「魔法の基本とは掴むことからである……か」
決闘の数日前。陸島鉄明は男子寮の裏手にある山の中にいた。
世間一般で出回っている本とは形態の違う一冊の本を手に読み進めながら陸島鉄明はうなずいていた。
――魔法の基本とは、掴むことである。まず一般的に、魔法とは魔女が持つ基本的魔法エネルギーが形をなして顕現したものである。この基本的魔法エネルギーというのは例えるなら透明な概念であり、名称として『芽無』という名前が古来よりつけられている。ここより魔女それぞれが持つ術式や呪文、個々の魂が持つエネルギーが交わって魔法は顕現する
「なるほど。魔力の基本とは掴むこと。それで……掴むってのは」
文字の海を目で泳ぎながら本のページをめくる。
そして目的の文字列を見つける。
――芽無の存在を捉えることは魔術師にとって基本である。あるがままの魔力を、内的宇宙にあるそれを知ること。外の世界にあるそれを知ること。そこから魔術の行使は可能となるのだ。
「ふむ……ふむ。となると基本的な事と言えば――」
それからはひたすらに無数の本の無言な発言を目で追っては実行を繰り返した。
理解、実行、理解、実行。ひたすらそれを一般的な高校の授業の合間を縫ってただただ実践していた。
初めのころはミミズのような蔦も気づけばホースくらいには太くなり、地面を動かし、ある程度は隆起できるようになった。
「あら、頑張ってるみたいね」
「ん?」
その日もいつものように山中にて修行していると、陸島の近くに一人の女性が姿を現した。
服装は薄手の淡い紫のカーディガンにチノパンを履いた女性。年は四十前後の女性で名前は三田川潤子(みたがわじゅんこ)。
陸島が今住んでいる男子寮の管理人でもある。
「魔術の基本はもうばっちりって感じかしら?」
「ええ、ある程度は」
陸島は魔術の本を片手に地面に向けて手をかざした。
すると手のひらより太陽のようにじんわりと光が溢れ、次に地面からは一本の蔦が伸びる。
「おお……。飲み込みが早いわね」
陸島がまだ駆け出しの魔術師とはいえ、その上達ぶりに三田川は驚きの声を上げる。
「これだけではないですよ」
今度は伸ばした手をぎゅっと握る。
次に起きたのは地面から鳥の嘴のように鋭い槍の物体が勢いよく飛び出す。
「これもできちゃったのね。私も大地に連なる魔術師だからわかるけど、ここまで早く魔法を使えるようになった子は陸島が初めてかしら」
「足りませんよ」
「というと?」
「大地であれば周囲の足場そのものへの影響や蔦の群れの召喚とか。後は各々が持つ固有の魔法の存在……あの流山ってヤツ、忍者の末裔とかだそうで」
「ええそうよ。他には何か学んだの?」
「……魔法というのでしょうかね。これは」
それまでの姿勢を解き、陸島は拳を握って両腕に力を込めた。
一つ呼吸を済ませて、彼は三田川を向いた。その瞬間の彼の様子を見てにやりと笑った。
「ああ、ソレなら勝機はあるかもね。貴方が日ごろから鍛えているというのなら――」
修行の日々を思い返し、陸島は正面の流山椿を見据える。
陸島の予想以上の戦いぶりに彼女は後ろに飛ぶと、大蒲のフロウに乗って態勢を整えていた。
「ふん、どうやら態度だけじゃなかったようですね!」
「そっちもな。小さいくせによくやる」
「なんですとー!?」
プンスカと切れている彼女をよそに陸島は深く息を吸った。
刀を八相の構えに持ち替えながら
(よし。やるか)
――己が宇宙に住まう亜の流れを見据えろ
息を吸いながら体内に流れる魔力へ意識を合わせる。
――世界より賜りし、流れる魔力の奔流を掴め
視界に彼女と大蒲を捉える。
――肉体に魔力を、そこにある己を構成する血肉に力に注げ!!
(ん?あいつ何を――)
深呼吸に疑問を覚えた次の瞬間だった。
鬼気発する表情よりそれは放たれた。
「キエェェェェーーッ!!!」
「うあっ!!」
大声が、空を割くような大声が流山と大蒲を襲う。
その大声に両手で耳を抑えざるを得なかった。
(これは……まさか猿叫!?)
