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*19* 傷だらけの翼竜

「ワイバーン? ドラゴンじゃないのか?」

「バカを言え! ドラゴンがこんな人里の近くにホイホイ現れてたまるか! あれはワイバーンだ!」


 翼竜ワイバーン──亜竜や、低級ドラゴンとも呼ばれる。


 モンスター全体でみると希少価値は中級クラスで、冒険者ギルドがさだめる討伐クエストの難易度はC以上。


 わたしも、目にするのははじめてのモンスターだ。


「グルルル……」


 ここで、鉄錆のにおいが鼻をついた。


 地面にうずくまり、低くうなるワイバーンの足もとに、じわりと血だまりがにじむ。


 翼だ。左の翼の付け根からの流血が酷い。


「翼がちぎれちゃいそう……いったいなにが……」

「大方、街のひとを襲おうとして冒険者に返り討ちにされたんでしょう。ここまでやられてんなら、あとは簡単ですよ」


 そういって前に出た商団ギルドメンバーのおじさんが、クロスボウをかまえる。


「脳天をぶち抜いてやる!」


 ギリリと限界まで引き絞られた矢が、うなだれるワイバーンの頭部めがけて放たれた。


「ギシャアアッ!」


 けれど、ワイバーンが跳ねるように起き上がり、雄叫びをとどろかせる。


 一直線に飛んでいった矢は、ワイバーンが吐き出した炎に焼かれ、消し炭となってしまった。


「なっ……ファイア・ブレスだと!? ワイバーンはドラゴンと違って、ブレス攻撃ができないはずじゃ……のわっ!」


 ヴン!


 トカゲのような尾が、空間を薙ぐ。


 間一髪よけたおじさんだけど、もしあの一撃をまともに受けていたら、岩壁に叩きつけられ、全身を骨折していたかもしれない。


「手負いのモンスターは、通常より気が立っていて凶暴です。おのれを過信して軽んじることのないように」

「も、申し訳ありません、エリオルさま……」


 口調こそやさしいけど、エルの言葉は、戦闘に臨む者のそれだ。


 緊迫の瞬間。ほとんどのギルドメンバーがどう出るべきか決めあぐねて、膠着状態に陥る。


 そんな中、エルは蜂蜜色の瞳でワイバーンを見据え、その動向を注視している。


 長い指先は腰にいた白銀の剣に添えられ、いつでも応戦できる状態。


「エリオルさま、こんなところでモタモタしてられないですよ。こんな死にかけモンスター、さっさとやっつけちまいましょう」

「おい、死体はどうするんだ? そのまま放置したら、別のモンスターが死臭につられて集まってくるぞ」

「やつらの餌になる前に、解体して燃やしちまえばいいだけの話だろ」

「それがいい、殺せ、殺せ!」


 馬車酔いとか、そういうのとは別次元の頭痛がする。


(なんとまぁ過激な言い分ですこと……)


 いのちを『救う』ために日々奔走する薬術師わたしの前で、安易に『殺せ』だなんて。


「……グゥゥ……」


 そのとき、その光景を目にしたのは、まったくの偶然だったのかもしれない。


 でも、こっちがさわぎ立てるほど、ワイバーンがうなだれているのは、気のせいじゃない。


(……つらそうな顔、してる?)


 大きなからだを小さく丸めるそのすがたが、「聞きたくない」って耳をふさいでいるようにも見えて、目が離せない。


「……だから人間は嫌なんだよ。じぶんたちの都合のいいように解釈して、こっちのことなんか考えもしない」


 すぐとなりにいるわたしにしか聞こえない、低くうなるようなつぶやきがあった。


「俺たちに家族がいたとか、どんな思いでどうやって生きてきたとか、知ろうともしないで……」


 フードの影で、サファイアの瞳が嫌悪感をにじませている。


「いつも殺せ殺せって無責任にわめくのは……じぶんじゃどうにもできない臆病者ばかりだ」


『悪魔』として虐げられてきた過去が、怒りにふるえる言葉を、ノアにつむがせたのかもしれない。


 そっか。そうだよね。


 わたしもノアの立場だったら、意味もなく嫌われて、酷いことをされて、つらいってレベルじゃないと思う。


「ありがとう、ノア」

「……リオ?」


 胸がモヤモヤしていたのは、『わからなかったから』だ。


 どうして怪我をしているのか。

 どうしてそうなったのか。


「エル!」


 わからないから、わたしは。


「考えがあります。わたしに任せてください!」


 ──知りたいんだ。ワイバーンあの子のことを。



  *  *  *



 ──リオの夢はなに?


