連絡しても出ないミナセさんを探すのは諦めて、とりあえず私は、38Cにある商社に、タクシーを飛ばして乗り込んだ。
「どのようなご用件で?」
吹き抜け三階くらいありそうな広いロビーの真ん中に、ぽつんとあった受付のテーブル‥‥そこにはお決まりのように、美人のお姉さんのAI、そしてお決まりの台詞。
声がどこまでも響いていく。
「機知特別対策室です。すぐに‥‥偉い人を読んでください」
「偉い人? 社長ですか?」
「‥‥で、なくても良くて、とにかく話が早い人!」
「話が速い?‥‥会話の速度は‥‥」
「あーもう!」
そんな感じで中々話が通じなくて、そこから編成課長?‥‥という謎の肩書の人に通されたのは三十分経ってから。
「それで‥‥緊急の用件とはどのような‥‥」
私を見るおじさんは、あからさまに怪訝な顔。今日ばかりは目は見開いてると思うけど。
「実は‥‥」
それから説得する事、三十分。
まずい、もう時間がない。
なんとか話をつけて私は、この会社の制服‥‥赤のラインの入った白地のスーツに着替える。
残り五分‥‥何とか間に合った。
ビジネス街から途中にあるベッドタウンを横切って、別のビジネス街へ‥‥私は見知った道を歩いていく。
スモッグで霧がかっていて、辺りは薄暗い。暗いおかげでビルのてっぺんにある注空灯の赤色が滲んで点滅してるのが良く分かる。環境汚染は科学技術の発展よりも早い速度で進行しているという事なんだろうけど、何だか息をするのが苦しい気分になってくる。
「‥‥‥‥」
歩いてる人は珍しく誰もいない。
それは当然‥‥この日、時間、この瞬間‥‥特別なアクシデントがなければ、歩いているのは、この会社の事務員のAIだけだ。
彼女は決まった時間、この順路を必ず歩いている。
「‥‥‥‥」
思った通り、カメラは私に反応していない。
彼女がこの道を通るのは既定の行動で、カメラのAIはそれを学習してしまっている。
つまり、わざわざ見張る必要はないという事で。
「‥‥‥‥」
正面から誰かが走ってくる。普通なら、そこまでの動きのあるものはカメラの監視対象になるはずなんだけど、カメラは全くそっちにレンズを向けない。
つまり‥‥あの人も、日常の中の一つ。
「‥‥‥‥」
実験は成功。これで監視カメラは完全じゃないという事が証明された。
あとはこの事をミナセさんに伝えれば‥‥。
「あれ‥‥この人‥‥」
私とすれ違ったその瞬間、ランニングしていたその人は、腰にあったポーチの中から短い棒を出した。
「‥‥‥‥?」
棒の端を両手で持つと、それは一メートル程の長さの棒になった。
「え?」
その人は真っ直ぐに私の胸にその棒を突き刺そうと、突進してきた。
「⁈」
そのまま心臓を一突き‥‥にされるその直前、
“おらああ!”
誰かが飛び出してきて、襲ってきた男性の腕を蹴り飛ばした。
「ついに尻尾を出したな! ササガワ!」
「‥‥ぐ!」
棒を落として手を抑えてるその人は‥‥確かにササガワさんだった。
そして鮮やかな回し蹴りをしたのは‥‥ミナセさん。
異変を感じた監視カメラは、今頃になって、こっちに顔を向け始めた。
全く‥‥役に立たない。
「え⁉‥‥え⁉‥‥」
私は理解が追いつかない。それはササガワさんも同じようで。
「‥‥お‥‥お前は‥‥機知室のAI!」
AI違うわっ!‥‥と、言い返すのはこの場ではさすがに空気を読まなすぎるのでやめた。
「三件のAIドールの破壊、及び、殺人未遂で現行犯逮捕だ」
「‥‥‥‥」
「‥‥と、言っても、機知室にはそんな権限はないからな」
周囲に赤いランプが点滅した。数分もしないうちに警察が来て、逮捕は任せる事になる。
「‥‥‥‥ふん」
最初から抵抗する気はなかったのか、ササガワさんは静かに頭を下げた。
「‥‥あの‥‥ミナセさん‥‥どうしてここに‥‥」
私は恐る恐る小声で聞いた。
「どうしても何も‥‥こいつがここで襲うのは分かってたからな。前の日から張り込んでた」
「‥‥‥‥え? どうしてそれが‥‥」
「理由はお前と同じじゃないか?」
「‥‥‥‥」
「間一髪って所か‥‥お前‥‥意外と出来るが‥‥危ない事もするんだな」
遠くからパトカーの音が聞こえてきた。
「‥‥‥‥」
しかし、ミナセさんは最初から分かってたんだろうか?
