──さて、いきなりだが、俺ほど汚れを知らぬ人間はそうそういないだろう。
断言しよう。これは揺るぎない真実であり、反論の余地など微塵もないのだ。
幼稚園の卒園アルバムに高らかに『将来なりたいもの:楽して儲ける仕事』と書き記した過去があるが……あれは、俺の善良さの証左以外の何物でもない。
効率的に富を得て、世の中に還元する。なんと素晴らしい精神だろうか。
つまりだ、俺は生粋の聖人君子であり、清廉潔白という四文字熟語が歩いているような男なのである。
「ふむぅ。するとそなたは、己の魂が清らかだと申すか……」
「へいへい、仰せの通りでごぜえますだ!」
かくも高潔な精神を持つこの俺だが、現在進行形で謎の白い空間にて、これまた白い髭を蓄えた、小汚ぇジジィ……いや失礼、風格のあるおじい様に向かって恭しく頭を下げている状況だ。
白いガウンのようなものを身につけたそのおじい様は、実にのんびりとした眼差しでこちらを見ておられる。そして俺は、その御仁を一目見た瞬間に悟った。
──ああ、この方こそ、巷で『神』と呼ばれている存在に違いない、と。
だってほら、なんかフワフワ浮いてるし、全身から『ワタクシ、神でございます』オーラが駄々洩れなのだから。
「私、こう見えても幼少期より犯罪を犯したことがないのが自慢でしてぇ。バレなければ犯罪ではないというのをモットーに……あ、いえなんでもございません」
「ほうほう。それは殊勝な青年だのぅ」
「はい!それはもう!私ほど善良な人間はそうはおりませんて!」
俺はしたり顔で答えた。そうだ。俺は一度たりとも犯罪など犯したことはない。犯罪を犯す連中ときたら、愚の骨頂だ。
バレていないなどと都合の良い解釈をし、尻尾を掴まれるような杜撰な後始末をするのだから笑止千万。俺はそんな阿呆どもとは根本的に違う。
事前にありとあらゆる根回しを行い、万が一の事態にも完璧に対処する。それが俺の流儀だ。
「さて、そこでじゃ。そなたのような善良な魂を持つ青年に、一つ頼みがあってな……」
「へぇへぇ!この私、人に頼まれると脊髄反射で『YES』と答えてしまう、筋金入りのお人好しでございやす!どんな無理難題でも、この私にお任せくださいまし!」
「そうかそうか。それはありがたいのぅ」
正直なところ、俺は自分が置かれている状況がまだよく掴めていない。まあ、現世でポックリ逝って魂だけがこの奇妙な空間に拉致られたのだろう、という見当はついているが。
しかし、思い出せない。一体全体、現世の俺は何をしでかしたというのか?あれほどまでに、尻尾が出ないよう神経を尖らせていたというのに。
まあいい。この完璧なる俺が死ぬなど、きっと運命の悪戯だろう。過ぎたことを悔やんでも詮無い。
それに、そんな万が一の事態に備えて、現世では人知れず善行を積み重ねてきたのだ。
閻魔大王も、俺の神々しいまでの善行を目にした瞬間、感動のあまり土下座し、問答無用で極楽行きの VIP チケットをくれるに違いない。
「実はのぅ、近々、新しい世界を一つこしらえることになったのじゃ。その重大な任務を、ワシの可愛い孫娘に任せてみようと思っておるのじゃが……」
「はあ……世界、ですか」
世界を創る、とはまた途方もない話が出てきたものだ。さすがは神様……と言いたいところだが、神に孫とはこれ如何に?
人間じゃあるまいし、もっとこう、抽象的で超越した存在なのではないのか?いや、しかしギリシア神話の神は家族間でドロドロしていたような……?
