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第4話 鍵


「アラタくん、おはよう。昨夜は眠れましたか?」


朝。

陽の差さない地下の簡易シェルター。

パーティションで区切られた簡素なベッドに腰掛けていたアラタは、入口に立つ黒羽風の声に顔を上げた。


「……うん。まあ、なんとか」


言葉とは裏腹に、目の下には薄くクマができていた。

眠れなかった原因は、夢だ。


昨夜の夢は違っていた。

どこかの部屋。暗く、狭く、鉄の扉が閉ざされている。

その中に、自分はいた。拘束されて。

誰かの声がする。男の声。耳元で、やさしく名前を呼ぶ声――「アラタ」と。


(あれは……風の声に似ていた)


思い出そうとするたびに、意識の奥で何かが疼いた。


「……体調が悪いようなら、今日は休んでもいいですよ」


「いや、大丈夫です。……どこか、連れていってくれるって言ってましたよね?」


「ええ」


風は穏やかに微笑んだ。

アラタの返答を、すでに予想していたかのように。




午前中、二人は新宿御苑を歩いた。

風の提案だった。朝の散歩と、新鮮な空気。都会の騒がしさから離れ、心を落ち着かせる場所。

季節は秋。風に乗って色づいた葉が舞い、アラタの肩に一枚、はらりと落ちる。


「……不思議だな。こうして歩いてるだけなのに、どこか懐かしい感じがする」


アラタはつぶやいた。


「たぶん、以前も来たことがあるんでしょうね。誰かと。……記憶って、完全には消えません。どこかに、必ず痕跡が残るものです」


「……“誰か”って、誰だろう」


風は答えなかった。

けれど、ふとアラタの方へ視線を向けたその表情には、一瞬だけ翳りが差した。




その後、カフェで軽い昼食を取った帰り道――

アラタはふと、ある言葉を口にした。


「ねえ、風さんって……前に、俺と会ったこと、ある?」


風は少しだけ足を止めた。

そして笑みを浮かべたまま、答える。


「どうして、そう思ったんですか?」


「なんとなく、なんだけど。……初めて会った気がしないというか。夢の中で、誰かが俺を呼ぶんです。“アラタ”って。その声が……風さんに似ていて」


風の笑みが、わずかに深くなった。


「だったら、そうかもしれませんね。夢というのは、時に真実の影を映すものですから」


答えになっていない。けれど、否定もしない。

アラタは胸の奥がざわめくのを感じた。


「もし……もし、俺が風さんの知り合いだったとしたら、どうします?」


「そうですね」


風は手にしたコーヒーをゆっくりと口に運び、静かに言った。


「たぶん、もう一度……あなたに惚れると思います」




アラタは言葉を失った。

何かが心の奥で引き金を引いた。

懐かしくて、だけどどこか怖い――そんな感情。




その夜、アラタはまた夢を見た。

今度は、誰かと笑っていた。

大学のキャンパスのような場所。自分の隣には、短髪で眼鏡をかけた青年――誰だ? ……

夢の中では、その青年と何かを誓い合っていた。


「俺たち、絶対、作品を出そうな。二人の名前で」


目が覚めたとき、アラタの手は小さく震えていた。

夢の中の彼は、現実よりもずっと“自分”らしかった。

彼と笑っていた時間が、確かにあったような気がした。




翌朝、アラタは小さなノートを買った。

夢の内容を忘れないように、書き留めておこうと思ったのだ。

ページの一番上に、こう記した。


「夢の記録――自分を探すために」

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