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魔王選定人 ~影の支配者と選定の遊戯~
魔王選定人 ~影の支配者と選定の遊戯~
季未
異世界ファンタジーダークファンタジー
2025年05月10日
公開日
4.5万字
連載中
──先代魔王ヴァレリウス、崩御。 魔界は空位となった玉座を巡り、八人の後継者候補による血と謀略の選定戦へと突入する。武力、知略、財力、血統――全てを駆使した候補者たちの壮絶な心理戦と駆け引きが始まった。 だが、誰も知らない。この残酷な「遊戯」の盤面を、ただ一人の男が影から支配していることを。 魔王城の片隅で書物を整理する、目立たぬ書庫番の青年エルピス。彼こそが、先代魔王を育て上げた太古の超越者にして、この選定戦を仕組んだ冷酷非情な「選定人」である。 「さあ、愛しき駒たちよ。せいぜい見苦しく、されど懸命に踊り狂え。お前たちが演じる滑稽な茶番こそが、我が永きに渡る虚無の、唯一の慰みなのだから」 美しくも悍ましい微笑みを浮かべる彼の手の中で、魔界の未来が歪んでいく。 これは、無垢にして邪悪な超越者が紡ぐ、魔王誕生の叙事詩。

第1話

魔王城の大広間は、ひどく広くて、冷え冷えとしていた。

高い天井は薄暗い影の中だ。黒い石の柱が何本も並び、壁の青白い魔法の灯りがゆらゆらと揺れている。

広間は静まり返っていたが、どこかから聞こえる低い古い言葉の詠唱だけが、単調に響き続けていた。香の匂いが鼻につく。死者の魂を導くためのものだという。


「ヴァレリウス様も、とうとう逝かれたか」


誰かがひそやかに囁いた。


「ああ。これで魔界も変わるだろうな……良くも、悪くも」


別の声が応じる。その声には、悲しみよりも別の感情が滲んでいた。


──そう、今行われているのは長い間、魔界を支配した先代魔王ヴァレリウスの葬儀。


彼の力が失われた今、この場にあるのは、表向きの悲しみと……空になった玉座を巡る、むき出しの野心。


「……」


魔王の葬儀に、集まった魔界の有力者たち。その中でも、ひときわ強い気配を放ち、互いを窺う九人の姿があった。

この九人こそ、次期魔王の座を争う後継者候補たち。いつ何が起きてもおかしくない危うさが、荘厳な儀式の裏で渦巻いていた。


──なんという茶番。主役が死んで、次の主役を狙う役者たちが、悲しい顔で集まっている。


そんな冷めた声が、広間のどこかから聞こえた気がした。いや、声に出した者などいるはずもない。

ただ、張り詰めた空気そのものが、そう囁いているかのようだった。


集まった有力者たちの中でも、九人の後継者候補たちは、否が応でも注目を集めていた。

彼らは互いを意識し、探り合いながら、それぞれのやり方でこの場に「存在」していた。


「おぉ、おぉ……我が君よ!何故、ワシよりも早く逝ってしまわれたのだ……!」


最前列に立つのは、歴戦の勇将、オーガ族のボロク将軍だ。山を思わせる巨大な体躯に、古傷の残るいかつい顔。その顔を、今は大粒の涙が濡らしていた。

彼は声を震わせ、男泣きにむせんでいる。忠誠心に厚い、武骨な将軍──少なくとも、表向きはそう見えた。

だが、涙に濡れたその目が、時折他の候補者へ向けられる瞬間、そこに殺意の光が宿るのを、注意深い者なら見逃さなかったかもしれない。


「あぁ陛下。おいたわしいこと……」


その少し斜め後ろには、宮廷魔術師筆頭のリラ女史が控えている。艶やかな黒絹のドレスをまとい、背中から漆黒の翼を広げ、扇子で口元を隠した姿は、悲しみの場には不釣り合いなほど妖艶だ。

彼女の唇には、常に微かな笑みが浮かんでいるように見える。呟く声も、どこか芝居がかっていた。

扇子の陰から覗く瞳は鋭く、獲物を品定めするように、他の候補者たちや広間の隅々までを素早く、そして正確に観察していた。


「……」


また別の場所には、全身を漆黒の鎧で覆った騎士が、石像のように微動だにせず立っていた。兜の面頬が降ろされ、その素顔も、性別すらも窺い知ることはできない。

ただ、その場にいるだけで周囲の空気を圧するような、ただならぬ威圧感を放っている。他の者たちも、不用意に近づこうとはしない。

沈黙こそが、この騎士の不気味な力の証明だった。


「ふん」


そして──ひときわ不遜な態度で柱に寄りかかっているのが、マルバス公爵だ。

彼は他の候補者たちを、隠そうともしない侮蔑の視線で見回している。荘厳な儀式も、悲嘆にくれる者たちも、彼にとっては退屈な道化芝居にしか見えないらしい。

時折、小さく鼻で笑うような仕草を見せ、その傲慢さを隠そうともしなかった。彼にとって、先代魔王の死は悲劇ではなく、待ち望んだ機会の到来でしかなかったのだ。


将軍は涙し、魔術師は微笑み、騎士は沈黙し、公爵は嘲笑う。


その広間の、端──。


蝋燭の火が届かぬ、深い影の中に、一人の青年がひっそりと立っていた。書庫番が着るような、飾り気のない質素な灰色のローブをまとっている。


「……」


手には記録用らしき薄い石板を持っているが、特に何かを書き留める様子もない。ただ、広間の中央で繰り広げられる光景を、何の感情も映さない静かな瞳でじっと見つめているだけだ。

彼の存在はあまりに地味で、巨大な広間の装飾の一部か、あるいは壁の染みのように、ほとんど誰の注意も引いていなかった。


荘厳な詠唱はまだ続いている。


先代魔王ヴァレリウスは死に、玉座は空位となった。

魔界の運命は、今この場に集う者たちの、仮面の下の素顔に委ねられている。


広間の影では、名もなき書庫番の青年が、ただ静かに全てを見つめていた。

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