えっと、この辺のはずなんだけどなあ。
この辺って高級住宅街じゃないか。うーんと、円城寺円城寺。何か、聞けばすぐに分かるようなこといってたから聞いてみようか。そう思ったけれど、住宅街は静まりかえっていて人っ子一人歩いていない。困ったな。朝比奈に聞いてみようか。朝比奈なら知っているだろうし。けれど、連絡をしてみるも反応はなし。そのとき、一人の男子高校生が声をかけてきた。
「あの、どうかしました?」
「えっと、この辺に円城寺さんって家あります?」
「ああ、円城寺。涼のとこの家庭教師さんかな。俺もちょうど円城寺家に行くところなんで、ついてきてください」
「あ、はい。円城寺さんの家に行くところなんですか」
「ええ。今日から家庭教師が来るから、遭遇したら家教えてといわれたんだけど、何でちゃんと家教えないかな。涼ってそういうとこアバウトなんだよね」
綺麗な赤毛を後ろでちょんと結んだ少年はこの辺りで一番大きな家の前に来ると、躊躇することなく敷地に足を踏み入れた。俺は驚いて大きな門に掲げられた表札を見る。確かに円城寺と書かれていた。ん。円城寺って何か聞いたことがあると思ったら、この辺りで一番のお金持ちの家じゃないか。涼はそこのお坊ちゃんってことなのか。少年は遅れる俺に向かって手招きすると、玄関のドアを開けた。
「ちょっと、涼。家庭教師が迷子になってたよ。ちゃんと家教えないとだめじゃないか」
「あー、あとりが案内してくれたんだ。敏さん、上がって上がって」
「敏さんっていうんですね。涼の家庭教師は大変だと思うけど頑張って」
「あ、はい」
「もう、あとりったら生意気なこといって。おやつは冷蔵庫に入ってるらしいから、真面目に宿題やれよ。敏さん、部屋は二階です」
あとりとよばれた少年はどこか哀れむような視線を送ってくる。え、もしかして涼がとんでもない性格しているとかそういうことなの。でも、そんな感じもしないんだよな。どちらかというと人懐っこい、そんなタイプに見える。案内されたのは涼の部屋。俺が来るので昨日の晩必死に片づけたんだそうな。物自体はそんなに多くないのにどうやったらそんなに散らかるんだろう。室内はとにかく広くて一見綺麗だけれど、ところどころ物を押し込めているのが見て取れる。
「うーんと、涼は英語が苦手なのかな」
涼はうんうんと頷くが、見た目で判断しちゃいけないんだろうけれど、英語が苦手そうには見えない。明るいところで改めてみると、薄茶の髪に青い瞳、それに日本人離れしたお人形のような顔。これで英語が苦手っていわれてもなあ。そりゃ、ハーフだって英語が喋れない人はいるけれど、涼って頭が良さそうに見えるんだけど。あくまで俺の勝手な印象だから、とても困っているのかもしれないし勉強はしておいて損はない。
「んーっとね。敏って呼んでいい?」
「あ、いいけど。どんなところが分からないの?」
「うん、敏に恋人がいるかどうかが分からない。いないんだったら、好きな人がいるかどうかが知りたいかな」
「いや、そういうことじゃなくて」
「重要なことだよ。まずは打ち解けなくちゃ」
うん。これからしょっちゅう顔を合わせるんだし、打ち解けておくべきなんだろうな。しかし、恋人がいるかどうかいきなり聞くもんだろうか。俺はいないよと答えた。好きな人もいないと正直に答えると、涼は何故だかものすごく喜んだ。俺は打ち解けるためならと、涼にも同じ質問をした。返ってくる言葉は分かっているようなものだけれど。これだけ顔がよくて背も高くて、恋人がいないってことはないだろう。そう思っていたら、予想外の言葉が返ってきた。
「恋人はいないよ。ただ、好きな人はいるよ。完全に一方通行だけどね。まだ、俺の存在をちゃんと分かってもらえてないから仕方がないんだけど」
「へえ、涼なら恋人の一人や二人出来そうだけど」
「それが出来ないんだよね。好きな人はね、一回会っただけなんだ。一目惚れだったんだろうね。けど、相手は全く覚えてなくてさ。俺、ショックなんだよ」
「自分のこと覚えていてもらえなかったらショックだよね。でも、再会はしたわけでしょ。だったらもう腹を括って、一から関係を築いた上で告白するしかないよね」
「そうなんだよね」
涼はにっこり笑ったけれど、その瞳は少し寂しげだった。涼って容姿が結構インパクトあると思うんだけれど、忘れちゃうものなんだろうか。一度会ったら忘れなさそうなんだけどなあ。俺は思わず二十歳の男の頭をごく自然になでてしまった。俺ははっとしたけれど、涼は満足げに微笑んでいた。こんな感じでまずは打ち解けようといろいろと話をした。好きな人の話から過去の恋人、好きな食べ物や本の話まで。気がつくと晩ご飯の時間になっていて、涼の兄の翔が作った料理をありがたくいただいた。帰りには朝ご飯用にお弁当も持たせてくれて、至れり尽くせりとはまさにこのことだ。次はきちんと英語をやらなければ。