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第8話  雨は記憶を濡らしてる

「はい、大変申し訳ありませんでした」

 そう言って、クジョウ先輩は、深く、深く、完全に体を直角にまで曲げてお辞儀をした。

 背が高くて笑顔が爽やか‥‥好青年を絵に描くと、多分、こんな感じ。でも機知室の黒い制服とコートなので、何となく胡散臭く見えるのは私だけではないはず。かく言う私も同じ黒い制服を着てる(私の場合はスカートだけど)。

「全く、困るよ。まだ納品されて一か月だよ。それが突然動かなくなってさあ。しかも、不具合申請で交換要求出したら、調査しに来るなんて」

 私と先輩の前には顔を真っ赤にして怒ってる依頼人?‥‥のおじさんがいる。

ここは割と高ポイント取得が定期的に出来ている人が住む区域で、ベッドタウンのマンション街とは違って、一軒家が並んでる。‥‥でも、同じ造りで、同じ外観の家がマス目状に整然と並んでるのを見てると、平行感覚が狂ってきそう。もしかして庭にいる犬も同じような感じで同じペットなんだろうか。

「申し訳ありませんでした。以上で聞き取りは終了しました。使用方法に間違いはなかったという事で、ドールの再配布の申請許可は取れると思います」

 私が首を横に傾けて犬小屋を覗いている間も、先輩はひたすら頭を下げてる。

「‥‥ほう」

 中の犬が見えた。脚の短い小さな犬‥‥名前なんだったかな。

 スモッグが濃い日は、地面に近いとこに頭のあるこの犬は大変そうだと思った。

「‥‥‥‥そこの人?‥‥は、何をしてるんだ?」

「‥‥‥‥」

人‥‥の言葉の所のアクセントがちょっと引っかかったので、私はまたアレか‥‥と思って、体を真っ直ぐに戻して、市民のおじさんの前に立った。

「こんな寝起きのAIみたいなをよこすとはな」

「‥‥寝起きのAIとは‥‥」

 失礼な‥‥。これでも可能な限り、目を見開いてるんだけどな。でも、やりすぎると、今度は人形みたいで不気味と言われて、それはそれで困る事態に‥‥。

「先ほど紹介しました通り、彼女は機知特別対策室の新人です。まだ至らない所もありますが、経験不足の点は、どうかご容赦ください」

 少しだけ高音の先輩の声は、抑揚がはっきりしていて聞きやすい。爽やかに笑って、私の存在意味の弁明?‥‥すると、おじさんは肩の力を抜いた。

「とにかく来週には申請するから、それまでに手続きはやっておいてくれ」

「承知いたしました」

私たちの足元には人‥‥初等部ぐらいの男の子が倒れてる(初等部の制服を着てるから、すぐに分かる)。正確には人じゃない‥‥AIドール。機械仕掛けの体をAIが動かしている。

「‥‥‥‥」

 こうして見てても人間そっくり。

 そっくりだからあちこちに需要がある。

 この依頼主は子供がいなかった‥‥って言うか、子供を育てる許可が下りなかった(中央のAIの判断だから)。

 代わりに新国連政府は、子供のAIドールを希望者が受け取る権利を与えてる。

 一定期間が過ぎると返さなきゃならないけど、このおじさんのは、一か月でこうなっちゃたらしい。

「‥‥‥‥」

 庭の人工芝の上に仰向けになってる。

 表情は‥‥何かを怖がっているような‥‥。

 AIの表情は、皮膚の形状記憶素子に電気が行かなくなると速攻で停止する。

 もしかして事件?‥‥の可能性ないかな。

「ご安心ください。代替のAIは申請から一週間以内に届けられますので」

「一週間か‥‥長いな‥‥」

 書いてもらった調書によると、AIドールが必要なのは、このおじさんじゃなくて、おじさんの奥さん。やっぱり子供を作れない、育てられないっていうのは寂しいらしくて。

 オレンジのランプを光らせて、少し長いトラックが近づいてきて止まった。

 白色の作業着に黒のラインの入ったスタッフが三人降りてきて、担架にそのドールを乗せる。ドールの体重は普通の人間より、ちょっとだけ重い。私が二人いても動かせる自信がない。

