クジョウ先輩と私は、一仕事終えた直後に、また一仕事を言い渡され、最初の依頼主の家から直行した。
雨は激しくなってきて、車のワイパーが左右に速く触れてる。
「‥‥ほう」
今の車は超音波振動でガラス表面を振動させて水を吹き飛ばしたり、導電性フィルムで水滴を除いたりしてる(AI制御)。だから今時ワイパーって珍しいから私はじっとその単調な動きを見てる。でも、雨の空気って言うか‥‥そんな時にはこのリズムが心地良く感じる。
「‥‥なるほど」
今度、今のイメージをキャンパス一杯に描いてみようかな。きっと傑作が出来ると思う。
勤務中に、そんな事を考えている事はクジョウ先輩には内緒だ。
黄色い車は水しぶきをあげて(この車はゴムを道路にこすりつけながら走るから)、いくつかのジャンクションを越えて別の街へと移動していく。
正面の信号機が赤になって車はゆっくりと止まった。フロントガラスに当たる雨粒の勢いが少し弱くなったように感じるけど、これは車が止まったからそう思うだけなんだろうか。
「今日の午前中に、使用期限切れ間近のAIドールを、回収員が引き取りに行く予定だったそうです。回収が立て込んでたらしくて、時間内に伺う事が出来なくなったという事で、我々は遅延の説明‥‥謝罪に行かなければなりません」
「‥‥‥‥使用期限切れ」
就職してから何度か聞いた言葉。
でも、言い方が酷くない?
卒業とか、達成とか‥‥そっちの方が良いと思うけど。
物理的にドールを引き取りに行くのは政府直轄の業者で、私たち機知特別対策室は、書類のチェックと聞き取りをするだけ。最近はクジョウ先輩が相手の話を聞いて、私がそれを書類に記入する‥‥って、感じになってる。
「えっと‥‥」
送ってもらった業務内容を、端末に表示する。
AIドール‥‥型式番号59873Dの335‥‥形状は女性。年齢は十二歳。クライアント指定の名称はリオナ。稼働日‥‥。
私は画面上の年月を指で追った。
「‥‥明日で五年間か‥‥」
「ドールの稼働日数としては短い方ですね。けれども、不具合なく終了できて、万々歳と言った所でしょう」
「‥‥‥‥」
クジョウ先輩の柔らかい声が耳に心地良い‥‥でも、心が少しざわめいてる。
画面には少し茶色ががった髪色のボブカットの少女の姿が映ってる。
服装はセーラー服風の上着に、ひざ丈のプリーツスカート。白い襟の淵には赤くて細い二本にラインが走っている。初等部の規定の制服で、私も昔は全く同じものを着てた。
懐かしい‥‥思えば、遠くに来たものだ‥‥。
お父さん達や、ミワナちゃん‥‥今、どうしてるだろうか。
「‥‥‥‥」
成人したら誰しも必ず乗りこえていかなきゃならない事だし、考えても仕方がない(私は二年程早かっただけ)。
今、着てるのは、真っ黒なシャツに真っ黒なスカート、そして黒のロングコート。胸には機知特別対策室の印のMITの赤い文字の入ったプレートを付けてる。
私は指を動かしてパネルの中のページをめくる。
依頼主は、カヤノ夫妻。家族構成は夫婦二人に娘が一人‥‥ん? そこにこのAIが一緒にいたの? どういう事?
