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第273話 予期せぬ『魅了』

 ――時刻は少し遡る。


 モルノスクールから遠く離れた、とある無人の空き家の屋根上。

 その上で、クロエとルコサは今日も変わらずアオイの監視を続けていた。


 しかし――


 「……なぁ、ルコさんよ」


 あまりにも“何も起きない”日々に、クロエはさすがにイライラを募らせていた。

 自然と、口調も荒くなる。


 「んー? なにー?」


 だるそうに寝転がったまま答えるルコサ。

 昔はよくパーティーを組んでいた仲だ。クロエの不機嫌にも、慣れているらしい。


 「俺たち……何してんだよ。いい加減に説明しろや。

 殺すぞマジで。これ、ただのストーカーじゃねーか」


 ルコサは頭をぼりぼりかきながら、なおも寝転んだまま答える。


 「何もないってことは、平和ってことじゃない?」


 「ちげーよ。“何もない”なら、“この仕事が終わる”ってことにはなんねーのかって聞いてんだよ」


 「うーーーーーん……」


 「ま、ルコさんに言っても無駄か。……【神】からは何も指示ねーのかよ?」


 「前に言ったでしょ。

 “何かあるときは、必ず俺が知ってる状態になってる”。

 つまり、今の俺が悩んでるってことは、何もないってこと。確定なんだよ」


 「クソが……」


 苛立ちをあらわにするクロエ。

 そのとき――下から気配が跳ね上がる。


 空き家の屋根に、二人の影が飛び乗ってきた。


 そのうち一人、女の制服姿の人物は、長い黒髪をふわりと揺らしながら着地する。

 片手で髪を払って整えると、皮肉な笑みでクロエに声をかけた。


 「相変わらず怒ってるさね? そんなに眉間にしわ寄せてると、将来シワが取れなくなるさね」


 「あ? 怒ってねーよ! んなこと言うお前こそ、俺より年下だろーが!

