耐える。
――もう二度と、同じ思いはしたくないのに……。どうして俺は、目をそらすことすらままならなくなりそうなんだろう……。
その疑問に答えてくれる声はどこからも聞こえてこない。けれど、胸の奥には確かに、熱を帯びた痛みが存在している。
自分がそれを受け入れてしまえば、また裏切られるかもしれない――そう恐れるあまり、俺は顔を上げることを拒否し続けるしかなかった。