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追放された聖女は微笑む――真実の愛と自由を求め
追放された聖女は微笑む――真実の愛と自由を求め
ゆる
異世界恋愛ロマファン
2025年05月08日
公開日
9万字
完結済
追放された元聖女エスメラルダは、自らの力で新たな道を切り開き、自由な旅を始める。各地で人々を癒やしながら、友情や愛、そして自分の使命を見つめ直していく彼女の物語は、絶望から希望への転換と、新たな冒険への序章となる。聖女という枠に囚われない彼女が選ぶ未来とは――。

第1話 聖女から追放されて―

第一節:聖女から追放されて―


 玉座の間には、まるで冬の嵐が吹き荒れるかのような緊張感が漂っていた。薄青い大理石の床には赤い絨毯が敷かれ、周囲を取り囲む衛兵たちの鎧が微かにきしむ音だけが聞こえる。城の天井は高く、ステンドグラスから差し込む光の筋が、まるで聖女を象徴するかのように神々しいはずだった。しかし、その中に立たされているエスメラルダは、今やまるで罪人のような扱いを受けている。


 エスメラルダは、この王国で“聖女”と呼ばれる特別な地位を与えられていた。救済の奇跡を起こす力があり、国の人々から慕われていたのだ。幼いころから引き継いだその力は、彼女自身の優しさと相まって、人々の傷や病を癒やす存在として神聖視されていた。むろん王家からの信頼も厚く、彼女は近い将来、王太子アルヴィスの妃となることが決まっていた。


 しかし今、エスメラルダの肩にかかる美しい金の髪を容赦なく断罪する言葉が、王太子アルヴィスの口から発せられている。

「――エスメラルダ。お前が人々を陥れ、私を欺いていたという証拠が出た。真実である以上、聖女の地位を剥奪し、この王都から追放する」

 アルヴィスの声音は平静を装っているが、その瞳の奥には怒りや失望だけでなく、うっすらとした悲しみが宿っているようにも見えた。けれどエスメラルダには、今の彼の言葉の意味がまるでわからない。どんなに考えても、彼女が人々を陥れるような行為をした覚えはないからだ。


 事の発端は、先日の大聖堂での儀式だった。エスメラルダは病に伏せる老王を癒やすため、神に祈りの力を捧げようとしていた。しかし、祈りを捧げている最中に突如として現れた“もう一人の聖女”カリーナが、エスメラルダを「民衆から寄付金を騙し取っている悪女」であると告発したのである。カリーナが聖女に選ばれたという話はまことしやかに囁かれていたが、正式に王宮が認めたわけではなかった。それでも“聖女の力”を示す神秘的な光を放ち、奇跡を起こしたという噂も広がっていた。


 突然の告発にその場は大混乱となった。エスメラルダは必死に身の潔白を訴えたが、儀式を執り行っていた神官までもが何らかの力に誘導されているかのようにカリーナの言葉を支持しはじめる。そして、事前に用意されていたと思われる証拠――それは捏造されているに違いないのだが――が次々と大聖堂の場に提出されると、王太子アルヴィスをはじめとした王家や貴族たちは、誰もがエスメラルダを疑いの目で見るようになってしまった。


 あれほど信頼してくれていたはずの王太子アルヴィスまでが、自分を冷酷な視線で見下ろしている。あまりの仕打ちに、エスメラルダは言葉を発することもできず、ただ衝撃に打ち震えるしかなかった。


 玉座の間の一角で動揺しながらもエスメラルダを見つめる騎士団長や侍女たちもいるが、目立った抗議をすることは叶わないようだった。彼らにしてみれば、国を動かす王太子の判断に真っ向から逆らうことなど不可能に近い。加えて、その場には、大きく袖を広げた貴族風の人物たちが集まり、まるでカリーナを新たな聖女として持ち上げるようにしていた。今やエスメラルダが犯していない罪を背負わされるかたちで、すべてが動いているようにしか見えない。


