空が高く遠くまで青が続いている。どこまでも飛んでいけそうなのに背中には羽根がないから残念だとばかりに、僕は自転車を漕いでいる。
この坂道を登りきったら海が見えてくる。この町は高台にあるから坂道を上がって、下ってゆけば海風が吹き込んで、自転車で加速した僕のシャツに入り込む。
さっきまでかいていた汗すら吹き飛んでしまう。時々ブレーキをかけながら、下り坂を進み、海辺で遊ぶ人影が見えると少し胸がざわついた。
友達とならこうして海に出掛けたことはある。けれど手を繋いでなんて経験はない。目の前を行きすぎるカップルが手を繋いで歩いているのを見ると、僕は知らぬ間に舌打をしていた。ハッと気付いて口に手を当てる。この距離なら聞こえなかっただろう、きっと、そう思ってカップルから目を逸らすと、自転車置き場に滑り込んだ。
自転車置き場はコンビニに近い。リュックを背負ってコンビニで冷たいジュースを買うと、その足で海へと向かった。海にはサーファーが波を待っている。それを横目に僕はさくさくと浜辺を歩くといつもの定位置に座った。ここからなら遠くまで見通せる。サーフィンもボートも、それから海を遊泳している姿も。
リュックを傍に置いてジュースの蓋を開けると炭酸が抜ける音がした。ごくりと一口飲み、ふうと息を吐く。足を遠くに放りだすとさっきのカップルを思い出した。
仲がよさそうに顔を見ながら話をしてた、ぎゅっと手を握って男のほうが女の子を引っ張って。車が近づいたら、そっと彼女の腰に手をまわして引き寄せた。
いいなあ・・・僕はジュースをもう一口飲んで息を吐く。僕にも彼と同じように素敵な恋人がいたら・・・なんて思いかけてジュースの蓋を閉めると、傍に置いて頭をクシャクシャかき回した。
『もてたことなんてないじゃん。』僕は呟いて両手で髪を整える。潮風でバリバリとして、『これじゃムリじゃん。』と笑う。その時、海のほうから声がした。
『なにがムリなの?』逆光で顔は見えなかったけど、そこにはサーフボードをもった男が立っていた。
マユミは目の前までやってきたサーフボードの男に顔をあげる。
『何がムリなの?』彼はにこりと笑うとマユミの傍にボードを立てかけて隣を指差した。
『座ってもいい?』
『あ、はい。どうぞ。』
さっきまでサーフィンをしていたのか、髪は少し濡れている。日に焼けた肌にバランスよく整った体は、男のマユミから見ても憧れる。自然に色の抜けた少し長めの髪が、横顔のラインを強調している。
『で、何がムリなの?』
彼は海を見ながら両手で髪をかきあげると、マユミを見て微笑んだ。
『俺のほうまでよく聞こえた。君の声、よく通ってたよ。』
マユミは彼の言葉に俯くと顔を赤くした。まさか独りごとを人に聞かれるくらいに大きかったなんて、とんでもなく恥ずかしい。
『すいません・・・僕・・・、恥ずかしいな。』
俯いたマユミに彼は高笑いをすると前に足を放り出す。
『なんで、いいじゃん。海は皆の青春を吸い込むものだって言うじゃない?』
『え?言いますか?』
マユミがびっくりして返すと彼は笑った。
『言わないっけ。』
ただの冗談だとわかり、マユミが噴出すと彼も笑う。
彼はタカヤと名乗った。マユミよりも年上で社会人だ。まだマユミが学生だと知
ると当たり前みたいに言った。
『まだまだ出会いはあるって。彼女とかってのは突然できるもんだし。』
『・・・そうですかね?タカヤさんはいるんですか?』
『うーん、そうねえ。俺は今はフリーかな。』
『フリー・・・じゃあ、僕もフリーだ。』
マユミがおどけるとタカヤは笑う。
『でも、なんでそんなに焦ってる?』
『・・・友達は彼女いるから・・・。僕だけ、いないから。』
『それは駄目なわけ?』
『わかんないです。でもさっきカップルを見て、手を繋いでるのを見たら・・・いいなって思って。』
膝を抱えてマユミが海を見つめた。少し日が落ちて、柔らかい色合いが海に広がっている。いつもなら一人で眺めているはずが今日はタカヤと一緒だ。
『手ぐらい、誰とでもつなげるよ?』
『・・・そうですか?』
『そうだよ。』
タカヤは片手をマユミの前に差し出した。大きな手の平は赤く染まっている。
『繋いでみる?俺、でかいよ、手。』
『確かに。』とマユミはタカヤの手に自分の手を重ねてみた。マユミの手よりも大きなタカヤの手は暖かい。
『な、でかいだろ。で、君がしたかったのはこういうの?』
タカヤの手がマユミの手をぎゅっと握る。小さい頃に両親と繋ぐような感覚にマユミが笑みを漏らす。
『うん、そうかも。』
『じゃあ、こっちは?』
タカヤはするっとマユミの指の間に指を重ねる。急に距離が近づいた気がしてマユミは驚いて顔をあげた。
『ん?どした?』
『な、なんでもない。』
振り払うように手を離すとマユミは俯いて唇を結ぶ。
『マユミ?』
『すいません、もう帰ります。さよなら。』
タカヤの言葉も聞かずにマユミは走り出す。呆然とした彼を残して自転車置き場に駆け込むと、大急ぎで帰路についた。