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第五十六話  紅蓮水晶

「小僧、何をする気だ!」


 魔王は破山剣に集中させた膨大な精気に危険を感じたのだろう。


 下半身の黒狼が遠吠えを発するや否や、死体を踏み潰しながら疾風の如き速度で俺に襲い掛かってくる。


 ――変化する時間まで残り8呼吸分(約40秒)。


 俺は魔王からの攻撃を避けるため、その場から素早く移動した。


 それでも魔王の機動力は凄まじく、あっという間に俺の間合いの近くにまで接近してくる。


 ――変化する時間まで残り6呼吸分(約30秒)。


 次の瞬間、一陣の黒い風が横薙に飛んできた。


 蝙蝠の翼による攻撃だ。


 俺は凄まじい速度で向かってきた翼による攻撃を、間一髪のところで身を屈めることで回避する。


 しかし、魔王の追撃は終わらない。


 続けざま黒狼による口撃が襲い掛かってくる。


 ――変化する時間まで残り4呼吸分(約20秒)。


 俺は口撃の時機を冷静に見計らうと、助走も無しに跳躍して黒狼の額に飛び膝蹴りを食らわせた。


 そして俺は飛び膝蹴りを放った直後、そのまま黒狼の額を足場にして魔王が憑依している無明の肉体に連続蹴りを見舞っていく。


 当然のことながら、一蹴ごとに〈発勁〉を加えることは忘れない。


 ――変化する時間まで残り2呼吸分(約10秒)。


 そのまま俺は相手の肉体を駆け上がりながら蹴りを繰り出し、最後に脳天へと蹴り込んだ反動を利用して天高く跳躍する。


 いや、それは跳躍と言うよりも浮遊だった。


 精気練武の1つ――精気に浮力を持たせる〈軽身功〉である。


 この重力を半ば無視した動きが可能な〈軽身功〉によって、俺は通常よりも長い滞空時間を維持しようとしたのだ。


 すべては遁龍錘とんりゅうすいに変化させる時間を稼ぐため。


 やがて俺が天井近くまで〈軽身功〉により飛び上がると、条件を満たした破山剣は陸番目の形状武器――遁龍錘へと姿を変えた。


 よし、と俺は遁龍錘を持つ手に力を込める。


 食らえッ!


 そして俺は真下にいる魔王に向かって、このときを待っていたとばかりに遁龍錘を勢いよく投げ放った。


 遁龍錘は重力に従いながら魔王へと落下していく。


 そんな遁龍錘は空中で本来の効力を発揮した。


 遁龍錘の先端についていた3つの金の輪が弾け飛び、魔王を取り囲むように空中で静止したのだ。


 それだけではない。


 急激に伸びた鎖が3つの金の輪の中に走り抜け、魔王の身体を完全に包囲する3角形の結界へと形成されていく。


 もちろん、遁龍錘の力はこれだけではなかった。


 魔王の身体を空中で包囲した直後、遁龍錘の鎖は一気に縮んで魔王の肉体を蝙蝠の翼と黒狼ごと締め付けたのだ。


「な、何だこれは!」


 魔王の口から狼狽した声が漏れる。


 当たり前だ。


 遁龍錘は相手を完全に包囲できれば、それこそ本物の龍さえも捕獲できる形状武器である。


 いくら西方の魔王とはいえ、そう簡単に脱出することは不可能なはず。


 俺は〈軽身功〉によってゆっくりと下降していく中、遁龍錘に捕獲された魔王の動向を視認する。


「おのれえええええ――――ッ!」


 魔王は自分の身体を締め付けている遁龍錘に困惑していた。


 力任せに引き千切ろうと身体を悶えさせるが、魔王が抵抗すればするほど遁龍錘はその力を外へ外へと逃がしていく。


 もはや魔王は完全に遁龍錘によって動きを封じられていた。


 ここだ!


 俺はカッと目を見開き、〈軽身功〉を解いた。


 すると俺の身体は本来の重力に従って急速に落下する。


 その最中、俺は懐から魔道具を取り出して体勢を整えた。


 すぐに俺の身体は2呼吸分(約10秒)も掛からずに、遁龍錘から脱出しようと足掻いている魔王の肩へと降り立つ。


「小僧!」


 魔王は凄まじい殺意を乗せて吼えるが、俺はそんなものは無視して装飾部分から赤い石――紅蓮水晶を剥ぎ取った。


 10……9……8……7……


 同時に頭の中で10から1へと数を逆に数えていく。


 俺は平衡を保ちながら5まで数を数えたとき、筋肉で盛り上がっていた魔王の肩を足場にして再び〈軽身功〉を使って飛んだ。


……4……3……2……


 そして俺は空中で魔王を凝視しながら2まで数を数えたとき、魔王の頭部に向かって紅蓮水晶を投げつけた。


 ……1……


 俺は床に着地したと同時に、さらに床を強く蹴って魔王から遠ざかる。


 その直後だった。


 ドオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッ!


 けたたましい音とともに紅蓮水晶が爆発し、大広間全体を激しく揺れ動かすほどの衝撃波が周囲に広がったのだ。


 俺やアリシアを始めとした、爆心地の中心に近かった人間はその爆風によって吹き飛ばされた。


 けれども、吹き飛ばされたのは生きている人間たちだけではない。


 床に散乱していた大勢の死体も四方八方に吹き飛ばされたのである。


 どれぐらいの時が経っただろうか。


 床に這いつくばっていた俺は、キーンとする耳鳴りを無視して周囲を見渡す。


 すぐ近くにはアリシアが俺と同じく地面に這いつくばっていた。


 どうやら意識は失ってはいないようだ。


 爆発する寸前に亀のように身体を丸め、爆風と衝撃波から自分の身を守ったのだろう。


 続いて俺はアリシアから魔王へと顔を向けた。


「――――ッ!」


 俺は口を半開きにして唖然とした。


 何と魔王は大広間全体を揺るがすほどの爆発を受けながら、依然として肉体の原型を留めていたのだ。


 しかし、やはり無傷とはいかなかったのだろう。


 無明の肉体、蝙蝠の翼、黒狼にいたるすべてが黒焦げの状態になっていた。


 半死半生とはまさにこのことを言うに違いない。


 などと俺が思ったとき、魔王の肉体を拘束していた遁龍錘がバラバラに砕け散った。


 壊れたわけではない。


〈七星剣〉を使う際の条件を満たしたので、再び壱番目の形状武器である破山剣へと戻ったのだ。


 そして破山剣は再び俺の手元へと飛んで戻ってきた。


 これで終わりか?


 俺は黒焦げとなった魔王をただひたすらに見つめた。

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