今日は入寮の日だというのに体調が悪い。
酷い病気ということはないのだけど、昔から貧血気味だったり低血圧だったり、ちょっと喘息っぽかったりで、とにかく体が弱かった。寮まであとバス一本でいけるというところまで来たのに、バス停でしゃがみ込んだまま動けない。ここのところ寝不足だったせいか、くらくらと目眩がする。荷物の大半は宅配便で送ってあるので、手荷物がほとんどないのが幸いだった。何とか立ち上がってみるものの、目の前が真っ白になってもう一度座った。駅からここまで歩いたのが間違いだったのだろうか。寝不足で体調が悪くなりかけていたところを歩いたものだから、一気に悪化したものと思われる。
学校は山の上に建っている。先ほどから車が次々と坂を上っていく。今日入寮の新入生たちだろうか。両親はお父さんは車で送ってくれるような人ではないし、新しく来たお母さんも同じだ。兄さんは仕事で忙しいし、僕はバス停の前で座ってバスを待つしかないのだ。
風はまだ少し冷たい。これが夏でなくてよかったと思う。夏の陽の下だったら、きっと耐えられなかっただろう。
それにしても、バスはまだだろうか。
うう、具合が悪い。
「おい、大丈夫か?」
急に声をかけられて、思わず立ち上がると、目眩が酷くなった。景色がぐにゃりと歪んで、力が抜けた。誰かが抱き留めてくれたのか、頭を打たずに済んだようだ。けれど、相手の顔が確認出来ない。目の前の景色は霞み歪んでいる。ぼうっとしているところに声が響く。
「清廉の新入生か。名前はいえるか」
「なつめ。夏目湊」
「俺は」
何とか名前はいったものの、相手の名前は聞き取れず、そのまま気を失ってしまった。
あれは誰だったんだろう。
そんなことはどうでもいい。
今、僕はどこにいるんだ。
あれからどれくらい経ったのか、僕はゆっくりと目を開ける。白い部屋だなと思った。天井が白くて壁も白い。ぶら下がっているカーテンも白かった。清潔感はあるけれど、冷たい印象だ。この感じ、よく知ってる。病院だ。僕は病院にかつぎ込まれたのか。入寮を控えているのにどうしよう。体調が悪くなりやすいのでチェックしていたのだけど、この町の病院って駅の方にあったような。また、バス停まで歩いてバスを待ってって、入寮に間に合うのかな。
僕はゆっくりと体を起こす。ちょっとくらっとしたけど、目眩はしない。
「おや、目が覚めたかい」
声をかけて来たのは白衣を着た人物だった。白衣のポケットに両手を突っ込んだまま、僕の顔をのぞき込む。顔が近い。目がくりくりと大きくて可愛い感じの人である。年の頃としては僕と同じくらいに見えるけど、病院で白衣を着ているなら医者なんだろうか。ずいぶんな童顔だ。研修医とか何かなのだろうか。
「お医者さん、ですか」
「医者には変わりないけど、立場としては校医だね。ここは清廉学園高等部の保健室だよ」
「保健室」
保健室にしては立派だった。僕の通っていた中学校の保健室はもっと狭かったし、こんなに綺麗ではなかった。保健室といえば他の教室よりちょっと綺麗くらいが普通と思っていたのに、金持ち学校は違うなあ。
「名前は一応聞いているんだけど、確認のために名前聞いていい?」
「夏目湊です」
「夏目湊、新入生だね。僕はこの学校の校医の坂本綾人、よろしく」
そういうと、坂本先生はちょっと待っててねとカーテンの外に出て行った。人の動く気配と物音がする。僕は上半身を起こしたままでいた。体調はよくなったみたいだし、立ち上がろうかと思ったとき、坂本先生が顔を出す。しかも、両手に湯飲みを持って。
「お茶を入れたよ。ゆっくり飲んで」
「ゆっくりしている暇はないです。今日は入寮日で」
「ああ、入寮日なら昨日だよ。湊君は丸一日寝てたんだから」
「は、早くいってください。入寮日に遅れちゃって、僕どうしたら」
「気にすることはないよ。入寮日に遅れる人なんてザラにいるし、こっちから寮の方に体調不良の新入生預かってるともいってあるから大丈夫だよ」
寮の方は大丈夫かもしれないけれど、同室になる人は入寮日に来ないのをどう思っているだろう。同室の人とは友だちにはなれなくても、ある程度仲良くしておきたい。口も利いてもらえないまま過ごすのはイヤだ。
「いってしまうのかい。少し話したかったんだけどなあ」
「すいません。お茶飲んでる暇はないです。いきますね」
「急な動きは厳禁だよ。それと、寝不足とかストレスは体調不良の原因になるから、気をつけて。それと湊君」
「はい、分かりました。ありがとうございました」
僕は荷物から学校案内の冊子を取り出して現在位置を確認する。保健室は校舎の中にあるわけではなくて、寮との中間に建つ別の建物であるらしい。寮はすぐ近くだ。僕は早足で寮に急いだ。管理人室で受付をして、鍵を受け取ると与えられた部屋へ急ぐ。
同室になる人はどんな人なのだろう。仲良くなれそうな人ならいいな。それがダメなら僕に干渉してこない人。僕は祈るようにドアをノックした。