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第7回

「……去れだと? この私に向かい、よくもそのような口がきけるものだ。恥を知らぬと見える。

 そのような姿でそんなことをいけしゃあしゃあ口にできること自体がきさまの愚かさの表れよ!

 この土壇場において運良く魔導杖が手に入ったからと、うぬぼれおって。

 私を甘く見たこと、後悔させてくれよう!」


 この程度の縛が何だと言うのだ!


 血走った目で叫ぶ。

 漣の力が爆発的に膨れ上がったと思うや、己を縛り、自由を奪っていた縛を力ずくで解く。

 それにより確かに縛は取れたが、それ相応の打撃を内外に受け、激しい痛みに肩で息をする。


 漣の力の爆発によって吹き荒れた大風にあおられ、目を細めて、彼女は必要以上に猛って必死に自らの力を誇示しようとする漣に、哀れむ眼差しを向けた。


「魅妖よ。今のおまえの力では、にも勝つことはできない。おまえは力を与えすぎた。この町の妖鬼たち、そしてあの魘魅に。

 つい先の折り、その魘魅の消滅をおまえも感じただろう。魂の一部を裂かれる痛みを。

 おまえの時間は終わったのだ」


「終わっただと?」


 憤りという単純な言葉だけでは表しきれない、凄絶な鬼相で、漣は唸る。


「言うは易しと言うが、まさにこのことか。敢えてとどめを刺さずにおいてやったというのに、そのことにも気付けず図に乗りおって……。

 言うにことかいて、この私が負けるだと? おまえとは比べものにもならぬ長き年月を退魔師との闘いにすごし、その全てに勝利してきた私が、たかがつい今しがた目覚めたばかりのおまえごときに負けると言うのか、きさまは!

 ならばその虚言、私を倒し、実あるものにしてみせろ! おまえごときにできるものならな!」


 叫ぶ。そのどうしても隠せないあせりと緊張の色濃い面には、しかしまこうことなく狂喜の色までもが浮かんでいた。


 己が力で目前の敵を完膚なきまでにたたきのめす。その闘いにおける勝利が自分のものであると、盲信しきっているからだ。

 そして、あの味気ない感情のまま数百年生きて、初めて『死闘』のできる相手が現れたとのゆがんだ歓喜と極限の陶酔が、狂気に支配されだした彼女の内を満たし始めている。


「この漣に向かい、そのような口を利いた罰として、人として最上の苦しみをきさまに与えよう!

 もがき、己の力不足を呪って死んでゆけ!」


 雄々しい宣告とともに、再び周囲は凍気の支配する空間と化す。漣の全身から氷でできた刃が放たれた。

 こうなるのではないかと半ば見越していたと、きわどいところでそれらをかわす。それが戦闘開始の合図となった。


 今の自分ではこの者にはかなわないだろう。


 予兆のように、そう訴える己の声が聞こえなくはなかったが、漣はその内なる声を強引に押しつぶした。

 漣が認めずとも、それは事実である。

 彼女が口にした一言一句に誤りはない。たしかに漣は力を短期間にわけ与えすぎている上、長時間に渡る力の放出という疲労を感じていた。周囲に氷雪の嵐を吹かせて氷柱や雪片を放つ、その力も威力にかげりがはっきりと見てとれる。

 なのに、それとは対照的に、己を串刺しにしようと天地左右あらゆる方向から伸びてくる氷柱のことごとくをかわし、あるいはたたき折っている彼女の動きには余裕すら感じられるのだから。


 ただ、彼女には自尊心を捨て、自分より強い存在が――しかも、ずっと取るに足らないと思ってきた人間などに――いることを認める勇気がなかったのだ。


 それだけの強さが、彼女にはなかった。


「目障りだな」


 操主である彼女のつぶやきに応じるように、煌炎牙は一際高くうなりを発した。


 カッと肌を焦がす熱が宙を走ったと思う間もなく、瞬時にして部屋中の氷が溶け、蒸発する。


「なんっ……!」


 その光景が信じられず驚愕に声を上げた漣を見て、彼女は意を決すると即座に間合めがけて走りこんだ。

 雨のように降り注ぐ攻撃から手元を庇うように身を屈め、ひたすら一直線に走り寄る。


 これ以上、魅妖との闘いを長びかせるわけにはいかなかった。


 ああは言ったものの、全身を走る無数の傷と、先からの冷気で凍傷になりかけた指は想像していた以上にひどく、を保つのがつらくなり始めている。

 ここでを失うことはできない。


 なんと脆弱な体か。


 今の自分のほとんどを動かしている、尽きることなく内より噴き出す闘いへの衝動とは裏腹に、全身に受けた傷はさながら数十の獣が喰らいついてでもいるように激しくうずき、一時も緩めることのできない緊張による精神的疲労は極限まで達している。

