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第18話 噛ませ犬


「今から流しますけど、川への滑落防止のために離れて見てくださいね」


 摩耶にとって今回秋也に自分のことを意識させることが目的なので、特に恵梨香が調子がいいことになんら関係ない。

 例え彼女が一番に作り、周りから称賛を浴びようと支障などは存在しない。


 だが、その称賛──恵梨香の調子がいいことを肯定するかどうか。

 それは別のことだ。


「気に入らないのよね」


 実際のところ理屈上、何の問題がなかろうと目の前の事実は摩耶には許容できなかった。

 仮とはいえ、勝負という体をとっている都合上、自分が現在劣勢に立たせられているという事実が苛立ちを感じてしょうがないのだ。


 衝動を止める必要があるとは思わなかった。

 注意喚起を行なって今まさに川に雛人形を流そうとしている女性の職員に向けて近づいて、そのままぶつかった。


「あっ!!」


 女性の職員の手元が狂い、雛人形を空中に放るようになると、逆さまになって頭から着水した。


「ああ! ごめんなさぁい!」


「これは流石に! でももう遅延することはできないし、でも止めて仕切り直さないとあの雛人形が!!」


 摩耶の心が心地良い感覚に満たされる一方で、女性職員は慌てたふためく。

 あの様子ならばどんなに頑丈に作ろうが、崩壊は免れない。

 さて、どんな顔をしているのだろうかと摩耶は恵梨香の方に振り向いた。


「ひっ!」


 無表情だった。

 ただ無表情で摩耶の方に向かって、恵梨香は歩いてきていた。

 摩耶はあまりのことに腰を抜かした。

 怒っているのか、悲しんでいるのか、定かではないが、その様子は摩耶にとって恐怖でしかなかった。


「大丈夫です。そのまま続行してください」


 恵梨香は摩耶の方に近づくかと思うと、女性職員にそう告げた。

 ビンタをされるかと身構えていた摩耶は、自分に対する怒りを持っていることを筋違いなことだと理解したが、目の前の恵梨香から恐怖を感じずにいられずにいられなかった。

 絶望的な状況だというのに全く余裕が失われていないのだ。

 むしろこの絶望的な状況に追い込んだことで彼女がどの程度、秋也に対して信頼を抱いているかわかってしまった。

 確実に行きずりの家庭教師などには持ってるはずのない信頼である。

 これまでの練習で培われてきたものかはわからないが、摩耶はひどく理不尽なことをされている気分になってきた。


 元々それは自分が持っていたというのに、なぜこの女が。


「ずるいわよ」


 当初の目的の秋也が摩耶に対して意識せざる状況ではなく、真逆の摩耶が秋夜に対して意識さえざる負えない状況になっている関わらず、彼女は気づかずにそう呟く。




 ーーー



「久保君、すごいな」


 バスケの試合が始り、まずボールをメンバーに回して保持しつつ、教えていたら決勝までなんとか突破できた。

 最初の試合ではボールを相手側に奪われそうになったりしたが、今天政君のチームと戦っている中では、最初から今までボールをチーム内で保持できている。

 それというのも試合で勝ち続けて自信をつけたのか、久保君にボールを回すたびに長距離の3ポイントシュートを打ち込んでくれているから、連続パスで繋げているうちにボールを奪われている可能性が低くなっているのだ。


「おい、バスケ部もう棒立ちだよ」「50対0てもう試合じゃなくてただの蹂躙だろ」「あんなメンツなのになんで強いんだ」「バスケ部の奴ら、試合前に相手チーム煽ってあのザマらしいぜw」「ダッサw w」


 あまりにも一方的な展開になっているせいか、バスケ部に対してのヤジが段々ひどくなってきている。

 流石に目の前でしゅんとされるのも居た堪れないのでやめさせたくはあるのだが、試合中であるし、浅黒さんは録画するのに夢中でヤジに対する対処まで気が回っておらず、現実的に不可能だ。


 悪質なヤジが飛び交いつつも、無視して試合を続行した。


「試合終了!」


 結果としては最後までラフゲームで勝てたが、バスケ部の面々の表情は酷いものになっている。

 恐慌一歩手前と言っても過言ではない。

 最後の互いにコートの中心に集まり礼をする段になって、天政君のチームは口喧嘩を始めた。


「ふざけんなよ、天政! 何だよこれ、お前のせいで大恥だよ!」「こんなことならお前の誘いに乗らずレジャーしとけばよかったよ!」「お前のしょうもないことの加担者に俺らまでカウントされてんじゃねえんか」