……まぁ、そんな些細な疑問は、この達観した俺にはどうでもいいことだ。
「なにせ、まだ神としては駆け出しの身じゃからのう。あの子に、ちゃんと世界を創り上げられるかどうか、ちょっぴり心配でな」
なるほどね。神様とやらも、人間臭いことに肉親の情なんてものを持っているのか。これは貴重なインフォメーションだ。
もしものことがあれば、家族を人質に……いやいや、いかんいかん。俺は清廉潔白な聖人だった。聖人がそんな黒い思惑を抱くなど言語道断。
危うく、長年培ってきた『素』が出てしまうところだった。
「そこでじゃ、その孫の補佐として、天使を一柱遣わそうと考えたのだが、如何せん適任がおらんくてのう」
「天使……」
天使、ねぇ。あの背中に羽根が生えた、人間もどきの連中のことか。知ってる知ってる。
人間様に押し付けがましい善意を振りかざし、その実腹の中では何を考えているか分からない、偽善と欺瞞の塊だろう?俺はそういう連中の生態には詳しいんだ。
「そこでじゃ、そなたに頼みたいのじゃが……天使となってもらって、ワシの孫を補佐してくれんかのう?」
「俺が天使?この俺が?ぎゃはははは!!ボケてんのかクソジジイ!!俺が天使になったら、その世界は速攻で滅亡……あ、いや、失礼いたしました」
つい、心の底から湧き上がる本音が顔を出してしまったが、俺は悪くない。だって、俺が天使になるなどという荒唐無稽な話を始めたのは、向こうなのだから。
しかも、補佐だと?世界を創造するのに、補佐が必要なほど神様の孫というのは出来損ないなのか?孫とは言え、神様なんだろう?
俺がそう訝しんでいると、神様は呑気な声で「ほっほっほ」と笑った。まるで、俺の内心などお見通しだと言わんばかりに。
「なぁに心配するでない。ワシの孫と相性のいい魂を選んだ結果が、お前さんだ。きっと上手いことやれるだろう」
「お、俺と……相性がいい、だと?」
この俺と馬が合う神様だと?十中八九、碌でもないクソ野郎に違いない。
あ、いやいや、俺は正真正銘の正義の味方であり、善良で真っ当な人間であることは改めて強調しておく。
だが、どうにもこうにも、胸騒ぎが止まらない。俺と相性がいいという文言が、俺を震わせるのだ……。
「ほら、見てないでこっちに来なさい。エルセア」
神様がそう声を上げた、その瞬間だった。手品のようにポン!と白い煙が立ち上る。
そして、その煙の中から姿を現したのは……。
「……」
息を呑むほどに美しい、幼い少女だった。
陽光をそのまま閉じ込めたような金色の髪、吸い込まれそうなほど透き通った、碧い瞳。
その小さな体に纏っているのは、白い布を無造作に巻き付けただけの簡素な衣。
それなのに、その姿は神々しくもどこか危うげで、まるで精巧なガラス細工のような、幼児──。
「いや、どう見ても幼児じゃねぇか!」
俺は盛大にツッコミを入れた。どう角度を変えて見ても、出てきたのが紛うことなき幼児だったからだ。
神だと?冗談も休み休み言え。まだオムツが標準装備されていてもおかしくない年齢だろう。俺は怪訝な表情を隠しもせず、神とやらに問い質した。
「ええっと……この御子を、俺が補佐しろ、と?」
「うむ。そなたの才覚ならば、きっとエルミアの才能を引き出してくれると信じておるぞい」
そんな無邪気な顔で言われても困るんだが。
そもそもこんな小さな子供に何が出来るというのだろうか?
確かに見た目は神々しいが……。幼児じゃなぁ。
……だが、いいか。小さいとはいえ神は神だし、なんとかなるだろう。
それに俺は聖人だ。神に頼まれたとあらば、断ることなど出来よう筈もない。
「分かりました!この私めがその大役、見事に果たして見せましょう!!」
「おお!やってくれるか!」
さて、正直この申し出を受けて、俺にメリットがあるかと言えば、限りなくゼロに近い。
──だが。
長年、人様を騙し続けた……いや、世のため人のために汗水流してきたこの俺の、卓越した嗅覚がビンビンに反応していたのだ。
『この神様のお願い、引き受けてみると、とびきり美味しいことがあるぞ』
と、囁くように告げている。
まあ? 見返りなど毛ほども期待しないのが、生粋の聖人君子たるこの俺様の流儀だけども?