猿叫。
気合の掛け声の一種で薬丸示現流と呼ばれる剣術において発せられる掛け声。掛け声を上げる理由は初の太刀において相手を粉砕するために発せられる。その破壊力はかなりのもので振るわれた相手は防ごうとした刀ごと、頭部にめり込まれる一撃が入るとされる。
「ぐうっ!?」
「キャァッ!?」
「うっ!?」
叫び声は耳を塞いだ流山よりも遠い観客席にいた萩野と相原にも届き、彼女らもまた陸島の発した猿叫に耐えられずに耳を塞いだ。
(り……陸島君。刀を持ってたようだけどまさか示現流を知っていたか。いややはりというべきか。観客席にいる私と相原さん、それに干木先輩にまで届くとは。しかしこれは――)
大地の魔法エネルギーは大地の子供である人間にも流用可能でそれを人間に流せば肉体強化につながる。陸島はこれに目を付けた。その結果彼の放った猿叫は魔力エネルギーを伴い、聞いた者達に耳を防ぐことを強いる。
「ああもうそんな奇声ごときで――」
流山が一方、声が消えたときに陸島はその場からいなかった。
(え!?やつはどこに!?)
左にもいない。右にもいない。上を見る。陸島が飛んでいる。
今度は足に込めたエネルギーで跳躍。持った刀を勢いよく流山に振り下ろさんとしていた。
(しまった。間に合わない――)
刃が振るわれる。かち割り待ったなし。死の瞬間はそこにあった。
「ゲロッ!!」
乗っていた大蒲は流山を振り下ろし、刃をその身に深く受けた。
主人の身代わりになったのだ。
「フロウッ!!」
主人を、友達を守らんとした大蒲は痛みを堪えてついにはその場から消えた。口寄せによって呼ばれた大蒲は深い傷のためにその場から消えざるを得なかった。
「お前……よくも私の友達を!!」
「戦場で何かを失うのは必然だろうが!!」
激昂する流山に負けじと睨み、刃を向ける。
「ならお前も苦しめ!!」
両手にて印の連鎖を結び、彼女は新たな魔術を、忍術を行使した。
結びを終えたとき、周囲の空気が潤いだす。
「なんだ?この湿り気――」
水が何もない空間から溢れ、陸島はその中心に囚われる。
「ゴボッ……」
息をしようにもできないその空間。たちまち彼を待つのは死の抱擁。
(コイツ、周囲の水分を集めて水にした!?)
「水の檻にて溺れ死ね!!」
怒りのままに振るわれた術。
陸島は脱出のために両手両足を振るおうにも逃げ出せずにいた。
(これは……水流か?いくら腕を振っても足を動かそうとしても動けない……。まずい。息が――)
苦しみが体を駆け巡る。
「これは……まずい」
「ええ。あれは水牢の魔術。対象を水で囲って動けなくして窒息させる技。まさかあれを使えるなんて……!」
萩野と干木は水の中に閉じ込められた苦しむ陸島を見て冷や汗を流す。
(陸島君……)
相原も同じだった。
その場にいた誰もが陸島の敗北を感じていた。
――ああ、今度こそはこれで負けか?違う……負けてはだめだ。失う。失う?そうだあの時のように。力だ。力がいる。敵をすべて粉砕し、殺しつくすその力が
脳裏に浮かぶのはテーブルの上に置かれた三つの包み。
紫色の布で包まれた三つの直方体。
人だったものの
(あいつらが何のために俺を守った?思い出せ――)
――力を示せ。我が手を貸そうではないか
水の牢に異変が起きたのは彼がその中で学ランの内ポケットに手を伸ばした時だった。
「無駄ですよ。そんなことで――」
はじける水の牢。息を切らしながら、彼はその中心で右手にそれを握っていた。
「んな……!?そんなことって?!」
驚愕する流山。相原も彼を見て『あ』と声を漏らす
「十手……あの時の?」
「そうか。十手だ!」
何かに気付いたのは萩野。
「あの十手は彼にとって魔力を増幅させる杖の役割。そして彼はこの決闘でまだそんなに魔法を使ってない。咆哮といい蔦といい……おまけにその時はただの刀を持っていた。ここからが彼の本領発揮かもしれない」
魔法というのは一般的に魔導書や杖といった道具を持ちながら行使するというイメージがある。陸島はこの決闘の中で刀を持って戦いに臨んでいた。魔法に関しては蔦を放っていたがそれ限りで猿叫に関しても魔力を込めてはいた。だが杖を使ってそれらを振るったわけではない。
「そういうことですか」
干木も気づく。
「彼は杖を持ってない状態で魔力を振るった。今の彼が杖を持ってそれらを行使するというのなら――」
「ええ。恐らく彼は『基本的なやりかた』で魔法を振るう。魔力もまだあるとしたらこの戦い、まだわからない」
萩野は彼を怪訝そうな目で見る。
――待って。そうなったら逆奈義さんと同じことになるんじゃ?
戦いを見る二人とは違う目で相原は彼を見る。
(鉄の魔法……使う気なの?いや、意識して使えるの?)