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第十二話   殺し屋

「この役立たずが!」


 孫笑山ことわしは在喜からの報告を聞くと、自分でも分かるほど悪鬼のような形相で怒り狂った。


 そしてあまりの怒りを抑えられず、わしは手にしていた酒の入った盃を壁に勢いよく投げつける。


 ガチャン、と部屋中に甲高い音が鳴った。


「も、申し訳ありません!」


 盃をぶつけた壁のすぐ横には、深々と頭を下げた在喜がいる。


「あれだけ威勢の良いことを言っておいて、未だに懐刀の誰1人もこの世から消していないとはどういうことだ! しかも龍信の小僧に至っては、公衆の面前であっさりと返り討ちにされたらしいな!」


 この愚図が、とわしは唾を飛ばしながら叫ぶ。


「貴様、どうせ安い金で雇える破落戸のような連中を差し向けたんだろう?」


 ビクッと在喜は身体を震わせた。


「馬鹿が……1番最後に追い出した龍信はともかく、他の連中は一足先に追い出したんだ。そうなると、一緒に行動している可能性が高いことなど分かるだろ。少なくとも警備隊長の白騎がいれば、破落戸どもで殺せるわけないだろうが」


「そ、その件につきましては深く反省しておりまして……」


 ふん、とわしは鼻で笑った。


「反省なんぞは大道芸の猿でも出来るわ。大事なのはどう落とし前をつけるかだ」


 わしはギロリと在喜を睨みつける。


「まさか、貴様は自分の失敗の報告だけをしに来たわけではないだろうな?」


「も、もちろんです」


 在喜は頭を下げ続けたまま答える。


「では、どうするつもりだ?」


「正式な殺し屋を差し向けます。それも道士の殺しも請け負う凄腕の殺し屋です」


「道士の殺しも請け負う殺し屋だと? そんな酔狂な殺し屋がいるのならば、今すぐにでも顔を見たいわ」


 わしは一先ず落ち着くため、在喜を睨みながら卓上の上に置いていた別の酒器を手に取ろうとした。


 しかし――。


 わしの手が酒器を掴むことはなかった。


 おかしい。


 たとえ卓子の上を見なくても、どこに酒器があるかなど分かっていたので、スカを食らうことなどあるはずがない。


 などとわしが思ったときだ。


「ほう、中々に上等な酒だ。今の俺には飲めないのが口惜しい」


 と、後方から聞き慣れない男の声が聞こえてきた。


 わしはあまりのことに椅子から飛び上がり、慌てて身体ごと振り返る。


「――――ッ!」


 そして、今度こそ本当に驚愕した。


 いつの間にかそこには、酒器を手に取っていた黒ずくめの異様な男が立っていたからだ。


 わしは驚きながらも、黒ずくめの男の全身に視線を這わせた。


 目元だけが見えるように漆黒の頭巾を被っており、着ていた衣服もそうだが両手にも漆黒の手袋をはめている。


 体格はそれほど立派ではない。


 どちらかと言えば痩せているほうだ。


 しかし、そんなことはどうでもよかった。


 黒ずくめの男を見てから、全身の肌の粟立ちが止まらない。


 まるで生きた死体のような不気味さが伝わってくる。


 それでも尋ねないわけにはいかなかった。


「何だ、貴様は! どこから入ってきた!」


 この当主の部屋は屋敷の2階にあり、開けっ放しの窓はついているものの、窓の外には足場になるような屋根などは一切ない。


 それでも窓から侵入しようとするのならば、縄のついた鉤爪などを使って侵入しなければ不可能だろう。


 だが、そんなことをされた気配も音もまったくなかった。


 まさか、この男は幽霊のように壁をすり抜けて部屋に入ってきたのだろうか?


 そんなことを考えたとき、わしはもっと重要なことを聞くべきだと気づいた。


「いや、それよりも……貴様は一体何者だ!」


 黒ずくめの男は答えない。


 代わりに在喜が「笑山さま、その者でございます」と答える。


 わしは顔だけを在喜のほうに振り向かせる。


「その者の名は無明むみょう。先ほど申し上げた、道士の殺しも請け負う凄腕の殺し屋でございます」


 黒ずくめの男――無明は低い声で笑った。


「驚かせたようで悪かったな。どうやってこの部屋に入ったかは教えられないが、後ろから気配を殺して近づくのが癖になっているんだ……まあ、そう言うわけでよろしく頼む」


 何て不気味な殺し屋だ。


 わしは冷静さを取り戻したように装うと、ドカッと椅子に座り直した。


「無明と言ったな。何にせよ、まずは依頼人に対して顔を見せるのが筋というものだろう?」


 無明の両目が糸のように細まった。


「俺の顔が見たいと?」


「当たり前だ。互いに顔を見知っているからこその契約だろうが」


 一拍の間を空けたあと、無明は「いいだろう」と返事をする。


「そんなに見たいのなら見せてやろう」


 そう言うと無明は、自分の顔を隠していた頭巾を取り外した。


 ひいっ、と在喜の悲鳴が上がる。


 一方のわしは悲鳴を上げることも出来なかった。


 無明の素顔のあまりのおぞましさに、悲鳴を上げるという行為すらも頭から抜け落ちてしまったのだ。


 魚鱗ぎょりんと言えばいいのだろうか。


 肌色である本来の皮膚が、目の前の無明においては魚の鱗のようになっていたのである。


 こいつは人間に化けている妖魔なのか?


 ふとそんなことを思ったとき、無明は「安心しろ」と告げた。


 同時に無明は、再び頭巾で目元以外の顔を覆い隠す。


「俺は妖魔なんかではない。少しばかり特殊な薬を使って修行をしたせいで、身体全体の皮膚がこうなっただけだ」


 それよりも、と無明は話の続きを促してくる。


「肝心な俺が仕留める標的のことを教えてくれ。わざわざ俺に依頼してくるということは、道士か道士並みに手強い相手なんだろうな?」


「う、うむ……」


 わしは喉の滑りを良くするため、1つだけ咳払いをする。


「警備隊長だった白騎は道士並みに強いが道士ではないな。しかし、龍信の小僧は最低等級とはいえ道士だ……」


 と、口にした直後だった。


「りゅうしんだと!」


 無明は龍信の名前を聞いた途端、目の色を変えて食いついてきた。


「しかも、そのりゅうしんは小僧だと言ったな! 年はいくつぐらいだ!」


 わしはたじろぎながらも、「確か今年で18だ」と答える。


「あと1つ聞きたい。そのりゅうしんという小僧は、柄の先端に【壱】と書かれた奇妙な剣を持っているか?」


「あ、ああ……持っている」


 わしの返事を聞くなり、無明は狂ったように笑い始めた。


 やがて無明は、わしに「無料だ」と言った。


「これから受ける依頼――特にりゅうしんという小僧を殺す報酬は無料でいい。何だったら他の連中の殺しも半額で請け負ってやる」


 わしは思いがけない無明からの提案に目を丸くさせる。


「一体、なぜだ?」


「知れたこと」


 無明は全身から凄まじい殺気を放つと、手にしていた酒器を握り潰した。


「りゅうしんという小僧は、俺の大切な家族を殺した仇だからだ」 


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