 アルヴィスは一呼吸おいて、さらに言葉を続ける。

「私も……お前を信じたかった。だが、お前を聖女に任ずる大切な時期に、こんな疑惑が浮上してはな。これ以上、疑わしい者を王妃には迎えられない」

 その言葉はアルヴィスが最後までためらったかのようにも聞こえた。しかし、王位継承者としての責任感が彼の心を縛っているのだろう。「信じたい」というのは表面上の言葉であり、“自分と王国を守るためにエスメラルダを切り捨てる”という結論に至ったことを、彼自身も苦々しく思っているのかもしれない。だが、それでも――エスメラルダを救うほどの意志はなかった。


 玉座に座す現王は病床に伏せっており、この場を取り仕切る権限をアルヴィスが実質的に握っている。王宮の護衛をも担う重臣たちは皆、アルヴィスの命令を聞くしかない。エスメラルダは目の前でその権力構造をまざまざと思い知らされながら、自分の無力さを痛感していた。


 静寂の中、衛兵たちが無言の圧力をかけてくる。王都にいた頃は彼らと親しく言葉を交わした思い出もあるのに、今の彼らはまるで敵を見る目だ。誰ひとりとして、エスメラルダを弁護する者はいない。陛下が健在であれば、まだ話は違ったかもしれない。けれど今は、この国全体が新たな聖女カリーナを支持する流れに傾いていた。


 信頼していた婚約者と、王国の人々から一夜にして悪女扱いされる――この状況が夢であったなら、どんなに幸せだろう。だが、現実は甘くない。エスメラルダの胸を熱い涙がこみ上げてくる。どうしてこんな仕打ちを受けねばならないのか、彼女には皆目見当がつかない。


 やがて王太子アルヴィスは、手を小さく振り下ろして衛兵に指示を送る。

「今すぐエスメラルダを連れ出せ。再びこの城に足を踏み入れることのないようにな」

 衛兵たちは無表情のまま、エスメラルダの両腕を左右から押さえる。ひとりの衛兵がエスメラルダの手首に縄を結ぼうとするので、彼女は反射的に抵抗するが、聖女の力を使えばさらに大事になる恐れがあると悟り、抵抗をやめた。何より、ここで暴れたところで「やはり悪女だったのだ」と言われるだけだろう。


 こうして、エスメラルダは王族や重臣たちが見下ろす中、まるで罪人のようにその場を追い立てられた。彼女が聖女として大切に築いてきたもの――人々の信頼や未来への希望は、今、一瞬にして奪われていく。だが、この苦痛はまだ序章に過ぎない。


 王都の城門を出る頃には日が暮れており、見慣れた街並みは闇に沈んでいた。追放の知らせが早くも市井へ広がり始めているのか、遠巻きに見る人々の視線が冷たい。かつて彼女が傷ついた人々を癒やした時には感謝の声をかけてくれたはずの女性や子どもたちも、今は困惑したまま口をつぐんでいる。誰もが、“聖女の失脚”という衝撃的な出来事にどのように反応するべきかわからないのだろう。


 エスメラルダは目を伏せて馬車に乗せられ、故郷の村へ送り返されることとなった。空には月が昇り、夜の静けさだけが馬車の車輪の音とともに広がっていく。先ほどまで喧騒に包まれていた王都とは打って変わり、馬車の揺れが彼女の孤独感をいや増すかのようだ。これまで聖女として生きてきた人生から、彼女は突然放り出されようとしていた。


 涙が頬を伝う。誇りも地位も、そして愛した人さえも――すべてを失った。この先、自分はどうやって生きていけばいいのだろうか。乗り合わされた護衛の衛兵たちは口を閉ざし、重苦しい沈黙だけが続く。


 それでも、エスメラルダの胸の奥底には、捨てきれない思いがあった。真実を明らかにしたいという願いと、愛した人への複雑な感情、そして自分が誰かを救いたいという切実な想い。それらが混ざり合い、彼女を押し潰すのか、それとも次の一歩を踏み出す力になるのかは、まだ誰にもわからない。


 けれど、夜の闇の中でも月は優しく世界を照らし、明日を迎えるための道を示している。追放の苦しみを味わっている今は信じられなくても、エスメラルダはいつか再び微笑むことができるのだろうか――そう願わずにはいられない。




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