【シカゴ近郊】
正午を回った頃合だが、真昼の明るさからほど遠い天気だった。月獣が現われてから、シカゴ上空の雲量が増え始めていた。このまま推移すると、航空機の行動に著しい支障を来たす恐れが出てくる。悪天候下では、いかに優れた爆撃機でも命中率が低下してしまう。人類が
連合国軍は新たな脅威に対して何ら有効な手を打てずにいた。頼みの綱の反応爆弾は、月獣の攻撃によって阻止されている。航空戦力を投入できないとなれば、後は地上戦力で対応するしかない。
手っ取り早い選択は、合衆国第6軍の主力を差し向けることだったが、アルカトラズの臨時大統領府から待機命令が出ていた。第6軍司令官のパットンは例によって、罵倒めいた言葉を吐きつつ、命令に従い、彼に付き従う幕僚は額に冷や汗を浮かべた。かの将軍は、相手が上位であるほど傲岸になる傾向があった。
総司令官のマッカーサーは、珍しくパットンと似たような心境にあった。もっとも彼は口汚く罵ることはしなかったが、この措置に明らかに不服だった。エクリプス作戦における指揮権はマッカーサーにある。第6軍に対して、自身を飛び越えた命令がでるなど屈辱以外の何者ではなかった。それは明らかにマッカーサーに対する不信を意味していた。
デンバーの幕僚陣は黙り込んだコーンパイプの男を囲みながら、気を揉んでいた。彼等にしてみれば全てが理解不能だった。
なにゆえ、
◇
本郷中隊は、まだシカゴ郊外にある
八号戦車マウスから降り立ち、本郷は空を見上げた。その顔は空の色と同様に曇っている。
「まずいな……」
このままでは味方の航空支援をまともに受けられなくなってしまう。
本郷の元に先任将校の中村中尉がやってきた。彼だけではなく、各小隊の指揮官が集まってくる。彼等が取るべき行動について、本郷は決断しなければならなかった。
「隊長、各隊の点呼は完了しました。落伍者は居ません」
本来ならば、敬礼すべきところを中村は省略した。陸軍時代から身につけたくせだった。本郷は気にもとめかった。中村に限らず、本郷中隊の士官は非常時に敬礼を略すよう、訓示を受けている。
「ありがとう」
本郷は鷹揚に肯いた。その口元には笑みを浮かべている。家長のような威厳と頼もしさを感じさせるものだった。各小隊の指揮官は幾分か肩の力が解けていくのを感じた。
「それで、いかがしますか?」
中村はシカゴ中心部へ目を向けた。遠方から地響きが伝わってくる。彼の視線の先には
「六反田閣下から新たな司令は受けていない」
本郷の言葉に各隊の指揮官が肯いた。彼は各自の顔を見回すと、一気に続けた。
「つまり、我々の任務は変わらないということだ。別命があるまで、<宵月>の行方を確認し、可能な限り支援する」
「それでは、再度シカゴへ突入しますか?」
半ば戯けるように中村は言った。本郷は口角を上げなら、首を横に振った。
「いいや、その前に<宵月>に無線で呼びかける。君はビスマークにいる矢澤中佐と繋がらないか試してみてくれ。あとは……」
本郷の瞳に、蠢く巨影が映し出された。
「あれをどうするかだな」
「相手にしますか?」
中村が茶化そうとしたが、不発に終わった。声が裏返っていた。他の小隊長達から失笑が漏れ、思わず本郷も苦笑した。
「いいや、やめておこう。僕の戦車でも、流石にあれの相手は無理だろう。まあ―」
戦車に限らず、あの月獣を倒せる手段があるのか怪しいところだった。
―反応爆弾でもだめだろうか。
本郷は反応爆弾が作動した直後の光景を見ていなかったが、合衆国側の無線傍受によって、大よその状況は掴んでいた。彼は反応爆弾の戦果について、アルカトラズやデンバーとは異なった見解をもっていた。限定的だが、反応爆弾の有効性を認めてよいのではないかと思っていた。
