目次
ブックマーク
応援する
7
コメント
シェア
通報

第3話 複雑な恋心・3

 こんなんでいいんだろうか。

 涼のところに通い始めてしばらく経つが、ほぼ雑談しかしていない。やっぱり涼は英語はもちろん、ドイツ語についても困っていないんじゃないだろうか。もしそうなら、俺がここに通っている意味って何だろう。ただお金もらってご飯食べてるだけじゃないか。流石にそれはまずいと思い勉強しようといってみるのだけれど、毎回上手いことはぐらかされる。どうも口では涼には勝てないようだ。そして今日もまたはぐらかされ、雑談するしかなかった。


「敏と旅行に行ってみたいな。海外旅行。英語が分からなくても敏が喋れるから安心だよね」

「涼、絶対英語喋れるよね」

「んー、海外旅行ってどの辺がいいかな。俺はフランスとか行きたいな。母さんの国だし」

「へえ、涼のお母さんってフランス人なんだ。それなら行きたいよね、フランス。って、英語圏じゃないよ」

「何とかなりそうだけどね」


 何かもう、雑談とかはどうでもいい。涼は勉強する機はゼロみたいだし。けれど、この距離はどうにかならないんだろうか。机の前にイスを二つ並べて座っているわけだけど、涼が俺の肩に頭を乗せてご満悦なのである。せっかく機嫌がいいのに離れてともいえないし、この状況をどうしたらいいんだろう。何だか日に日にスキンシップが濃厚になっていくような気がする。昨日なんかは肩を抱かれたし。これはどういうことだ。どう反応したらいいんだ。涼はお母さんがフランス人ってこともあって、スキンシップが濃厚なのか。


「ねえ、敏。敏は俺とどこに行きたい?」

「東南アジアとかかな、物価も安いし楽しめそう」

「東南アジアかあ。市場の屋台ごはんとかは興味あるけど、あれって衛生的にどうなんだろね」

「うーん。潔癖な友だちが行ったけど、恐ろしくて食えないっていってたね」

「んー、じゃあ俺も無理かな。俺は潔癖じゃないけど、食事は安心して楽しみたいからね」


 なるほどねというと、涼はそうそうと軽くため息を吐いた。その吐息が首筋にかかってぞくぞくする。何だか変な気分になる。男相手に変な気分になるなんて、俺はおかしいんだろうか。でも、涼は中性的で綺麗でそこらの男とは違って見える。待て待て待て。それじゃあ、何だか涼が特別な存在みたいじゃないか。それはないよな。いくら何でもそれはないよな、自分。頭の中が混乱して思考が変な方向に行ってる。ああ、どうしちゃったんだ、俺は。


「敏、どうしたの?」


 俺の両肩を包むように抱きしめて顔をのぞき込んでくる。色素の薄い青い瞳が眩しくて、俺は目をそらした。涼は追いかけるように目を合わせてくる。逃げられない。そう思ったとき、涼の唇が軽く触れた。全身に電撃が走り、頭が真っ白になる。もう一度、今度はしっかりと唇を重ねてきた。涼は何をしているんだ。俺は何で逃げないんだ。パニックを起こしていると、涼はあっさりと体を放して机の上の時計を手に取った。


「おやつの時間だ。敏、下に行っておやつ取ってきてよ。今日は翔がいるからお茶も入れてくれるはず」

「うん。分かった」


 さっきのは夢か幻だったのだろうかと思いつつ階段を下る。部屋を出るときもいつもの涼だったし。気のせいだったのか、俺の妄想だったのか。その割に感触は覚えていて混乱する一方だ。どこかぼうっとしたままリビングのドアを開けると、翔が迎え入れてくれた。おやつを取りに来たことを察したらしく、キッチンへ向かう。兄弟なのに翔は涼と全く似ていない。黒髪に黒い瞳で日本人顔である。変に涼に似ていなくてよかったと思う。さっきのことを思い出してしまいそうで。


「敏、涼の扱いは大変だろ。辞めてもいいんだぞ。次の働き口なら俺が探してやるから」

「大変っていうか、何だろう」

「戸惑ってる感じだな。まあ、そうだろうな。俺は隠し事出来るタイプじゃないんでいうが、涼は英語もドイツ語も出来るぞ。だから、いつ辞めても大丈夫なんだ。嫌になったら、気にせず辞めてくれ」

「うん。嫌になったらか。考えとくよ」

「涼は止めるだろうがな。ずいぶんと敏のことを気に入っているみたいだから。もし辞めるなら、涼の説得は俺がするから安心してくれ」


 涼のことが嫌になったらか。俺は涼のことが嫌になるんだろうか。もしまた唇を重ねられたら嫌になってしまうのか。分からない。たぶん翔は俺のことを心配していってるんだと思う。確かに、辞めたらこんなもやもやした気持ちで過ごすことはなくなるんだと思う。働き口も見つけてくれるっていってる。でも、根拠はないけれど、涼が泣く気がした。

 俺は心配げな翔に曖昧な笑顔で返すと、トレイに入れたての紅茶と頂き物らしいロールケーキを乗せて二階へ向かった。涼は何事もなかったかのように平然としていて、やっぱりあれは妄想だったんじゃないかと思ってしまう。涼に聞いてもはぐらかされてしまうんだろうな。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?