「黙れよ! ぐちゃぐちゃと! お前らが弱いせいでこうなってるだろうが!」


 バスケ部の面々は皆口々に天政君に攻め立てる言葉を言い募ると天政君は大きな声で怒声をあげた。


「それにお前ら負け犬と違って俺はまだ負けてない!」


「何言ってんだよ、お前……」


 天政君は周りの困惑もよそに、走ってコートの外に飛び出していた。

 そういえばもうそろそろ雛祭の参加の男子生徒は川に集まる時間なので、先ほどの発言は雛祭のことを踏まえての発言だろう。

 今どう見ても興奮してる状態なので、彼をほっとくのは心配だし、そろそろ俺も雛祭に行かなければならない。


「ちょっとごめん、俺も雛祭があるからそろそろ抜けるね」


 ーーー


 流されてきた雛人形を拾うスポットに向かうと白い布で覆い隠されている場所の一部が開いており、まばらに人が入っていくのが見えた。

 まだ少し余裕があるがやはり皆見やすい場所に陣取りたいのか、少し早めに集まっているようだ。

 中に入っていくと陣を取っている生徒たちに向けて、天政君が突っ込んでいくのが見えた。


「俺は負けてない。俺は負けてない。俺は負けていない」


 周りの生徒を押し退けて、転びそうになりつつ、川に入っていく。

 まだ雛人形を来る前の入水でそのまま待機していたら体に応えるのは必至だ。


「君、入るのは構わないが、風邪をひいても知らないぞ」


 職員も呆れ顔で天政君に注意喚起を行うが、天政君は以前として川の中で雛人形を待っている。

 それだけ先ほどのことがショッキングな出来事だったのだろう。

 流石にあんなに極端なアウェー状態になることはそうそうないから、これだけ切羽詰まってもしょうがないかもしれない。

 下手に刺激するとまずいのであの場を作っていた中心と言っても過言ではない俺はしばらく近づかない方がいいだろう。


「おい、一番目がきたぞ!」


 しばらく待つと声が聞こえたので川上の方を見ると、ひっくり返ってきているのか親王台しか見えないものとかなり崩れて小物が取れ、組んだ腕の角度がズレたものが流れてきた。

 先頭という目立つ位置どりと摩耶の妨害があるためああいう極端な状態になるかもしれないという危惧があったため、前方から流れてくるひっくり返ったものが気になった。

 川の中にいた天政君も興味を示さなかったそれに、靴を脱いで入水すると近づいていく。


「これは!」


 裏返してみるとよほど頑丈に作ってあるのか、小物は吹き飛ばされているが原型はとどめていた。

 パッと見た感じピンク色のそれは恵梨香を作ったものに見えるが、断定はできない。

 ヒントを掴むために腕の曲がり、唐衣の固定の仕方を見ていく。


 腕の曲がりに若干だが、一度別方向に曲げようとした跡と唐衣にはきっちりしすぎるくらいに固く整えて固定されているのがわかった。

 この矛盾するような作り方は恵梨香で間違えない。

 腕の曲がりはおおよそ雛人形を作る際に一瞬花魁人形を作りかけてしまったからできたものだろう。


 確信が持てたので、雛人形を集めている職員のもとに持っていく。


「2年A組の佐藤秋也です。雛人形の照会お願いします」


「佐藤君。2年B組の羽咲さんとパートナーの子だね。照会するから少し待ってね」


 今回の初めての参加なのでわからないが、すぐ照会してくれるかと思ったが、時間がかかるらしい。

 一応儀式なので全部手動やっているのだろうか。


「あっちも見つけたかな」


 手持ち無沙汰になったので、川の方に視線を向けることにする。

 すると川下の方で網にかかった雛人形をあれでもないこれでもないと検分する男子生徒と川上の方でポツンと佇んでいる天政君の姿が見えた。


「騙したな、摩耶! 俺が好きだったお前と似ている雛人形などこにもなかった! 俺に見せていた姿は全部見せかけか!」


 天政君は恨みがましい声でそう吠えると一転、こちらに向けて走り始めた。

 どうやら人形をヒントに摩耶が猫被りをしていたことに気づいて、続け様に訪れた不幸によって精神の限界を迎え、発狂したようだ。


「恵梨香の雛人形は俺のものだぞ! 返せ!」


 めちゃくちゃな物言いをしてこちらに近づいてくる。

 そんなことははずはないし、周りの人間をこうせざるを得ない状況に陥れた自分に対する反省は一切ないのか、この人は。


「見ればわかるだろ。もう照会にかけているから俺の手元にはもうないし、もうパートナーじゃない君が恵梨香の人形を照会してもなんの意味もないよ」


「ふざけんじゃねえ!」


 天政君が顔を真っ赤にして手を振り上げるのが見えたので、横に避ける。

 天政君は前回のことから学習していなかったのか、そのまま係員が先ほど座っていた椅子と机に激突した。

 勢いが無ければ止められたが、流石に俺まで巻き込まれる危険性があったので、見ているだけしかできなかった。

 天政君は頭を打ったのか、だらりとした状態で砂利の上に横たわっている。


「ああ、今年も見つからなくて発狂する馬鹿が出たぞ」「タンカーもってこい」


 職員は初めから見ていたようで、そう指示を飛ばす。

 先ほどの言葉で何となくだが、この場所に覆いがされている理由がわかった気がする。


「佐藤君、お待たせ。照会できたよ。バッチリ羽咲さんのだったよ。ラブラブカップルだね、おめでとう」


 危ないところだったと一息つくと、照会していた職員が戻ってきてお墨付きをもらった。

 俺が恵梨香の人形を見つけられた一方で、天政君は摩耶の人形が見つけられなかったことで今回の摩耶からのちょっかいの決着はついた。

 経緯はだいぶ違えてしまったが、摩耶との関係の薄さを思い知らせるという恵梨香の目論見も叶っている。

 一番いいのはこの調子でうまくいき恵梨香が天政君と復縁できることだが、発狂中に恵梨香に対する執着を見せていたとはいえ、こればかりは恵梨香と天政君2人の当事者間でしかわからないことだ。

 うまくいけばいいが。









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