配信にも段々と緊張しなくなってきて春霞の洞窟では二回目の配信。今日は素材集めと新しいレシピ委で持って思っていたが、Maoは隠しダンジョンというには狭すぎるマップを不審に思いスキルの探索を使って周囲を見渡した。
「……ここ、どこ?」
ふわりと耳を揺らしながら、Maoは画面の向こうの視線に微笑んだ。霧が深く差し込む白練の聖域。彼女も、リスナーも、初めて踏み入れる未知の地だった。
『え、こんな場所あるんだ!?』
『聖域……?隠しダンジョンに隠しマップ??』
『Maoちゃんも初見???』
「うん、はじめて。敵の感じ、ちょっと雰囲気違うかも……気をつけて進も。」
凛とした声音の奥に、わずかな緊張が混じる。木々は霧を纏い、まるで息づいているように白い呼気を吐いていた。その奥、根元の陰ふと、空気が変わる。
霧が膨らむ。
音もなく現れたのは、灰白の幻狼――霞牙のファルナグルだった。
霧の中に溶け込むような白銀の毛並み、鋭く光る瞳。口元からは、獣とは思えぬ冷たい霧が吐き出されている。
「っ……! 見つかった…いきなり…来るっ!いきなり戦闘開始とか!?」
姿勢を低くして跳躍。
鋭い牙が霧を裂いて飛来する。
『早すぎ!!』
『いやああああああ』
『Maoちゃん気をつけて!!』
「っ、……くっ!」
短剣で受けるも、霧が視界を歪ませる。攻撃は空を斬り、体勢を崩した瞬間。
「うあっ……っ!」
霧の牙が、彼女の身体を弾き飛ばした。
白練の空へ投げ出され、光に包まれる転送演出。
彼女の姿は、工房へと戻された。
『やっぱ初見無理か……』
『あの狼やばい……』
『でも避け方うまかったよ……!』
「……ふぅ……っ、くやしい……でも。」
家の中からすぐに工房へ移動する。尻尾がしょぼんと垂れているが、目には強い光が宿っていた。
「白練の材、持ち帰れてよかった……これ、使えるよね。」
画面には、彼女が手に入れた新しい木材と、中間素材を配置している様子が映る。クラフトウィンドウが開かれ、慎重に素材を選びはじめる。
『あ、それ初期武器ベース?』
『木材変えて再構築できるの!?』
『え、まって、そんな細かく?』
「うん、元の構造は同じだけど、材質を変えると性能も耐性も変わるの。今回は白練樹を素材化してさらに着色してから武器として組みます……。霧に強い性質があるみたいだから、きっと相性いいはず。」
Maoは素材に応じた染色剤を選び始め、工房のランプが色とりどりのガラス瓶を照らす。
「染色も変える。属性染料で、ちょっとだけ効果が乗るんだよ」
『染色に効果あるの!?』
『知らなかった……』
『ちょっとその辺もっと教えて!』
「たとえば、この水色で『清涼』効果があるの。MPがじわっと回復する。あと、この黄緑は集中力がちょっと上がるからクラフト精度も上がるんだよ。」
彼女が選んだのは、霧と狼に対抗するための四色。
水色の清涼(MP自然回復)
黄緑の集中(クラフト成功率微増)
緑の静寂(発見率小アップ)
薄橙の安定(色ブレ抑制)
「これで、視界とMP、安定性全部ちょっとずつ補える……と思う」
細やかに染色された中間素材が、工房のランプの下で淡く光る。彼女は小さく息を吐き、出来上がった新しい細身短剣をそっと手に取った。
『Maoちゃんすご……』
『そこまで考えて作ってるのか……』
『負けて帰ってきたのに、すぐ見直してここまでやるのほんと好き』
「さぁ!リベンジだ!」
そう言って彼女は立ち上がった。
白練の聖域。
霧の奥、再び現れたファルナグル。
「大丈夫、大丈夫……っ、よし……今!」
タイミングを見計らって武器を振るうが、敵の霧がさっきよりも深い。わずかに届かず、今度は後ろから噛みつかれる。
「……っ、しまっ――!」
数合交えたのち、再び転送。二度目の敗北。
戻された拠点で、しばらく声がなかった。
やがて、Maoは机に顔を伏せてぼそっと呟いた。
「くやし~~~~い……っっ!!」
耳をしおしおと倒して、椅子の上で小さく丸まる。その姿が、配信に映る。
『しっぽwww』
『いや負けてるのにかわいすぎるってwww』
『泣いてるwでも超がんばってるの見てるから好きになるわ……』
『これMaoちゃんの真骨頂じゃん』
「うう……でも……わかったことも、あるし!」
やがて起き上がり、再び作業台に向かう彼女。
コメントが続く中、彼女は配信を完全に忘れたかのように没頭しはじめる。
「属性、霧が反応してた。あれ、もう少し光抑えて、順番も考え直して……。うん、いける……次こそは、いける……」
夜が深まっていく中、工房の明かりだけが静かに灯り続ける。
リスナーたちは、もう攻略を求めていなかった。
ただ、一人の女の子が諦めず挑み続ける姿に、魅了されていた。
明け方近く、ランプの光がやわらかに揺れる中、Maoは三本目の試作短剣を手にしていた。
「……これが、今の私の全力。」
構成、染色、調整。それぞれの段階をリスナーと一緒に重ねたその武器には、霧への耐性と、追尾する光の刃が宿っている。クラフトウィンドウに並ぶ細かな効果欄が、どこか誇らしげに輝いていた。
『これ三本目!?』
『ファルナグル、絶対捕まえよう』
『今日こそ決着つけようね!』
「うん。今度こそおうちにお迎えするんだ!」
画面が再び、白練の聖域へと切り替わる。
霧はさらに濃く、幻のように音もない。しかしMaoの足取りはぶれず、耳もまっすぐ前を向いていた。足音の代わりに、静かな決意が配信に流れる。
そして、再び出会う。
霞牙のファルナグル。
その毛並みの中に一瞬、Maoの姿が映る。
「よし、霧が動く……ここで!」
今回は攻撃を受け流すのではなく、霧の流れごと利用する戦法。反撃のタイミングを完璧に見極め、短剣を滑らせるように振る。
『今の動きキレッキレ!』
『すごっ……!』
『やっぱMaoちゃんって盗賊職じゃなかった?』
「初期武器…だけど私だって!」
回避、追撃、霧を貫く追尾刃。五分以上の攻防の末、ファルナグルの動きが一瞬、鈍る。
その隙を逃さず、捕獲アイテムを展開。
「これで……!」
宙にきらめく、封霧の輪。
吸い込まれるように、ファルナグルが霧とともに消えた。
捕獲成功の文字が浮かぶ。
『やったあああああ!!!』
『すごいすごいすごい!!!』
『夜明けまで頑張った甲斐あったね……!』
「……っ……やった……!」
しばし言葉が出ず、ぽろっと涙がこぼれたMaoが、すぐに袖でそれを拭う。瞳は真っすぐ画面を見つめ、いつもの笑顔に戻っていた。
霧の聖域にて、静かに夜が明け始める。
その光は、画面の向こうの誰かの心にも、そっと差し込んでいた。