よく申請が通ったものだ‥‥と思う。普通はのっぴきならない状態の時に、何とか許可が下りるのに。
この彼女の存在がこの一家にはどうしても必要だったという事なんだろうけど。
「ツキシロさん、どうかしましたか?」
「‥‥‥‥んー‥‥」
私は答えなかったけど、先輩は私が何を考えてるのか分かったらしくて、ちょっとだけ微笑んだ。
「カヤノ夫妻の子供は双子で、姉妹は幼年部から初等部の途中まで一緒に過ごしていました。ですが、事故でリオナさん‥‥姉の方を亡くしてしまったんです。残された妹のミオリさんの精神状態を鑑み、姉のドールの貸与申請が通った‥‥という経緯です」
「‥‥‥‥そう‥‥なのか」
「妹のミオリさんが安定したという事ですよ」
クジョウ先輩はそう言ってからハンドルを大きく切って、主道から外れた細い道に入る。
速度制限が低くなってて(この一帯だと、車のスピードは上げようと思っても上がらない)、つまり目的地はもうすぐだって事。
二車線の並木道(その並木は枝葉がほとんど無くて、棒っきれみたいになってる)をしばらく進むと、四十棟ほどの一個小隊程度のマンション群に出た。
「着きましたよ」
助手席のドアは勝手に開いた。
「‥‥‥‥」
雨はあがってて、空は今までの曇天が冗談だったみたいに蒼く晴れ渡ってる。気のせいか空気もおいしい。
降りてすぐ深呼吸したのは自然な流れかと。
「回収員はすぐに来るそうです。その前に依頼主に確認に行きましょう」
端末を見ていた先輩は、先に歩きだす。
すぐにタワーマンションのエントランスに移動。
建物独特の匂い‥‥硬いというか、鉄と言うか、コンクリと言うか‥‥そんなものが鼻の奥をくすぐってくる。
例によって外が丸見えのエレベーターに乗って昇っていく。
十階だったので一瞬で到着した(タワマン自体は、もちろん更に上がある)。
「身分証はつけてますね」
「‥‥‥!」
慌てて胸に手を当てて確認する。よかった。ちゃんと首からちゃんとMITの身分証をかけてる。
「ごめんください」
先輩は呼び鈴を鳴らして、ドアのパネルに身分証を触れさせた。これは最近主流になってきた認識システム‥‥素性の知れない訪問者を弾く為のもので、くっつけた途端にパネルの輪郭が青色に変わった。この身分証は正規のものなので大丈夫。
=どうぞ=
ドアが開いたので、私達は中へと入った。
「機知特別対策室です。本日はドールの引き取りにきました」
先輩が頭を下げたので、私も後に続く。
奥から出てきたのは、ここの家のお父さん、お母さん(カヤノ夫妻)と、高等部ぐらいの歳の娘さん。
彼女がミオリさん。歳は私の一つ上の十七歳。寝起きなのか髪を片側で無双さに縛って、服装もだぼっとした灰色のジャージ。少し不機嫌そうな表情にも見えるけど。
で、お父さんの後ろから顔を出したのは、小さな女の子‥‥。
ミオリさんの双子の姉のリオナちゃん‥‥じゃなくて、リオナさん。
彼女はAIドール。ここに来た時と同じ、十二歳の姿。
四人‥‥一家勢ぞろい。
「午前中に伺う所を、大幅に遅れてしまい、大変、申し訳ありません」
クジョウ先輩は深く、深く、頭を下げる。当然、私も後に続いた。
「‥‥あ、いえ‥‥それで、いつぐらいに回収に来てもらえるんですか?」
お父さん‥‥カヤノアキヒトさんは、咎めるでもなしに、ただ質問だけしてきた。
「‥‥‥‥ほう」
私はいつもの癖でボソっと声が出る。
怒ってないと分かっただけで私は一安心。クジョウ先輩と一緒に仕事をしてると、相手は怒ってくる人ばっかりだ。
公務員に文句を言っても仕方がないと思うけど、そこは何だか大人げない人が多いんだなって気がする。
「どうぞこちらに」
お母さんの方も、そんな感じで私と先輩は玄関近くのそう広くもない客間に通された。