「ごくろうさまです」

 先輩は出された書面にサインした(今時、紙で)。

 すぐにトラックは行ってしまった。

「‥‥それでは我々も失礼します」

 先輩が頭をさげたので、私もあとに続く。

 トラックの後姿を見ていたおじさんは何も言わないし、表情も変えない。奥さんが出てこなかったのは、ドールのこんな姿を見るのが悲しいからなんだろうか。

 住宅街を歩いていく。

 手前の家が後ろになったと思ったら、また同じ家が前から近づいてくる。角を曲がったら、また同じ家。

「‥‥‥‥」

 歩いている人がほとんどいない。今日はそんなに大気の状態は悪くないっていう予報。

 何でかって言うと‥‥かなり歩かないと同じ景色ばっかりだから。

 私の家(実家)の周辺もそうだったから、良く分かる話。

「クジョウ先輩は、良く迷わないで歩けますね」

 思い切って聞いてみた。今日一番の疑問はそれ。

「迷う?‥‥そうですね、僕は周りの風景は見てませんから」

「それでどうやって?」

「右に二回、左に一回、そのまま五軒直進‥‥この通りに進んでいけば、絶対に迷ったりはしませんよ。ツキシロさんもこうやったらどうですか?」

「‥‥無理です」

 確かに私の家ではそうやってた。何度も迷って、結果覚えただけだけど。

どうですか?‥‥何て当然のようにイケ顔で言ってきたけど、それはそれで、毎回記憶するのは難しそう。

「じゃあ、仕方ありませんね」

「‥‥‥‥」

 先輩は打開策を教えてくれるでもなく、ニコっと笑って、また先に歩きだす。私は置いてかれたら詰んでしまうので、絶対に見失うわけにはいかないという決意で、後を追う。

 意外に近くに駐車場はあった。来たときに分かっていたはずなんだけど、時間が経ってしまうとやっぱり忘れてしまう。

 仕事中は緊張して無理だよ。

「‥‥‥‥」

 私はね、この前‥‥ドールが殺される事件で、その時に見たドールの表情を忘れる事が出来ないでいるの。

 恐怖と驚き‥‥そして悲しみが混じった顔。

 さっきの機能停止したドールの少年は、何だかそれに似てる気がするんだけど。

「‥‥‥‥むう」

 私が眉間にシワを寄せて考え込んでる間に、車が止めてある駐車場についてた。

 乗ってきた車は公用車じゃなくて、クジョウさんの車。丸っこくて黄色。今ではあんまり見られなくなってるタイヤで走るタイプ(道が悪いとゴゴゴ‥‥と、振動が伝わってくる)のクラシックカーで、だから自動運転もレベレが低いものしか付けれない。車輪がついているから、これが本当の車なんだろうけど(車検で引かれるポイントは多分、かなり高い)、クジョウさんはどうしてわざわざ不便なものを使ってるんだろうね。そう言えば、時計も端末で見ないで、ポケットにある鎖付きの時計で確認してる。そういう趣味なのかな。

「さ、ツキシロさん。戻って調書を書きましょうか」

 クジョウさんはそう言って、さりげなくドアを開けてくれた。

「ありがとうございます」

「いえいえ」

 私が助手席に乗り込むと、クジョウさんはそれがさも当然の行為だと言わんばかりに、優しくドアをしめてくれた。

 ほどなくして車はゆっくりと走り出す。

 右手で小さな棒を前後左右に動かかす事で、車のエンジンの動きが変わる‥‥って、昔、何かで知った気がする。

 面倒くさ‥‥普通にAIに全部任せればいいのに。

「あの‥‥クジョウ先輩」

「何でしょう?」

 正面を向いてハンドルを握ったまま、先輩は返事を返してくれた。

 聞きたい事はもちろんこの車の事‥‥ではない。

「奥さん‥‥最後まで顔を出しませんでしたね」

「そうでしたね」

「旦那さんの話だと、あのドールを可愛がってたって話だったのに‥‥」

「それはそうでしょう。よくある事です」

「おかしくないですか? 引き渡される時に全く‥‥」

「どうせ代替ドールと交換なんですから、壊れたドールに立ち会う必要もないですからね」

「でも、数日間だったとしても、自分の子供として接した記憶はあるはずなのに」

「‥‥‥‥」

 先輩は私の方にちらっと目を向けた。

「新しいドールは、あのドールと同じ外観で、機能停止する直前までのメオリーを引き継いだものになります。奥方の楽しかった記憶は、新しいドールへと引き継がれますよ。なので、倒れてる古いドールはなるべく視界には入れない方が良い、だから引き渡しの立ち合いには出ない‥‥最もな事です」