 ……つかルダさんよぉ!? なんでアオイと同じ制服着てんだよ!」


 小型犬のように吠えるクロエ。

 だが、相手はルダ。まったく効いていないどころか――逆効果。


 “年下”という単語を聞いた瞬間、ルダの目がきらめいた。


 両腕を自分の胸の前で組み、頬をほんのり染めながら、震える声で。


 「あぁ……あぁ! クロエには……私が【年下】に見える、さね……?」


 「あ、あぁ? だからなんだよ」


 「ククククク……」


 「な、なんなんだよ」


 クロエが顔をしかめて距離を取るほど、ルダの体はぶるぶると震えはじめていた。


 まるで、“これ以上ない快感”に浸っているかのように。


 ――クロエは心底、気味悪そうにその光景を見つめていた。


 その様子を知っているルコサと、珍しくクロエが“気持ち悪がっている”姿を静かに見つめていたオリバルが、ぽつりと話しかける。


 「ルコサ……クロエが気持ち悪がるのって……何年ぶりだっけ……」


 「あー……確か学校で会った頃だから、11年前とか?」


 「そんなにか……久しぶりだな……」


 「うん。あの頃が懐かしいよ」


 そんなのんびりとした会話をしていると、ルダを完全にスルーしたクロエがぐるりと振り返って叫んだ。


 「お前ら! こいつなんとかしろ!!」


 「はーいはーい」


 「……いや……俺はあんまり……ルダ知らないし……」


 「ちっ、使えねーな……交代か?」


 「交代だ……今度は俺が見る……」


 「はいよー……あー……やっと暇な時間から解放される。えーっと……」


 クロエは、ルダたちが屋根に飛び乗ってきたときに解除していた【千里眼】の魔法を、再び展開する。


 ――そして、アオイの様子を覗いた。


 「今、『対象』はみんなの前で……変なポーズを__」


 【千里眼】から報告されたその内容を聞いた瞬間、真っ先に反応したのはルコサだった。


 「ッ! まずい! みんな全力で――町を離れるぞ!!」


 「「「……?」」」


 三人は一瞬、意味が飲み込めなかったが――


 ルコサが“本気で焦っている”。


 それだけで、一流の冒険者たちは即座に“これは緊急事態”と察した。


 ルコサは叫ぶなり、屋根を蹴って空へ跳び――

 そのまま【転移魔法】で姿を消し、外へ向かった。


 ルダは制服が破れるのも気にせず、背中から昆虫のような翅を生やして飛翔。

 上半身が下着姿になりながらも一直線に空を切っていく。


 クロエとオリバルは【獣人化】の魔法を発動。

 屋根から屋根へ、町を跳ね渡りながら、地を蹴り、ルダに負けない速度で駆け抜ける。


 「チッ……なんなんだよ、マジで!」




 ――そして、ついに“その瞬間”が訪れた。






 「――『魅了』」






 誰かの声が響いたわけではない。

 だが、それは彼ら【神の使徒】の耳に、はっきりと届いた。


 そして、次の瞬間――


 「なんだありゃぁあ!!?」


 クロエが振り返ると、モルノスクールの方角から――

 “ピンク色のドーム”が膨らむように広がっていた。


 まるで魔力の奔流。

 いや、違う。もっと本能に訴えかける、“脅威の色”。


 それはクロエたちよりも遥かに速いスピードで、町そのものを呑み込んでいく。


 「くそっ! オリバ! 全速力だ!!」


 「あぁ……!」


 オリバルも加速する。全力疾走。命がけの逃走。


 ようやく《モルノ町》の結界が見えてきた、その瞬間――

 背後の“ピンクの波”が、すぐそこまで迫っていた。


 「くそっ……間に合ええぇ!!」


 「うおぉぉ……!!」


 クロエとオリバルは、寸前でギルドの結界を突破。


 その瞬間――

 ピンクの波は、結界に弾かれるようにして止まった。




 「はぁっ……はぁっ……」


 二人とも肩で息をしながら、辺りを警戒する。

 町の外は魔物の縄張り。気は抜けない。


 そこに、ルコサとルダが合流する。


 「おい! 何が起こったんだよ!!」


 「……」


 クロエは、ルコサの胸ぐらを掴んで叫んだ。


 ルコサも、真剣な表情でクロエを見返す。


 「ちっ……!」


 クロエはルコサの胸ぐらを離し、もう一度町の方へ視線を向ける。

 だが、視界にはただ……ピンク一色の世界が広がっていた。


 モルノ町の姿は、もうどこにもなかった。


 「……これは『魅了』だ」


 「!?」


 「これが、あの『魅了』……?」


 オリバルがぽつりと聞き返す。

 それも無理はない。


 ――本来、『魅了』とは。

 自身のフェロモンを精密に制御し、狙った相手の好みに合わせて構成する魔法。

 そして、そのフェロモンによって“恋愛感情”を刺激する、極めて個人的かつ限定的な魔術である。


 だが。


 目の前に広がるこの“魔法”は、明らかに……それとは違っていた。


 「説明……できるさね? ルコサ」


 いつの間にか制服に戻っていたルダが、結界の向こうを指差しながら静かに問いかける。


 ルコサは、しばし無言のままピンクに染まった町を見つめ……やがて口を開く。


 「『女神』の作り出した魔法――『魅了』。

 僕たちの知っている【魅了】は、その“本物”の……劣化版にすぎない」


 「……不完全、だったさね?」


 「あぁ。これまでの『魅了』も、確かに規格外だった。

 何度も、常識を覆す現象を引き起こしてきた……だが、それでも“未完成”だった」


 「腑に落ちないね。じゃあ、これはなんだい?」


 ルダが、ピンクに染まった町を指す。


 「あぁ、これは――“完全な『魅了』”だ。

 この中では、中心にいるのは『女神』であり……“世界そのもの”が、そこから広がっている」


 「!?」


 「そう……『女神』の『魅了』は、ただの感情操作じゃない。

 それは【『この世界に干渉して操作する』】……そんな力なんだ」


 「それじゃあ……まるで、【神】じゃないさね……!?」


 「最初から言ってるじゃないか。――『女神』だって」


 ルコサの声が震える。怒りに、警告に、そして……呆れにも似た感情に。


 「君らは、何と戦うつもりだった? 最強の魔物か? 最強の誰かか?

