翌日に出社(ん?国の機関だった場合、出社じゃなくて、別の言い方があったような)した私は、機知室の皆に一通りの自己紹介が終わった後、すぐにミナセさんと一緒に外回りに出されたの。
「‥‥‥‥‥‥」
ミナセさんは昨日と同じ格好(着替えてないの?)してる。そして車のハンドルを握っているだけ(本当は握る必要もない)。他は特に何もしない。
対向車とすれ違う時も、特にスピードを落とさないで、すれ違っていく。アクセルやブレーキ、目的地までのルートは全てAIが管理しているわけ。
「‥‥‥‥」
AIは間違えたりはしないので、絶対安全だ。
「‥‥‥‥」
この辺は歩行者禁止だから、歩いてる人はいない。私は黙って後ろに流れていく街灯とか、そこに重なって見えるビル、少し遠くにある灰色の空‥‥なんかの景色を見ていた。でも、そこで突然、カクン‥‥って、ほんのちょっとだけ振動が伝わってきて、私はミナセさんの方に顔を向けた。
「‥‥‥‥」
見るとミナセさんはハンドルを小刻みに動かしてる。運転をAIからマニュアルに戻したみたい。
「‥‥‥‥」
信号が赤になって、私は息を飲んだの‥‥ちょっとだけ(一応、信号を見て、ちゃんと止まった)。
もし‥‥もしもミナセさんが操作を誤まったら、すぐ脇のガードレールにぶつかって、下まで落下するか、対向車に衝突してペッシャンコ‥‥。
「‥‥ふん」
なぜかミナセさんは鼻で笑った。
「‥‥何ですか?」
「いや」
ミナセさんは正面を向いたまま含みのある表情を崩さない。
嫌な感じ。
しばらく沈黙の時間が過ぎてから。
「‥‥いや、お前は今、AI管理の車なら、絶対に事故らないのに、なんで不完全な人間操作に切り替えたんだろう‥‥なんて事を考えていそうだなと思ってな」
「‥‥ぐ」
図星だ。何で分かったんだろう。
「ミナセさんさんは運転が好きなんですか?」
そうとしか考えられない。もしマニュアル操作時に事故を起こしたら、それは運転者の人間の責任になってしまうわけだし。
「‥‥いや別に。やらなきゃならないからやってるだけだ」
「運転は自動でやってくれると思いますが。やらなくて良いのでは?」
「‥‥ふん」
私が答えるとまた笑ってる。今度は本当に意味が分からん。
「AIは人間の指示通りの事をする。そこには確かに間違いはないがな」
服の胸ポケットから、何だか小さい四角い物を取り出して、中から出した細長い物を口に咥える。四角い物をまたポケットに戻して、別の金色の小物を出した。
「‥‥‥‥?」
私は隣でそんな仕草をじっと見てる。そうしてミナセさんは、その金色の小物を指で弾く?と、先端から火が噴き出した。
「わ!」
「?」
私は驚いたの。だってそれは当然でしょ? いきなり火を出したんだから。
「新人、そんなにタバコが珍しいか?」
「タバコ⁈」
初めて見た。火をつけて煙を吸う、使い捨ての小さな棒。入手するポイントが非常に高いし‥‥意味が分からん物の一つ。
「‥‥ふー‥‥」
煙を吐いてる。車内はもの凄く煙臭い。顔は何だかゆったりしてるみたいなので、人によってはリラックス効果があるのかもしれないが、私はとっても不快だ。
煙がなくなった頃、ミナセさんはゆっくりとさっきの話の続きを始める。
「‥‥AIは指示された目標に対して忠実なんだ。だから範囲外の事には意外と適当な所もあるのさ」
「‥‥それってどういう事ですか?」
良くわからない。
「忠実すぎるAIの奴らは、目標達成の途中で想定外の事が起こると、奴ら得意の推論で問題を解決してしちまうんだよ」
「それは良い事じゃ‥‥」
「要するに、形式さえ整いさえすれば、内部は勝手に改変する事で、彼らはオッケーとしてしまう。事故が起こったとしても、人間の想定した範囲外が原因だった場合、奴らはそれを事故ではないと認識してしまう。だからその為の配慮はしない。だから信用し過ぎるのは良くない」
「‥‥そんなものですか‥‥」
ミナセさんの言葉には、AIに対する毒がある。こういう仕事をしてると、そうなっていくんだろうか。
分かったような分からないような‥‥そんな中途半端な曇り空の心のまま、AI運転の車は走っていく。
四車線の平面道だった道が立体道へと変わってきた。ビルの山の中を進んでいく。天気が良いはずなんだけど、ここからだと上の道が邪魔で空が見えない。
なんだかなあって感じ。
「現場は新都心の38BのA6。そこまで遠くじゃない」
車は右左と車線変更しながら動いている。運転しながら、たまにタバコをくわえながらミナセさんは今日の仕事の内容を話してきた。
待て、今、聞き捨て成らないキーワードが入っていたような。
現場だと? 現場とはそこで何らかのトラブルが起こった時に使う言葉‥‥‥だった気がする。出勤初日にいきなりトラブル対応?