見知った間取りと家具‥‥安心するような、そうでもないような‥‥。
しかし、ミオリさんの方はムスっとした顔のまま‥‥。何か嫌な予感がするなあ。
先輩と私は隣あった椅子に座って、両親はその対面。娘さん達は後ろに立ってる。
私は持ってきた端末を机の上に広げる。
周囲の地図が表示されて、回収員の車の現在位置と、ここまでのルート‥‥到着時刻が表示された。先輩は見てなかったはずだけど、おおまかに時間は合ってた。
「政府からの通達が行ってから、一日待機なされてたと思いますが、皆さまにはご不便をおかけし、本当に申し訳ありませんでした」
「全くよ、私、今日、予定があったんだけどな」
「ミオリ、失礼でしょ」
妹にそう言って、注意してきたのは、両親じゃなくて、姉のリオナ‥‥AIドール。
小さな女の子。
「あなたはまたそうやって!」
火にナントカ‥‥とかいう諺がすぐに頭に浮かんだ。その一言で、ミオリさんの怒りが一気に噴き出したのが分かった。
「そうやって、お姉ちゃん気取りになる! こんなちっこいのが私の姉だなんて恥ずかしくて仕方がないのよ! 友達にも笑われて!」
「‥‥ミ、ミオリ‥‥」
両親はただ困ったようにオロオロ‥‥もうこうなったらどうしようもないってのが、普段からありそう。
「‥‥って言ったって分かんないでしょうね! あなたはただのAIなんだから」
「‥‥‥‥」
AIにお前はAIだから‥‥と、言ってもそれは確かに真実。でも‥‥例えAIだとしても、家族として受け入れたんじゃなかったの?
「‥‥‥‥」
画面の中に、何枚かの写真を表示させる。
二人の小さな女の子が手を繋いで笑ってる、年齢的に、これは多分、人間の方のリオナちゃん。遊園地や、遠足、旅行‥‥どんな時も二人で一緒に映ってる。
「‥‥‥‥」
次のページに移動する。
今度は両親との写真が多くなった。
二人に手を繋がれて、同じ遊園地に行ってるけど‥‥‥ミオリさんの顔は笑ってない。それから続くその写真の中の彼女も、笑顔を見つける事は出来なかった。
変化があったのはページを移動してから。
また二人に戻った。
同じ髪型、同じ服を着た初等部の二人のコは、どっちも満面の笑みを浮かべてる。
「‥‥‥‥」
視線を正面の家族に戻した。
双子の少女の一人は、あの仏頂面のコ‥‥もう一人は、写真の時と同じ女の子。
人間は成長していく。いつまでも小さな女の子のままではいられない。でも、AIはいくら時間が経ってもそのままだ。
「ねえ、そこの居眠りしてるAIさん!」
「‥‥は?」
突然そう言われて何の事か頭が回らなかったけど、それはまごう事なく、私の事を言ってる。
「‥‥居眠りしてるAIとは‥‥」
彼女も大概、失礼だ。こんなに目をしゃきっと開けてるのに。
「あとどれぐらいで引き取りに来るの?」
「‥‥五分ほどです。もうすぐ、このマンションのロビーに到着します」
「はやく、こいつを持ってってよね」
「‥‥‥‥」
私は画面を見てるフリをして返事を返さなかった。視線だけで、姉のリオナさんの表情を伺う。
姉の言葉に怒ってはいない。ただ悲しい‥‥そんな感じ。
よくAIには感情がないなんて言われてるけど、私はそうは思わない。もしなかったら、こんな顔は出来ない。
「‥‥さて、フロントに回収員が到着したようです」
クジョウ先輩は咳払いして、沈黙を破った。
その言葉を聞いた両親はほっと安堵の表情になって二人で顔を見合わせてる。
妹の方は‥‥腕組して、ムスっとしたまま。姉は‥‥黙って下を向いた。
ほどなくして、チャイムが鳴り、三人の男性が部屋の中へと入ってきた。灰色の作業着に、回収員のDRA(Doll Retrieval Agent)という文字の身分証を首からぶら下げている。