 ふとしたとき、ノアの問いが頭をよぎる。


 わたしの夢は、傷ついていたひとをわたしが作った薬で助けて、みんなをしあわせにすること。


 でもね、いまは、ちょっと違う答えになるかな。


 わたしが助けたい『みんな』は、人間もモンスターも関係ない。


 傷ついて、苦しい思いをするのは、おんなじなんだからって。


「考えがあるとは、具体的にはどうするつもりですか? リオ」

「薬術師ができることなんて、決まってるでしょ?」


 にっと口角をあげて答える。


 ふり返ったエルは、知性のある蜂蜜色の瞳で、じっとわたしを見つめている。


「おいおい、お嬢ちゃん、まさかとは思うがワイバーンを治療する気か? 助けたところで襲われたらどうする!」

「そうなったらそのときです」

「あいつのために危険をおかす義理はねぇだろ、やめとけ!」

「しゃらくせぇ。義理はないけど理由ならあるんだよ」

「んなっ……」


 おっと、つい口調が荒くなってしまった。


 でも、ぎゃあぎゃあ反論してきたおじさんが面食らったようにおとなしくなったから、まぁいいや。


「わたしは薬術師。傷ついて苦しんでるだれかがいるなら、放っておけないの!」

「待ちなさいリオ、危険です……!」


 わぁっとまくし立てたら、案の定、エルに制止される。


 だけど、エルの伸ばした手が届くことはなかった。


「リオの邪魔をしないでくれる?」


 ノアがあいだに割り込んで、エルにとおせんぼうをしたんだ。


「きみは、彼女が危険な目に遭っても平気だっていうんですか?」

「あんたは、リオのことをよく知らないから、そんなことが言えるんだね」

「……なんですって?」

「平気なわけないでしょ。だけど、俺が止めてもリオは行くよ。リオはああ見えて、頑固なんだ。だれかを助けたいって必死になったリオは、だれにも止められない。それは、俺がよく知ってる」


 エルが押し黙る。


 ちょっとノア、それってどういう意味? わたしが猪突猛進ってこと? なんて可笑しくなっちゃう一方で、じんと胸が熱くなる。


「大勢で取り囲むと刺激しちゃうので、みなさんはそこで待っててください!」


 こころの中でノアに感謝しながら、わたしはテディブラウンのローブをひるがえした。



 ぶっちゃけさ、怖いよ。


 鋭い爪でザックリやられたり、頭からガブッと食べられたらどうしようって、内心ビビってる。


 でもさ、そうやって生まれたての子鹿みたく足がふるえてるのに、行かなきゃって思うの。


 助けたいって想いで頭がいっぱいになって、それ以外なんにも考えられなくなるの。


 いまのわたしを突き動かしている原動力。


 物好きだって笑いたいなら、好きにすればいい。


 わたしは、わたしにしかできないことをするだけ。



  *  *  *



「こんにちは!」


 近くまでやってきて、まずはあいさつ。


 当たり前だけど、返事はない。


 のそりと億劫そうにクリムゾンレッドの頭を持ち上げたワイバーンが、感情のない瞳でわたしを見つめている。


 真正面で向かいあったわたしたちの距離は、目測で10メートル。わたしの手は届かないけど、ワイバーンのファイア・ブレスなら射程圏内だろう。


 ふつうのか弱い女子だったら、怖がってぐすぐす泣くところだろうね。


 でもおあいにくさま。生まれてこのかた18年、図太く生きてきたわたしをなめんなよ。


「よいしょっと……」


 肩にかけたストロベリーピンクのマジックバッグを正面に持ってきて、リボン型の留め具をパチンと外す。


 ガサゴソと中からさぐり当てたのは、目にやさしいいちごみるく色の液体が入ったガラス瓶だ。


 キュポンとコルク栓を抜いたそれを、高々と頭上にかかげてみせる。


「じゃじゃーん、リオさん特製、経口ポーションです! これを口にしたらあら不思議、一瞬で痛いのとバイバイだ! ちいさなお子さんでも飲める甘いチーゴ味。試してみる? そぉれ、うりうり~」