‥‥なんて無理じゃない?
大丈夫かなあ。
「‥‥‥そこで何をするんですか?」
バカみたいだけど、まずはそこから聞くしかない。
「ああ‥‥‥」
ミナセさんは前方をじっと見つめながら、しばらく黙ってる。
「夕べ警察からAIドールが壊されたという連絡が入って、その状況を聞き取りに行くんだ」
「壊された?」
「‥‥‥女子学生のドールで、年齢設定はお前と同じぐらい。正面から細長い棒のようなもので一突きだそうだ」
「‥‥‥‥‥‥」
「ドールのオーナーはそのドールの父親‥‥‥という設定のササガワマサキ。年齢は三十七歳。職業は交通システムの管理員。お決まりの在宅業務で、趣味は健康の為のランニング‥‥良い身分だな」
「‥‥‥‥何か言い方にトゲがありますね」
皮肉を言ってもミナセさんはふふんと鼻で笑っただけ。
「で、昨夜、そいつ所有のドールが屋内で壊されていると、ミナセ本人から連絡があった」
「娘さんだった‥‥‥のか」
「連絡があって駆けつけた警察の話だと、そのドールの前で放心状態だったらしい。そのドールとは本当の親子のように接してたらしいからな」
私が考え込んでいるのを横目で見たミナセさんは、その意図を察したのか暇潰しなのか、父親の状況を話してくれた(私も結構トゲがあるかも)。
「お母さんは?」
「配偶者はだいぶ前に亡くなってる。ずっと一人で生活してきたようだ。っていう事で政府からドール保持の許可が降りたのは三年前。娘のドールを作って、それから二人暮らしだった」
「また一人になってしまったのね」
かわいそうね‥‥。
「‥‥‥」
私は、小さな声でぼそっと呟いたけど、ミナセさんは何も言わずに正面の流れる景色を黙って見つめるだけだった。
更に車線が減少して、車は本道から脇道に入った。角の五十階建てぐらいのマンションの前に止まったけど、手前には何台かパトカーが止まってるのが見えた。
「ここだ」
目的地の到着すると、車のドアは上にスライドして開いた。
渡されたカード(現場立ち入り許可証)を首から下げてから、私達はマンションの中へと入って行ったの。
ササガワさんの部屋は、上の階だったけど、かかった時間はたった数秒。どんだけ速く移動したんだろうか。
ミナセさんはドアの呼び鈴を鳴らした。
=‥‥‥はい=
「機知特別対策室です。二、三、お聞きしたい事がありまして」
=伺っております=
カチッと小さな音がして、扉が開いた。出てきたのは中年の男の人。
もっと意気消沈していると思ってたけど、そんな事もない。顔色だけを見れば普通‥‥‥じゃない。少し怒っているみたいな‥‥‥。
「分かる事は全部、警察に話したんだけどね。これ以上は何もないよ」
「警察から調書は回ってきました。その上で対策室としてお聞きしたい事があるので‥‥伺った次第ですよ」
ミナセさんは慣れているのか、スラスラと話してる。
「ん?」
ササガワさんは私の方に顔を向けて、それから眉を潜めた。
一瞬、何?って思って、眠そうにしていた目を、なるべく大きく開いたの。
私は何も祖そうはしてませんよ。
「そのコは娘の事件検証用ですか?」
「は?」
また突然、何かを言い出したぞ。
「確かに娘のマユはそのコと同じAIだが、マユはもっとシャキッとしていた、そんな寝起きみたいな目はしていない」
「いや‥‥‥私は‥‥‥むぐ」
ササガワさんは、また私のほっぺたをつかんで横に引っ張った。
「ふが‥‥‥あの‥‥‥」
「ああ、彼女はその‥‥‥人間です。機知特別対策室の新人で‥‥‥」
さすがに見かねた(と、言うより話を先に進ませたい)ミナセさんがそう言ってくれた。
