夕方、講義がすべて終わると、俺はキャンパスの片隅でスケッチブックを広げた。夕日に照らされた学舎がオレンジ色に染まり、春の名残の風が頬を撫でていく。
――やっぱり絵を描くときだけは安心できる……。
気づけば夢中になってしまい、ラフから線画にまで手を進めていた。そうしているうちに太陽はどんどん西に傾き、そろそろ帰宅時間だと気づかせるように冷たい風が吹き始める。
--……家に帰ったら、これに色を塗って、創作アカウントに投稿しよう――。
そんな小さな幸せを噛みしめながら、スケッチブックをカバンにしまってベンチを立ち上がる。キャンパスの一角ではサークル活動に勤しむ学生たちや、友達同士で話し込むグループが楽しそうに笑い合っていた。その風景を遠目に見ながら、俺はそそくさと通り過ぎようとした。
しかし、ふいに声をかけられ、背筋が強張る。振り向くと、そこには黒髪を綺麗に横分けにしたスリムな男――どこか冷たい美貌を湛えた人物が立っていた。
「君……綾瀬くん、だよね?」
低く落ち着いた声色は耳障りが良いが、その瞳は笑っていない。どこか底意地の悪い光を感じ、俺は思わず目を伏せる。
「……は、はい。そうです……」
目を合わせる勇気がなく、咄嗟に視線を下げたまま答えると、彼は“にこり”と口元だけで笑った。
「ああ、ごめん。急に怖がらせたかな。俺は
――陽翔さんと同じバンド……。
思わず顔を上げると、そこには整った容姿があった。陽翔とは正反対のクールな印象。けれど、その目にはどこか鋭い光が宿り、こちらを見据えるように射抜いている。
「最近、陽翔がやけに嬉しそうに君の話ばっかりするもんだから、どんな子か気になってたんだ。……ほんとにちっちゃくて可愛い感じだね」
口調自体は穏やかだが、その裏には何かしらの意図があるように思えてならない。俺は警戒心を募らせ、自然と身が強張る。
「俺、あいつが誰にでも優しくしすぎるところ、どうかなーと思ってるんだよ。……うん、言うなれば“天然タラシ”ってやつかな。すぐ熱くなって、すぐ冷める。それで何人も泣かせてきたの、見てきたからさ」
その表情は笑っているのに、目がまったく笑っていない。嫌な汗が背中を伝う。藤堂は続けるように言葉を吐き出す。
「だから……君が陽翔に何か期待しちゃってるんなら、やめといた方がいいんじゃない? いつ飽きられるかわからないし、深入りすると傷つくだけだと思うから」
そう言うと、俺の肩を指先で軽く“トン”とつつき、「じゃ、またね」と手を上げて去っていった。
その場に取り残された俺は、全身の力が一気に抜け、息が乱れるのを感じる。
――……こ、怖かった……。
けれど、もっと怖いのは、藤堂が言った“真実”かもしれない。彼がバンドメンバーであるなら、陽翔の恋愛事情をよく知っているはずだ。そのうえで「すぐ飽きる」と断言するのなら、きっとあの楽しそうな笑顔も“一時的な興味”に過ぎないのだろう。
芽衣が言っていた「陽翔さん、叶翔にだけ特別な気がするんだよ」という言葉は、やはり勘違いだったのかもしれない。もしも俺があれを真に受けてしまえば、また痛い目を見るだけだ。