「‥‥そう‥‥なのかな」

 何か頭がモヤモヤしてすっきりしない。

 違う、そうじゃない。

 えーっと、だとすれば誰かに向かれれる好意というものは、その人個人に向かってって事じゃなくないと思わない? 

 例えるなら‥‥飼ってたネコが死んじゃって悲しんでたけど、新しいネコを飼いだしたから、悲しかった事は全部なくなってしまった‥‥みたいな。

 ううん、別に、ずっと悲しまなければいけないとか、そういう事じゃなくてね。つまり、好きだったのは、相手の存在であって、相手そのものじゃないって事になるんじゃないかなって‥‥。

 だから多分‥‥あそこの家の奥さんは、子供という存在があれば、何でも良かったんだと思う。

 先輩の言う通りかもしれない。

 だからAIドールの申請がこんなに多いわけで、だから簡単に交換とか使用中止とか出来ないわけで‥‥。

 分かんない‥‥。

 私は‥‥お母さんを‥‥死んだお母さんの代わりだと思ってたんだろうか‥‥。

 だから‥‥。

「ツキシロさん、何か言いたそうな顔をしてますね」

 何台か、車輪のついてない車とすれ違った後、真っ直ぐ正面を見ていたはずの先輩は、そんな事を言ってきた。

 灰色だった空の色が濃くなってきてる。せっかく今日はスボッグが薄くて快適だったのに、今にも雨粒が落ちてきそうな感じになっている。

「あまり深く考えない方が良いですよ。AIドールは人間じゃない。ただの道具なんです。道具は壊れたら、取り換える‥‥ただそれだけです。物に愛情を注ぐのは個々人の人間の勝手なエゴで、その点をいくら考えた所で、他人には分かるはずもないのですから」

「‥‥‥‥」

私は返事をしなかった。クジョウ先輩の言ってる事は正しい。グウの音も出ない。多分、ちゃんとした大人はこうなんだろうなっていう見本。分からないのは私がまだ子供だからなのかもしれない。でも、なんだか小骨が喉に刺さったまま抜けないような‥‥またあの感覚が私の中にある。

 子供のせめてもの反抗で、黙ってた‥‥って、こんな事をする事自体、子供の証なのかもしれないんだけど。

「‥‥‥‥」

私がしばらく考え込んでたら、先輩はいつの間にかどこかと連絡をとって会話していた。フロントガラスに四角いウインドー画面が開いていて、真っ黒な画面にはOFFと表示されている。マニュアル運転中は、エンジンを止めないと画面には何も表示されない。

「やれやれですね」

 画面が消えた。先輩は笑いながら小さなため息をつく。

「これから別件で別の地区に行かなければならなくなりました。調書作成はその後にしましょう」

「‥‥‥‥なるほど」

 機知特別対策室‥‥MIT室長からの指示だったみたい。先輩が肩をすくめてる様子は、見ていて微笑ましいんだけど。遅くなるのは嫌だな。

「‥‥‥‥」

車を方向転換させている時、歩道を歩いている若いカップル(夫婦?)が目に入った。

あの二人はどっちも人間なんだろうか、それとも片方がAIなのか‥‥両方AIは‥‥多分、ないと思うけど‥‥どうなんだろ。

手なんで繋いだりして楽しそうに何かを話してる。とにかく見ていて遠目でも仲が良いのが分かる。

「‥‥‥‥AIドールは‥‥道具‥‥か‥‥」

 道具は人の幸せの為にある。

「‥‥‥‥分かんない‥‥」

 フロントガラスにポツポツと雨が落ちてくる。

その若いカップルとすれ違った時、彼らは雨の不快さなんて何もないように、笑って歩いて‥‥そして雨霞の中へと消えていった。



 彼らを残して、私たちは次の地点へと向かっていく。


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