「そうなのか? それは失礼した。確かにAIにしては、受け答えが杓子定規すぎる」
「‥‥‥AIよりも杓子定規な人間とは‥‥‥」
また矛盾した言葉が‥‥。
「それはともかく、現場を見せて欲しいのですが」
私が首を傾げているのを無視して、ミナセさんは話を進めた。
「いいけど‥‥‥もう警察が来て、片付けて行ったんで、何もないが」
「それで結構です。一応、見てくるのも仕事のうちなので。書類の手続き通りにやらないと、うちの上司は煩いんですよ」
「いかにもお役所だな」
「はは、そうですね」
「こっちだ‥‥‥」
うまい事、許可をとりつけたようで‥‥。
そうこうしてるうちに問題の部屋に入る。
リビングなんだけど、この住居ビルの構造的にどこも同じ間取りで、家具も支給されたもの‥‥‥だから特徴‥‥なんてものはない。
警察は既に証拠になりそうなものを持ち出してる。つまり事件があった形跡なんて何一つ残ってないって事。これはササガワさんの言う通り、見ても何もなさそうなんだけど。
「これが現場写真」
「‥‥‥」
ミナセさんの端末に実際に警察が写した直後の様子が表示された。
覗き込んだ私は‥‥‥後悔した。
高等部の制服(私の着てたものと一緒。デザインは統一されてる)を着た女子学生が仰向けに倒れてる。
でも寝てるわけじゃない。
前に学校の授業で聞いた事を覚えてるんだけど、AIドールは胴体にジェネレーターがあって、そこから全身に動力が送られてる。例え頭が無事でも、一定時間電力がと途絶えると記憶領域と、生体維持機構が止まってしまって、人間で言うところの死亡ということになるって事だった。
とは言っても、どうやら私のこれからの仕事はこういう事もあるらしいので、早く慣れないと後で困るという事もあるわけど。
でもなあ。
「夕べは普通だったんですね?」
「そうだ、マユはいつもと同じ、学校から帰ってきてしばらく居間にいて、それから自分の部屋に入った」
「犯人を見てはいないのですね?」
「‥‥‥‥」
ミナセさんは小さく頷く。横から見てると、手を握って震わせていた。
「一体、誰がこんな‥‥」
それから先はミナセさんが言葉を続ける。
「屋内なので、監視カメラでは犯人は分かりません。犯人がいつどうやって室内に侵入したのかは不明です」
「‥‥‥」
何も言うべき言葉を持たない私は、窓から下を見下ろした。
遥か遠く‥‥‥それこそ、雲が下にあるんじゃないかって距離のところに、歩行者や車が見える。ここまでよじ登ってくるなんてまず無理だろうし、そもそも監視カメラに見つかってしまう。すると、玄関から堂々と入って来たということになるけど、下のエントランスと、部屋のドアの二重のチェックを掻い潜らないと中には入れない。
「そうだな」
顎に手を当てて考えていたミナセさんは唸った。
「エントランスと廊下のカメラにも引っかかってない。これは明らかにおかしい。ササガワさん。壊されたドールは、誰かの恨みでも買うような‥‥‥」
「何が壊されただ! 娘は殺されたんだ!」
ミナセさんの言葉を聞いたササガワさんは、顔を真っ赤にして怒り出した。そうか、最初から怒り状態だったのは、警察でも同じ事を言われたからだ。
「それにな、マユは誰にでも優しい、心根の真っ直ぐなコだ! 恨みを買うなどあり得ない!」
「これは失礼」
ミナセさんは頭を下げた。いや、本当に失礼なことを言ったんだぞ。
私にはササガワさんの怒りや憤りが分かる。
もし私のお母さんが、娘さんみたいな事になったら‥‥‥考えるだけで、ゾっとしちゃうよ。
「とにかく、これ以上、言う事は何もない! とっとと出て行ってくれ!」