 世界一美しい女か? それとも――【勇者】の成長記録か?」


 「違う……違う、違う、違う、違う、違う!!!」


 ルコサは叫ぶように言い放つ。


 「お前らが見ているもの――戦おうとしている相手は……

 正真正銘の“『神』”なんだよ!!!」


 クロエも、ルダも、オリバルも……その場に立ち尽くした。


 誰一人、言葉を返せなかった。


 否。返せるはずがなかった。


 彼らは……いや、誰もが――

 『女神』という存在を、どこかで“なめていた”のだ。


 「じ、じゃあ……どうして殺さなかったんだよ……【『アオイ』】を……!」


 クロエの声は震えていた。


 当然の疑問だった。

 もし本当に『女神』が脅威で、アオイがその器なら――最初から殺しておけばよかったはずだ。

 それなのに。


 「言ったよね……【『アオイ』】は“【神の子】”でもある。

 “殺せる時”が来ないと、絶対に……殺せない」


 「じゃあ……どうすりゃいいんだよ! なんで監視なんかしてたんだよ!」


 クロエは叫ぶ。

 目の前で起きているのは『異常』だった。

 人生で、見たこともない――想像を超える、世界の崩れ方。


 ルコサは、一度深く息を吐くと……静かに思考を走らせはじめた。


 「……待って。たぶん、この『魅了』は……『女神』にとっても予想外」


 「……え?」


 「だって、そうだろ?

 もし本気で“使う”つもりだったなら、もっと強力なのを選んでる。

 たとえば――【結界】なんて最初から貫通してくるような、完全な魔法を。

 それが来てないってことは……監視。そうか――!」


 ルコサはハッと顔を上げると、町の結界の方へと歩き出す。


 「お、おい! 何してんだよ!」


 「ルコサ……!」


 「何するさね……!」


 3人の叫びに振り向きもせず、ルコサは一歩、また一歩と結界に近づいていく。


 そしてようやく振り返り――いつもの、ダルそうな笑みを浮かべた。


 「あー……たぶん、これからの指示はクロエに届くと思う。

 俺は……中に入って、『世界』に干渉する」


 「っ……!」


 「……死んだら、ごめんな?」


 「おいっ……待て!!」


 クロエは咄嗟に手を伸ばした。

 その手は――届かない。




 ルコサは、結界の中。

 “あの町”――“ピンクに染まった『世界』”へと、引き返していった。




________


【魅了】


『魅了』は、一時的に対象に適したフェロモンを生成し、相手に軽い好意を抱かせる魔法である。

魔力消費は極めて少なく、効果も短時間で切れるため、実用性には乏しいとされている。


この魔法は古くから存在し、主に学生の間で軽い好奇心から使用されることが多い。

しかし、使用されたとしても対象者の生活に深刻な支障が出ることはなく、日常的な魔法の一種として扱われている。


なお、『魅了』の魔法陣は高度に完成された構造を持ち、改造や強化が困難である。

そのため、研究価値は低く評価され、冒険者が戦術目的で使うこともほとんどないことから、学術的な調査は後回しにされているのが現状である。


特に恋愛文化が盛んなミクラル王国では、すでに『魅了』の完全な上位互換として【チャーム】が開発されており、

現代では『魅了』自体の存在意義が薄れつつあり、忘れられつつある魔法となっている。


【チャーム】


【チャーム】は、対象の精神構造そのものに作用し、特定の感情や認知を直接的に“書き換える”高等魔法である。

従来の『魅了』がフェロモンによる生理的反応を利用していたのに対し、【チャーム】は魔力信号を介して脳内に干渉し、

“恋愛感情”“従属意識”“忠誠心”など、特定の感情や価値観を強制的に植え付けることが可能である。


この魔法は高度な魔力制御と対象理解が必要であり、発動者の精神構造や感情の安定も精度に影響するため、実用には厳しい訓練が必要とされる。


一部の国家・貴族階級では【チャーム】を外交・交渉・諜報任務に用いることもあるが、

強力な干渉能力ゆえに倫理的問題も多く、乱用は厳しく規制されている。


また、魔法構造の性質上、対象者に一定の精神耐性があれば完全な効果は得られず、解除魔法や精神保護系の装備によって無効化されるケースもある。


ミクラル王国においては恋愛魔法として研究され、貴族階級を中心に一定の地位を確立している。

現在では『魅了』に代わる新たな“感情操作魔法”として知られ、術者の格を示す象徴ともなっている。







『魅了』


『女神の繝溘Μ繝ァ繧ヲ繝医リ繝弱Ν縺?繧ア繝弱そ繧ォ繧、繝倥Φ繧ォ繝ウ繝槭⊇繧ヲ



 繧サ繧ォ繧、繝イ縺、縺上j繧ォ繧ィ繝ャ繝ォ繝槭?繧ヲ』

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