 ワルイ顔をしながら、にじり寄る。どこの押し売り商法よ。我ながら笑える。


 これ、頭から食べられるかなぁとか思ったりもしたけど、いまはそんなこと、どうでもよくなった。


 だってさ、わたしがじりじり近寄っても、ワイバーンが攻撃してこないんだもん。


 なんだこいつって、若干引いた目で見られてはいるけどね。


 それってたぶん、わたしのことを取るに足らない雑魚だって認識してるからじゃない。


「前置きはこのくらいにして」


 おバカみたいな声をひそめて、そっと語りかける。


「きみ、人間わたしの言葉がわかるんじゃない?」

「──!」


 ──殺せ!


 おじさんたちが叫ぶたび、つらそうにうずくまっているように見えたのは、わたしのかん違いじゃなかった。


「きみがほんとうに凶暴で野蛮なモンスターなら、わたしなんかいまごろ、八つ裂きで丸焦げになってる」


 でも、このワイバーンはそうしなかった。飛んできたクロスボウの矢だけを器用に燃やして、不意をつかれたおじさんがよけられるくらいのスピードで、尾の攻撃をくり出していた。


 重傷を負っていて、うまく力のコントロールなんてできないからだだろう。


 なのにワイバーンの攻撃は、わたしたちが傷つかないように、どれも絶妙にコントロールされていたんだ。


『傷つけたくない』って相当な精神力がないと、できないことだよ。


「きみは、やさしいんだね」

「……ッ」


 なに言ってんだなんて、言わせないよ。


 わたしの言葉に、はっと身じろいだきみが、凶暴で野蛮なモンスターなわけがない。


「でも、諦めちゃったら終わりだよ」


 呆然と薄く開いたままだった口のすきまから右手を突っ込み、ガラス瓶の中身をひっくり返す。


 とろりとした液体が舌の表面にある毛細血管から染み込んでいき、やがて、ワイバーンがとろんとまぶたをおろす。


(よかった、効いたみたい)


 このポーションの作用は、鎮静効果。


 右手を引き抜けば、ワイバーンがうとうととうずくまったから、ちょうど目線にあった長い首の付け根をなでる。


 エナメル質の鱗で覆われたそこは、ツルツルしていて、思いのほか手ざわりがいい。


「いまだけでいいから、わたしを信じてね」


 わたしが、治してあげるから。


 そうと決まれば、必要なものをマジックバッグから取り出す。


 まず、使い捨てディスポのマスクとグローブ。ワイバーンの血液には毒性があるって魔法薬学の指南書で読んだから、必須装備だ。


 次に、魔法瓶マジックボトル。ペットボトルサイズだけど、『空間圧縮』と『重量軽減』の魔法がかけられていて、バスタブ1杯分の容量がある。


 わたしはいつもこの中に、生理食塩水を入れている。傷口の洗浄に使うためだ。


 これなら血漿けっしょう浸透圧とおなじ──要は、わたしたちの細胞組織とおなじ成分だから刺激がすくなくて、ふつうに水で洗浄するより痛みも和らぐってこと。


(人間とモンスターじゃ体内の塩分濃度は違うはずだけど、人間用の経口ポーションが効いたなら、大丈夫なはず)


 ワイバーンのまわりをぐるりと一周するように、傷の有無と程度を確認するとともに、傷口を生理食塩水で洗浄していく。


 足や胴体、尾にあった傷は、手持ちの低級ポーションを30本空にしたところで、ほとんど完治した。


「問題は……よし。ちょっとごめんね!」


 ブーツを脱ぎ捨て、裸足でワイバーンのからだをよじ登る。

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