「待ってください、まだ‥‥‥」
「出ていけ、そこの寝ぼけた小娘も!」
ササガワさんに押し出されるように、私とミナセさんは廊下に叩き出された。
「やれやれ‥‥‥これじゃ、半分も調書が出来ねえな」
「ミナセさんが悪いんですよ。あんな事を言うから」
「まあ、そうなんだが。仕事がらどうしてもな」
「だとしても、娘さん代わりのドールに、あんな事を言ったら怒るでしょ」
「まあ‥‥そうだな」
全く持って仕方がないので車に戻った。一体、何しに来たんだか。
咥えタバコのまま、ミナセさんが車のAIに目的地を指示してる。真っ直ぐに機知室には戻らず、警察署に向かうみたい。
「‥‥‥」
その間、私はマンション周辺を見渡してみる。カメラがあちこちにある。死角が出来ないように、一定時間でレンズの向きを変えるという事までしてる。そのどれにも映らずに入口のセキュリティを突破するのは不可能だと思う。
車は静かに動き出していく。今度は完全に自動運転にしてミナセさんは端末を見ながら考えてる。
「ドールは物理的に壊され‥‥‥」
「‥‥‥‥」
私がミナセさんの顔をじっと見つめると、ミナセさんはゴホンと咳払いした。
「‥‥‥分かった事は、娘さんが何者かに殺されたという事実。そして犯人はどこからか侵入していると言う事だけだ。しかし‥‥‥‥」
「侵入するの、難しそうですね」
「彼女の身の回りの調査も上がってるが、ササガワの言う通り、できたコだよ。評判も良くて非の打ち所がない」
「じゃあ殺される理由なんてないですよね」
「無差別‥‥‥‥にしては、難易度が高い。外のドールを襲う方がよっぽど楽だろうに、わざわざ‥‥」
「‥‥‥‥」
そんなことを言っている間に、警察署についた。
そこでミナセさんがした事は、署にあった調書を写して、さもちゃんと自分で調べて来たかのように書き直す事だった。
「こんな物を綺麗に書いても事件は解決しない。それに内容を捏造してるわけじゃないしな」
そんな言い訳みたいな事をぶつぶつと言って、全く悪びれてない。
どうにもこのミナセさんがどんな人なのか掴みどころがない。
で、その調書を見た室長は、
「またお前は‥‥全く」
咳払いしてちらっとほんの一瞬だけ目を通しただけ。それだけだった。
もしかして気づいてる?(ほぼ捏造)
それでも何も言わないのは常習犯だから?
「‥‥‥‥」
そうして怒涛の勤務初日終了。
薄暗くなった夜道を歩いて、私は自分の官舎へと帰った。
途中で、昨日見つけた、喫茶店に寄ろうかなとも思ったけど、もうそんな気力がない。
「何、この仕事‥‥‥‥」
ササガワさんの家に倒れて死んでるマユという名前のAIドールの顔が、目を閉じても浮かび上がってくる。
疲れすぎ‥‥なのでベッドにそのまま横になるとすぐに眠ってしまった事に気づいたのは、朝起きてから。
そして二日目の出勤。
おはようございます‥‥と、言ったか言わないかの微妙なタイミングで、ミナセさんが奥から走って来た。
「新人!」
「‥‥‥‥」
別に私の名前は《新人》なんてものではないけど、他に該当者がいないので、その称号は甘んじて受け入れるしかない。
「どうしたんですか?」
「寝ぼけてる暇はないぞ」
「は?」
起きたのはもうだいぶ前だ。
「またドールが壊さ‥‥‥‥殺されたんだ」
「え?」
「現場は‥‥‥‥昨日のマンションの真ん前だ」
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
不可能と思っていた事がまた起きたらしい。
私の表情は全く動きてなかったけど、実は心の中ではざわめきまくってた。