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第1章 ガド砂漠

第1回

「ふーん」


 思い出せる限りの記憶の中から話せる要点だけを言葉にして――当然だが、幻聖宮の問題や蒼駕への気持ちなど見知らぬ者に話せるはずがなく、しかも言葉を選びながらする話は慣れていないせいもあって異様に時間をくってしまい――ようやく話し終えたセオドアに男が返したのは、まるで気の抜けた、どうでもいいような相槌あいづちだった。

 聞きたがったのはそっちのくせにと、むっとくるが、あえて言葉にはしない。


 驚くほどあっという間に暮れてしまった砂漠の夜は、昼間の熱暑とは打って変わって凍るような冷え込みをみせる。熱を保ちきれないからだ。当然それに対処する防具が必要となるのだが、男は唯一の毛布をセオドアに貸し与えて、自分はマントをはおっているだけだ。しかも糧食までわけてもらうという大きな借りができた以上、おいそれと刺激して男の気を損ねさせることはできない。


 砂漠用固形燃料を燃やしての焚き火にあたりながら、セオドアは炎越しに男の観察を続けた。


 この男は何者なのか……。

 先の口振りではどうやら商人らしいが、とてもそうは見えない。第一商人は行商隊をつくって街から街へ移り歩く者たちだ。街の中に店を構えるならまだしも、砂漠や人気のない山道を通らねばならない『《なが》れ』と呼ばれる商隊は、魅魎の襲撃を恐れて、やはり『流れ』の退魔師を雇い、常に集団で移動すると聞く。古い隊にはちょっとした町ほどの規模のものもあるらしい。


 つまり、彼が商人であるのなら仲間がいるはずなのだ。なのに彼は1人で、しかも魅魎から身を守るものとして一般に広く出回っている保護呪の入った物も一切身につけてない。


 時々、集団でいるだけで目立って狙われると考えて、何もかも1人でしようとする無茶な『はぐれ』と呼ばれる者たちがいると聞いたことがあるが、魅魎についてを学んできたセオドアにしてみれば、それは勇敢だとか相当の強者だとかいう以前の、自己過信の強い単なる馬鹿な自殺志願者としか思えない。


 この男も一応短刀は持っているようだし、下級魅魎の妖鬼ようき相手であれば倒せるかもしれないが、これが妖鬼の群れや魎鬼りょうき以上となると、短刀だけではなかなか厳しい。第一に体格が貧弱だ。砂漠に生きる男にしては華奢きゃしゃな方だろう、街の男のように優形やさがたで、筋肉もそれほどついてなさそうだ。上背はせいぜい180そこそこだろうし、ヒールのある靴を履いた今の自分とそう変わらない。


 まあもっとも、自分は女といっても大柄な方だから、よけい貧弱に見えるのかも知れないが。


 しかし案外魅妖みようクラスの相手なら、この容姿で助かることができそうだ。

 紅玉リュビとして、かなり上等の部類に入る瞳は見事の一言に尽きるし、顔の造形もかなりいい。目鼻立ちの一つ一つが繊細で、こうして黙しているところを見ると、実は彼は魔術を用いる彫刻師によって造り出され、命を吹きこまれた彫像なのではないかとさえ思えてくる。


 だが、何より目を引くのはそれらの容貌ようぼうを引き立てて、なお有り余るほどに美しい、その類いまれなる髪だった。


 一見には艶やかな黒と覚しく、その実深い紅であるのが分かる。

 焚き火に照らされ、透けて見える暗紅色の影は、見ているこちらの方が吸いこまれそうなほど神秘的で、強い生命力に溢れており、到底これが同じ人間の持ち物であるとは信じられない。

 どちらかといえば、やはりその力でもって自らの造形までも造り変える上・中級魅魎や、人外のものである魔断刀に近いものに見えるが、彼らが持つ、あの独特の存在感が微塵も感じられないということは、やはり人なんだろう。信じ難いことに。


 そうして人の持つ力を遥かに上回る、強大な能力を持つ、自称不老不死の上・中級魅魎がいつの場合においても最優先とするのは、好奇心と興味。

 実に通俗的だが、美しいものを好むやつらの目には、この男の美貌はさぞや価値あるものとして映ることだろう。


 魅魎が飽きるか、老いて容姿が崩れるかするまでは、喰わずに生かしておいてもらえるに違いない。


「今、変なこと考えただろう?」


 つい、その場面を想像して、ほころんでしまった口元を目ざとく見つけた男が、とがめる口調で言ってくる。


「した」


 想像までは個人の自由範囲だ。包み隠さずした返事に男は撫然とした表情のまま、まじまじとセオドアを見ると、殊更大仰な、実にわざとらしい溜息をついてきた。


「あのな。俺は、あきれてるんだ」


 などと、口を開くのもだるそうに言ってくる。

 どうやら先までのふてくされた様は、それを読み取ってもらいたかったらしい。

 それならそうと言った方が早いというのに、何まわりくどいことをしていたのだろう? 物好きな。


「どうかしたのか?」


 かといってそのまま会話を投げるわけにもいかず、聞き返したセオドアに、男の皿のようになった目が向けられた。


「俺は、おまえが退魔師だという言葉を信じたからこそ安心してたんだ。ところがどうだ? 聞いてみればまだ見習いじゃないか。しかも、なれるかどうかも分からない落ちこぼれだって?

 落ちこむ以上にあきれたよ」


 それは……そうかもしれない。そうかもしれないが、しかし。それ以前にこの男は、言い方というものをもう少し考えた方がいいと思ったことはないのだろうか? いくら事実とはいえ、言い方ひとつで相手に与える印象はかなり違ってくるというのに。(これは自分にも言えることなのだが、この時ばかりは棚上げさせてもらおう。少なくとも私はいけないことだと気にしている)


 嘘のつけない真っ正直な者、という善意的解釈もあるが、あの目! あのしゃべり方! どう見てもあれは完全にけなし文句だ。


 などなど。胸の中で非難を浴びせつつも、表面上は何でもない顔をする。

 鉄面皮と呼ばれ続けた顔は、こういうとき便利だ。


「あさっての感応式をすませれば、わたしはフライアル国の退魔師だ。わたしの力は強いと他の者も言ってくれているし、それだけの訓練をこなしてきた自信がある」


 とは完全に大きなはったりだが、最後の最後あたりはあながち嘘でもない。とりあえず、封魔能力の方は教え長から及第点をいただいていた。もしこのまま退魔剣師になれなかったとしても、退魔封師になってどこかの町か村で職につけるだろう、と。


「国王と聖約をすれば契約金がもらえるから、まずそれをおまえにやる」

「あ、そう」


 焚き火をいじりながら、気が乗らなさそうな返事を返してくる。男の目はまだ疑っているようだが、これ以上、セオドアには何も言うことがなかった。なによりこれで納得してもらえなければ、セオドアとしてもやりきれない。


 まだたった18だ。退魔師として開かれた輝かしい未来の、ほんの入口――正確にはその手前にある山の前だが――で、何が悲しくて大借金持ちにならなくてはいけないのか? しかもそれは自分のせいばかりじゃない。ここへ来たのは、決して望んでではないのだから。


 絶望から自己憐憫の海に溺れそうになったそのとき。パキリと音をたてて男の手が新しい燃料の口を割り、火の中にくべた。

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