ほっとした途端、心臓がバクバクしてきた。良かった。ちゃんと動いている。
私は、うずくまって黙って下を向いてるササガワさんに顔を向けた。
凶器を調べれば、三件が同じ犯人かどうかは分かる。多分‥‥ササガワさんの娘さんを壊し‥‥殺したのもササガワさん本人だ。
「‥‥なぜ‥‥こんな事をしたんですか?‥‥マユさんは‥‥」
「‥‥うん?‥‥言っても分からんだろうな」
笑ってるけど‥‥諦めてるような笑い。
「俺が壊したのはただのAIドールだ‥‥マユじゃない」
「‥‥‥‥」
霧はいつの間にか雨雲になってて、ポツリポツリと雨が降り始める。
空を見上げると、落ちてくる雨粒が無数の針のように見えた。
「はい、ごくろうさん」
三台のパトカーが止まって、黒服の警官が六人おりてきて、ササガワさんを囲んだ。
いつのまにか集まってきた野次馬の中、黙って連れていかれる後ろ姿を私はじっと見ていた。
それからしばらく(一週間ぐらい)は、調書と、室長の説教で時間が経過していった。
調書‥‥なんてふんわりした言い方だけど、事細かく記入しなければならない欄がびっしり‥‥こんなものを書くなんて、学生だった時依頼で‥‥面倒臭いと言ってるミナセさんの気持ちはこの時は良く分かる。
「全く‥‥何で俺までこんな‥‥」
隣のデスクのミナセさんもブツブツ言ってる。私の机は隣に置かれたけど、どうやら首にはなってないみたい(職業に不適格とされたら、AIにその申請をして、認められれば転職になるけど‥‥あまり事例がないようで)。
「‥‥‥‥」
そんな姿を横眼に、私はペンを走らせる。この現代でなぜこんなペンや紙などというアナログなものを使わなければならないのだろうか‥‥それは公務員だからだ。
でも丁度良かった。良い機会だからこの際いろいろと聞いてみようと思う。
「ミナセさんは、最初からササガワさんが怪しいと思ってたんですか?」
「そうだな」
タバコをくわえて火とつけようとしたけど、誰かが咳払いして途中でやめた。全く、ここは禁煙だっていうのに。仕方なく火のついてないタバコを口にくわえる。
「どうしてです?」
AIが嫌いだからって、あんな事をする人には見えなかった。
「お前も現場写真を見ただろう? 路上で刺された二人はどうなってた?」
「死んでました」
「‥‥‥‥全く」
ミナセさんは呆れたようにため息をつく。
「二人はうつ伏せだった。後ろから刺されてな。それに比べて室内の娘は仰向けだった。前からの刺突だ。この違いがどうして起こるか分かるか?」
「‥‥‥‥」
「AIは自己を破壊しようとする者に対して反射的に防御する。それは女性型でも男性型でも見かけが違うだけで、普通に正面から向かっていったら並みの人間では返り討ちにあう」
「‥‥つまり、路上の二人は後ろから不意討ちで、娘さんは正面から」
「そうだ。父親という事で‥‥娘は咄嗟に抵抗しなかった。顔見知りでなければ出来ない事だ」
「‥‥‥‥」
そう言われればそうなのかもしれないが、何か納得できないような。
「何でササガワさんは‥‥正面から娘さんを刺すような真似をしたんでしょうか?」
「AIが嫌いなんだろ」
「‥‥‥‥」
これはまたシンプルな返事だけど。
「でも、仲が良かったって事だったし‥‥」
「だからなんじゃないか?」
「?」
「娘の代わりにAIを家族にした‥‥でもそこはAIだ。本物の娘じゃない。記憶や癖がデータで再現されている全くの別物だ。それに気づいた時‥‥昔の娘を思い出す度に、その偽物が嫌になってくる。その我慢の限界を超えたんだろうよ」
ミナセさんはAIの悪口になった途端、生き生きとした表情になる。
「でも、記憶とか、癖とか‥‥そこまで再現されたら、もうそれは本人と変わらないんじゃないですか? 将来の変化なんて誰にもわからないわけだし」
言っておきながら、その言葉は私の心に突き刺さった。
お母さんとの違和感‥‥私もそれを感じてたはずなのに。
人とAI‥‥何が違うんだろうか。
「それでも、奴は冷静だった‥‥」
ミナセさんは話を続ける。
「ちゃんと計画立った行動だったという事だ。奴の仕事柄、プログラムには精通していたのが幸いした。だからAIの脆弱性をちゃんと理解していたんだ。犯人は正体不明の無差別殺人気‥‥って事にして、娘のAIを合法的に処分するつもりだった」
「‥‥‥処分‥‥‥」
また酷い言葉を‥‥。
「理由も手段もそんなもんだ‥‥さて‥‥」
それだけ言って椅子から立ち上がった。
「ちょっくら気分転換に外に出てくる」
「あ、待ってください」
私も慌ててコートを取って後を追う。
「‥‥何だ、まだ何か腑に落ちない事でもあるのか?」
「それは‥‥」
全くない‥‥とは言えないけど、何をどう聞いていいやら。
エレベーターに乗ると、全面ガラス貼りで、外の景色が良く見える。
でもどこまで見渡してもビルの林で眺めは良いけど面白くない。空は雲ってて、見てるとちょっと寒そう。
大気汚染はAIでも解決できないんだろうか。
「俺がな‥‥ササガワが犯人じゃないかと思ったのは‥‥」
誰もいなくなった所で、ここぞとばかりにタバコに火をつける。いや、私もいるんですけど。
「死んでた娘の顔さ」
「‥‥‥‥」
「驚いてた‥‥だけじゃない。悲しい表情だったよ。あれは‥‥」
エレベーターの中に煙が充満して、外の景色がぼやけてくる。
「じゃあAIにも心があるって事ですよね?」
「さあな」
私の質問には答えてくれなかった。
一階について扉が開く。煙が外へと排出されると新鮮な空気が肌に心地良い。
「ふふ」
私は先に歩いてミナセさんの前に立ち、後ろに手を組んで振り向いて笑った。
「近くにおいしい紅茶の喫茶店があるんです。一緒に行きませんか?」
「紅茶って‥‥酒はないのか?」
「あるけど、まだ勤務中なので、ダメです!」
「‥‥たく」
手を引いてビルから外に出た。
知らない間に空は晴れていて、何日ぶりかの青空が顔をのぞかせてた。