ああ、お腹が空いたなあ。
俺はもやしを茹でるためのお湯を沸かし始めた。ある日突然、バイト先の店主が夜逃げをしたのである。すぐに次のバイトが見つかるなんて都合のいいことはなくて、現在空腹。学業とバイトを何とか両立させていた俺に蓄えなんかない。最初のうちはもやしをおかずにごはんを食べていたが、お米がなくなってしまったので今日はもやしのみだ。いつまでこんな生活が続くんだろう。二十代の男の食事がもやしだけはキツい。
ちょうどお湯が沸騰してきたとき、アパートのドアが叩かれた。玄関チャイムを鳴らさないところをみると、幼なじみの朝比奈だろうか。一旦火を消し、もやしを置いて出てみると髪を真っ赤に染めた長身の男が怠そうに立っている。
「よお、田島。今日は客を連れてきたぞ。上がってもいいか?」
朝比奈は俺が頷くよりも先に靴を脱いで上がり込んだ。すると、客とやらの姿が見えた。綺麗な長い髪を束ねた青年である。髪の色は薄い茶なのか金髪なのか、暗がりでよく分からないけれど、とんでもなく整った顔をしているのだけは分かった。ハーフか何かなのか、日本人離れした顔立ちだ。見つめられて、思わずどきっとしてしまった。
「おいおい、何を見つめ合ってんだよ。涼も上がれよ。田島、ぼーっと突っ立ってるなよ。涼が困ってるぞ」
「あ、どうぞ。汚いところですけど」
「あ、これ。お土産にピザと飲み物を持ってきました。どうぞ」
「わざわざどうもありがとう」
俺はピザと飲み物の袋を受け取ると、涼と呼ばれた青年を部屋に導いた。部屋の中では朝比奈がすっかりいくつろいでいる。涼は朝比奈の横にちょこんと座った。朝比奈は何で涼をここに連れてきたのだろう。疑問でしかない。お茶菓子どころか出涸らしのお茶も出せない状況なのに。それは朝比奈もよく知っているはずなんだけど。朝比奈は腹が減ったといってピザの箱を開け、コーラをそれぞれの前に置く。
「とりあえず、食べながら話そうぜ。腹が減ってるんだよ。腹といえば、田島はちゃんと食ってるのか?」
「何とかもやしで食いつないでるよ。どうしたの、連絡もしないで突然来るなんて」
「もやしで食いつないでるってことは、まだバイトは決まってないんだな」
「うん。なかなかバイト先が見つからなくて」
「と思っていい情報を持ってきたんだよ。感謝しろ」
朝比奈はそういうとサラミのピザを口に押し込んで、コーラで流し込む。俺はいい情報とは何かなと思いつつ、ピザを口に運んだ。ああ、これだ。脂質だ炭水化物だ。しばらくもやし生活をしていたせいか、天国みたいな味がする。お腹がびっくりしなければいいけれど。久し振りの脂質にやられてお腹壊したら嫌だなあ。けど、食べたい。みっともなくがっつかないように気をつけつつ、ピザに手を伸ばす。
「感謝ってどういうこと?」
「感謝は感謝だよ。バイトの話持ってきてやったんだよ」
「え、バイトの」
「詳しくは涼から」
「どうも、円城寺涼です。実は英語を教えてもらいたくて、人を探してたんですよ。そしたら真昼が敏さんがバイト探してるって」
「確かにバイト探してるけど、俺でいいのかな。英語なら朝比奈だって出来るじゃないか」
「俺はほら、他にバイトあるし。それに、お前ドイツ語も出来るだろ」
「俺、第二外国語はドイツ語なんですよ。そっちもお願いしたいです」
家庭教師みたいなことか。それなら、出来なくはないかなあ。本当はまかない付きの飲食店とか探してたんだけど、今は仕事を選んでいられる状況にない。とにかくお金を稼がなければもやし生活からは抜け出せない。もう、もやしにかけるポン酢も切れたし、こんな機会はそうそうない。嫌な話をすると、朝比奈は坊ちゃんでお金持ちの坊ちゃんの知り合いが多い。涼も小綺麗な格好をしているし、坊ちゃんなのでは。それならバイト代も期待出来るかも。こんな計算をしてしまうあたり、嫌だな自分。俺はコーラで気持ちを変える。
「バイト代がこんなもんで、うちの兄が作るごはんがつきます」
「翔の料理は美味いぞ。よかったな、田島」
「うんと、いつからいけばいいとか、そういうのは」
「明日からでも来てほしいくらいです。えっと、家はこの辺です。近所まで来て円城寺っていえばすぐ教えてもらえると思います」
「はあ。住所がこの辺で、バイト代が。バイト代が。えっ」
「よろしくお願いします」
「じゃあ、用も済んだし帰るか、涼。明日から頑張れよ、田島」
二人は嵐のように去っていった。
俺はもう一度メモ用紙をみた。バイト代がぶっ飛んでいる。こんなバイト代はお目にかかったことがない。この金額でごはんがつくのか。いいバイトだな。もしかして、家の人がとても変わってるとか、涼がとんでもない問題を抱えた人とか、そういうことはないよね。とりあえず、明日行ってみるしかないか。しかし、円城寺って聞いたことあるようなないような。