なので、本物?の回収員だ。
「ご苦労さまです」
先輩が立って頭をさげた。
「遅くなってすみません」
「いえ、それより作業の方を頼みます」
「はい」
回収員の人達は、一家に謝りながら作業の行程を説明していく。
「‥‥‥‥ツキシロさん、お願いします」
「はい」
私は出来上がった書類を送信した。すぐにそれはカヤノさん一家の前にある端末に表示される。妹さんを除く二人は文面を読んで、指定された画面の場所に指を触れた。
私の持っていた端末が青く光る。
「では、以上でAIドールの所有権放棄の手続きは終了です。今日はお疲れさまでした」
両親は頭を下げてきた。
ミオリさんはと言うと‥‥端末で誰かと話してる。口調から言うと、彼女の友達か何か‥‥。
「それじゃ‥‥ミオリ‥‥元気でね」
連れられていく前、リオナさんはそう言ったけど、ミオリさんは手で追い払うポーズをしただけで、端末で話をしたままだった。
彼女の返事を待たずに、出ていった。その時、チラっと一度だけ振り返ったけど、妹は全くその視線には反応しなかった。
室内が静かになった後、クジョウ先輩は最後に大きく頭を下げた。
「それでは我々も失礼します。何かありましたら、新国連AI情報センターまで連絡ください」
「はい、分かりました」
両親に見送られる形でドアから廊下に出た。
エレベーターに乗った時、ガラス窓から回収してる姿が見えた。大きな金属の筒のようなものに目を閉じたリオナさんが淹れられている。
エントランスに着いたときには、既に車の姿は無かった。
「‥‥‥‥」
雨の上がった乾いた風が、私の髪をバサバサとなびかせてくる。
「ツキシロさん、機知室に戻りましょう」
促されるまま、助手席に座る。
私は雨あがりの空気が好きだけど‥‥今はそんな気分にはなれない。
車は静かに走り出す。
「‥‥‥‥」
黙って流れる街灯を見つめる。あと少ししたら、明かりが灯る時間になる。
「どうしました?」
「‥‥別に‥‥」
「あの一家のドールへの対応が気に入らない‥‥と、顔に描いてあるようですが」
「‥‥‥‥」
先輩は微笑み‥‥じゃなくて、苦笑いを浮かべる。
「ドールは人間の幸せの為に生まれたのですよ。姉のドールの目的は、沈んでいた妹の心を癒す為です。ドールはその役目を終えました」
「でも‥‥ずっとミオリさんと一緒に暮らしてきたのに」
「そうですね‥‥」
先輩は角を曲がって四車線ある主道へとハンドルを回した。
「年月を経て関係が変わるのは人間もドールも同じ事です。誰しも幼い子供のままではいられない。姉と妹‥‥時間を経て違う道を進んでいきます。そこに文句を言っても仕方のない事でしょう」
「それは‥‥」
先輩の言う通りで‥‥だから私は何も言い返せない。
回収されたドールは一定期間の停止状態の後、解体される。
だけど、あのまま回収されずにあの家にいたとしても、彼女の立場が良くなるとは思えない。
「‥‥‥‥」
街灯に光がつきはじめた。緑色の小さな点が、車の進行方向に向けて、次々と追いかけてくる。
私は機知室に戻るまで、ずっとその小さな光を見つめ続けていた。
天気もあまりよくないし、何となく憂鬱な日々を過ごしてたけど。
最近は依頼主に頭を下げるだけが日課のある日。
午前中で一件の仕事を終えて、私とクジョウ先輩は戻る途中だった。
どうせだから今日はもう早上がりで、喫茶店に行って紅茶でも飲んでこようかな‥‥移動中にそんな事を考えてたんだけど。
「ツキシロさん、大変な事が起こったと。今、連絡がありました」
珍しく先輩は顔を曇らせてる。
「先日に回収したAIドール‥‥リオナさんなんですが‥‥回収施設から脱走したそうです」
「‥‥‥‥」
事態は思いもよらない方向へと進んでいく。