―シカゴBMから出てきたのは、反応爆弾の影響によるものではないか。もし、爆弾の威力に耐えかねて、あの化け物が出てきたとしたら……。
ふと、本郷は我に返った。
―僕は何を考えている。他にやるべきことがあるはずではないか。今さら
己の妄想を振り払ったときだった。月獣の背面から無数の黒い線が放たれるのが見えた。正体を確かめる間もなく、本郷は事態の急変に対応しなければならなかった。
銀翼の機体が黒煙を上げながら降下してくるのが見えた。それは加速度的に高度を下げながら、旋回し、やがて本郷中隊が集結するグラウンドへ針路を向けた。
◇
このとき、B-29"トール2"の機長の目には
トール2は自力で帰還不可能な状態だった。右主翼にある二発の
機長は自由が効かなくなりつつある操縦桿を操りながら、機体がロールしないように平衡を保ちつつ、グラウンドへ向けて着陸態勢をとった。高度三千メートルを切ったところで、ようやく彼は慌ただしく駆け回る存在に気がついた。見慣れぬ戦車の群れと
「アーメン」
機上と眼下の者に対して、祈りを捧げると、トール2の機長は速度を緩めていった。
高度千メートルをきったところで、一際巨大な
「何を考えている。死にたいのか!?」
トール2の機長は呻くように言った。しかし、彼に結論をだす余裕はなかった。地上は直ぐそこまで迫っている。
高度計が五百を指したところで、車両に刻印された
数秒後、トール2の機体は地表へ
刹那の瞬間に向けて、本郷はマウスを走らせた。百八十トンを越える車体が滑るような動きで
事実、このとき鋼鉄のモノリスは重力の軛から解き放たれていた。マウスの車体を取り囲むように、うっすらと緑の方陣が展開され、車体重量を軽減していた。
『ホンゴー、あれを助ければ良いの?』
車体前部の操縦席からユナモが尋ねてくる。
「ああ、あの銀色の飛行機を無事に降りれるようにしてほしいんだ」
見えない操縦手に向って、本郷は肯いた。内心では拭いきれない申し訳なさと焦りがあったが、おくびにも出さない。
―シカゴ上空を飛び交うB-29など、ひとつしか考えられない。反応爆弾を搭載した……。
確信はなかった。本郷が合衆国軍が派遣したB-29の機数を把握していたわけではない。しかし、十分に予測できる事態だった。合衆国軍がシカゴBM相手に一発の反応爆弾で済ませるとは思えなかった。確実に消滅させるためなら、複数機をもってあたるだろう。
ひょっとしたら、一発目の反応爆弾を投下した機体かもしれないが、そのような保証はどこにもなかった。本郷は悲観論者ではなかったが、
―万が一、墜落によって信管が誤作動したら、ここは地獄になる。
シカゴを一瞬にして灰燼に帰すような威力なのだ。起爆した場合、彼の中隊は壊滅を免れないだろう。
額に汗を浮かべながら、本郷は
もはや双眼鏡を使わずに目視できるほど、B-29は高度を下げている。マウスは黒煙に包まれた機体の横腹へ向けて、突っ込むような針路をとっていた。目測で相対距離は二百メートルほどだった。発動機の音と黒煙の臭いが感覚器を刺激する。
「ユナモ、B-29と並走させてくれ」
マウスの右履帯のギアが回転速度をあげる。右方向への加速度がかかり、本郷は天蓋の縁に掴まって耐えた。
マウスが旋回を終え、本郷の望み通りB-29と並走するようになったとき、巨人機は地面へ胴体からなだれ込んだ。
すぐに右主翼がもぎ取れたのがわかった。着地の瞬間、わずかに平衡が崩れ、右主翼へ負荷が掛かったのだ。右
「
『
マウスから方陣が放たれ、土と黒煙にまみれた機体を包み込んだ。四十トンを越える質量が重力から解放され、機体の回転に徐々に制動がかかる。
B-29は機首がやや右向きになりながら、危なげなく地表を滑走し、ついには完全に停止した。
本郷はマウスを機首へ寄せると、放心している合衆国の二人の操縦士へ向けて怒鳴った。
「