嘘をつくのは、もう慣れてしまった。
4月。
ゴールデンウィークの話題があちこちで上り始め、新緑がまぶしいほどに青く茂ってきた。
その美しさとは反面に、わたしは、なんて薄汚れているんだろう。
薬局で、市販の睡眠薬を買った。
小さな箱を、袋の中でそっと指でなぞる。
(これで、少しは眠れるかもしれない)
いつも通りの生活。
誰にも気づかれないように、崩れないように。
無理はしたくない。
でも、無理を隠さずに生きるほど、自由でもなかった。
昼休み。会社の近くの定食屋へ向かう。
「
元気に駆け寄ってくるのは、
隣の席の同僚で、生まれて初めてできた“友だち”。
「どこ行ったのかと思ったよ。早くお昼行こうよ」
「ええ」
わたしは彼女と並んで歩きながら、ほんの少しだけ心が浮いた。
子どもの頃から、友だちは作れなかった。
『
(誰かを巻き込むくらいなら、ひとりでいたほうがマシ)
そう思ってた。でも、心のどこかで――疲れてもいたのかもしれない。
「空手してるから、すっごく強いんだ」
優香の飾らない一言に、なぜだか救われる気がした。
定食屋に入り、いつもの席へ。
彼女は笑いながら唐揚げを頬張っている。
その明るさが、ほんの少しずつ、わたしの中の緊張をほどいていった。
(……友だちと食べるご飯って、こんなに美味しいんだ)
わたしも、唐揚げをひと口。
「ねえ。ゴールデンウィーク、どうするの?」
箸が止まった。
「どうかしたの?」
「ううん。ちょっと、実家に帰らなきゃいけなくて」
「そっかぁ。遊びたかったなー」
優香はあっけらかんと笑った。
(本当は……帰れるわけ、ないのに)
嘘をつくことにも、もう慣れてしまった自分がいた。
そのことに、少しだけ胸が痛む。
ふと、店のドアが開いた音がして、顔を上げる。
営業部の
少しだけ、目が合いそうになった。
でも彼は、優香のほうをちらりと見てから、すぐに視線をそらした。
(まただ)
なぜだろう。
渡辺さんは、いつも優香を見ると、すぐ目を逸らす。
(好きなのかな)
そんな風に思ってしまった自分に、驚いた。
チラッと優香を見ると、何食わぬ顔で卵焼きを頬張っていた。
「ここの卵焼き、甘いのよねー」
気づいていないらしい。
(……わたしだったら、絶対気づくのに)
自分の中に芽生えた、その感情がなんなのかは、すぐには分からなかった。
ただ、“気になる”というだけで、こんなにも揺れる自分が、久しぶりだった。
(でも、これは恋じゃない)
そう言い聞かせて、卵焼きに目を落とす。
ふわりと甘い香りがした。
「どうかしたの? お箸止まってるよ?」
「ううん。なんでもない」
笑いながら答える声が、少しだけ掠れていた。
(……たった数メートル先にいる人に、こんなにも心が揺れるなんて)
「ところで、今夜、飲みに行かない?」
優香の言葉に、もう一度、箸が止まった。
「ごめん。人と会わなきゃいけないの」
ほんの少しだけ、声が震えたかもしれない。
「そっかぁ。残念だなー」
軽く肩をすくめた優香の笑顔。
(本当に、残念ですよ、ボス)
心の中で、ボスに届かない声がつぶやかれた。
(本当は、わたしだって、行きたかった)
でも、“普通の誘いに普通に応じられる人間”には、まだなれそうになかった。