困っている様子の神様と、やたら可愛らしいがどう見ても生意気そうなクソガ……いや失敬、世間知らずの幼児を見守ってやるくらい、清廉潔白な人間としては当然の務めだからね?
任されたからには、仕方ない。この偉大なる俺が、その『大役』とやらを、そつなく、そして完璧にこなしてやるとしようではないか。
「それじゃあ、頼むぞい。たまに様子を見にくるから、それまでにいい感じの世界を創っておいておくれ」
神はそう言って、まるで最初からそこにいなかったかのように、フワフワと輪郭を薄くしていく。
「世界を創るのは大変じゃが……お前さんなら出来るよ。エルセア……」
そうして、相変わらず何もないだだっ広い白い空間には、ポツンと残された俺と──相棒となるらしい、やけに整った顔立ちの幼児だけ。
シン、とした静寂が、なんとも言えない気まずさを醸し出す。
さて、ここからが正念場だ。まずはパートナー、もとい、これから俺様の手のひらで転がす……ではなく、サポートしてあげる相棒との関係構築から始めるべきだろう。
俺は顔中の筋肉という筋肉を総動員し、これ以上ないだろうってくらいの完璧な営業スマイルを張り付けた。
そして、とびきり甘ったるく、優しげな声で語りかけた。
「わぁお!はじめまして、エルセアちゃん!これからは、お兄さんがエルセアちゃんの天使として、世界創造のサポートをするからね!よろしく!」
これで掴みは完璧、と内心で頷いた俺だったが。
「……」
だが、俺様の全身全霊を込めた、詐欺師時代も真っ青のハイスペック営業スマイルも、計算され尽くした完璧な第一声も、目の前の幼児にはまるで響かなかったらしい。
見事な無反応である。
(もしかして……俺、いきなり嫌われたか?)
いやいやまさか。この俺を嫌う奴なんて、前世を見渡しても……いや、特定の債権者からは凄まじく嫌われてたかもしれないが、基本的には誰からも好かれるナイスガイだった筈だ。
そうだ。きっとこれは、人見知りってやつだな! 神様の孫といえど、まだ幼い身。突然目の前に現れた、清廉潔白で眩いばかりのオーラを放つこの俺様を前に、恐縮してフリーズしているに違いない。
「よーしよし。それじゃあ、とりあえず何から始めようか? 俺、こういうの初めてだから、正直、さっぱり分っかんないんだよねぇ! エルセアちゃんはきっと色々知ってるんだろ? さあ、なんでも言ってごらん? お兄さんがバッチリ、サポートしてあげるからさ!」
できるだけ頼りなさげに、かつ親切そうに声をかける。これで相手も話しやすくなるだろう。
「まず、何をするか……?」
やっと喋ったな。無反応だったから、もしかしたら宇宙語みたいなのを喋るタイプかと思ったが、どうやらコミュニケーションに問題はなさそうだ。
よしよし。幸先がいいぞ、これは。これでゴリゴリに主導権を握って、俺の都合の良い世界を創造できるってわけだ。
俺が内心でほくそ笑んだ、その時だった。
彼女の、吸い込まれるような碧い瞳が、すい、と俺の方を向いたかと思うと……ふ、と細められた。
次の瞬間である。
「まずはお前を殺すでちゅ」
その可愛らしい声が響き終わるか終わらないかのタイミングで──
──まるで世界がひっくり返ったかのような、凄まじい轟音が全身を揺るがした。
次の瞬間、俺の頭部は吹き飛んでいた。