 すでに所々の細かな感覚は失われ、意識も朦腕とし始めていた。


 敵を前に、なお貧欲に解放を願う力だけではどうしようもない、気力と体力の限界が見える。自身を貫こうと生まれてくる氷柱、その全てを完璧にかわしきれず傷を負う、この目測の誤りがいい証拠だ。


 嘆いたところでどうにもならないものは切り捨て、目前の闘いに集中するべきだと分かっていても、かつての自分とは比べものにならない、というもどかしさに思わず舌打ちが漏れる。


 長い闘いだと思った。悪夢のように続く。どちらかが死ぬまで終わることのない死闘は、ひどく神経を摩耗する。

 だが、だからといって今ここでこの闘いを放棄し、不様に気を失うわけにはいかなかった。


 自分のためだけでなく、この町の者のために。そして、これからこの魅妖によって苦しめられるかもしれない者たちのためにも。


 自分が負ければそれは己の死だけにとどまらず、数十の命がこの世界より無残に奪われることになるのだ。

 それだけは、絶対にさせてはならない!



「魅妖!!」



 命の炎そのものの雄叫びを上げる。相打ちも覚悟の固い決意を阻めるものなど、あるはずがなかった。


「きさまなど、さっさと死ぬがいいのだ!!」


 嘲笑の色濃く叫ぶ、漣自身がそれに変化したように、視界全てを氷の矢が埋める。

 もはやへたにかわし、魅妖に時を与えるわけにはいかない。


 そう決意して直進する、彼女の腕を切り裂き、足を貫き、肩に突き刺さる。かまえた煌炎牙の周囲に飛来するものは届く前に煌炎牙の発する熱で溶けたため、顔や心臓部は避けられたが、それでもいつ死んでもおかしくない深手だった。


 詰めた間合からさらに踏みこんだ右足に力をこめ、心臓部ただ一点をめがけてかがめていた身を伸び切らせる。



「この不浄なる魂を、その煉獄なる炎で焼き尽くせ!! 煌炎牙!!」



 下から生えた氷柱に太股を貫かれた痛みにくじけることなく彼女は絶叫し、応じるように煌炎牙は猛々しく黒炎を吹き上げ――そして、退魔師と魅魎の闘いにふさわしく、その一瞬に、勝敗は決したのだった。



 なぜこれだけの傷を全身に受けながら、このものは動けるのか……。



 自身の胸に吸い込まれるように埋没していく黒刃を、驚愕に見開いた目で見つめながら、漣はそんなことを考えていた。

 同時に、力の源である心臓を貫いた熱い刃先が、彼女に長い長い時間の終焉を告げる。


 時空をはるかに超越した魔性に、この時、ようやく時間が追いついたかのように、その体は腐乱する間もなく塵となって消えた。

 最後に開いた口からは、何も発することなく。

 立ち尽くす彼女へと、それはふりそそいだのだった。




 伝ってきた確かな手ごたえと巨大な妖気の消失に、血の気が失せて青冷めた顔で、ほっと息をつく。

 急に気が緩んだせいか、視界全てが赤く染まり、全身からあっという間にあらゆる力が抜け落ちていく気がした。

 冷たい闇へと落ちこんでいく浮遊感に、もうそろそろ限界のようだとさとる。


 まるで底なし沼へと足を踏み入れたように、膝から力が抜けていった。

 何もかもが萎えてしまい、とても立っていられず後ろへ体が傾いだのがなんとなく分かったものの、どうすることもできない。


 死ぬんだろうか。


 急速に薄れ、散っていく頭の隅で、セオドアは、ふとそんなことを考えた。

 あの場所へ還るのが、自分のさだめなのだろうか。


 何の苦しみもない、安らぎの地へと通じる場所。


 それもいいかもしれない。短かすぎて、ちょっと満足する一生にはほど遠い気もするが、少なくともあの魅妖は倒せた。自分の撒いた種を刈りとることができたんだ。蒼駕もきっと、よくやったと言ってくれるだろう。


 漠然とそんなことを考えていたとき。

 セオドアは、自分の体がだれかの腕の中にあることに気がついた。


 いつまでも瓦礫だらけのゴツゴツした床にぶつかる痛みはこず、かわりのように、力強い腕が自分をすくい上げている。


 ほわんとした、温かな――少々熱いのではないかと思えるほどの――カが注ぎこまれてくる気がした。

 暖かな、好意のこもった優しい力。


「このまましばらく眠ってるといい。疲れただろう」


 耳元でささやかれる。

 心地よい、自分の中にゆったりと満ちてくるその波動と優しい声に、うっとりとなる。


「ああ、そうしようか……」


 夢見心地で頷くと、セオドアは頬に触れる胸に全信頼を預けた。

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