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第14話

「ありがたいお言葉でございやす。なにぶん、手前の舌では手前の味覚しか分からぬもの。よそ様のお口に合うか合わぬか、自信がありやせんもので」

「そうかなぁ? 豆腐の味には自信があるんだろう?」

「それはその、手前は豆腐を食わせる妖怪です。それが豆腐の味にまで自信を失えば、もはやそうとすら言えぬ始末で」


 ……豆腐の味が分かるなら、ほかの味も分かりそうなもんだけどなぁ。

 とはいえ、本当に自信がなさそうだ。だけど定食を出してるのに、もともと味に自信がなかったとは思えない。


「もしかしてだけど……誰かに、なにか言われたかい?」


 ひょこんと、豆腐小僧がかぶっている笠が跳ねた。行動が素直な子だ。

 でも、誰かにまずいとか言われたなら不安になるのも仕方がない。まして味覚障害の最中だ。


「オレとしては、そんなの全然気にするなっていいたいところだけど……心配なようなら味覚の件、きゅうりマタタビ堂の二人に話してもいいかい? もし薬で治るようなら、そのほうがいいと思うんだ」

「……それは……手前も考えやした。ですが、味の分からぬ者の出す食い物は信用ならんと思われるのではと……」

「あの二人なら他言無用と言っておけば守ってくれると思う。このまま自然に治るのを待つより、積極的に治しにかかった方がいいかなとは思うんだけど……どう?」


 涙目になった大きな目玉がオレを見る。

 どうやらオレは銀花さんの目にも弱いけど、子どもの視線にも弱いらしい。なんというか頼りなくてかわいそうで、オレがなんでもしてやろうって気になってしまう。自分でなんとかできるかどうかは度外視に、だ。


「ご相談を、お願い、できやすでしょうか……」

「うん、分かった。きっとすぐ治るから、あまり弱気になっちゃダメだぞ」


 こういうの、今は人の褌で相撲を取る、とか言うんだったかな。あまりよくない傾向だなぁと考えつつ、今回についてはトラさんの客を増やしたってことで一つ、許してもらいたいと思う。


 店は休まず続けたいという希望も聞いた上で、店を出る。勘定のとき、本当は駄賃として少し多く渡したかったんだけど、相談にも乗ってもらうからと断固として固辞されてしまった。しっかりした子だ。

 時間は、まだ十一時前と言ったところだ。妖怪細道に並ぶ店屋も、まだほとんど開いていない。

 これは一旦家に帰るべきかなと思っていたが、神社へと戻る道すがら、遠くの道端でコロンコロンと寝返りを打っているようななにかを目にしてしまった。


 向かいの商店の影から逃れた、日当たりのいい場所だ。そこで、銀色っぽく見える毛玉が背中をこすりつけている。

 まさか、とオレの目が見開いた。


「ぎ、銀花さん!?」


 思わず声を上げると、毛玉はぴょんと跳びはねる。背中を盛り上げてしばらく固まったようにじっとしたあと──四つ足でトテトテと走ってきた。

 近くに来ると、見慣れた彼女だと確信できる。まん丸顔とふっくらとした、まさに猫らしい銀花さんだった。


「誰かと思たらよっしゅきさんやないの。こんな時間にどないしたん?」

「いや、ちょっと昼間の妖怪細道に来てみたくって……。と言うか銀花さん、今日は着物、着てないんですね?」


 普通の猫にしか見えない銀花さんは、思っていたよりずっと新鮮に見えた。

 フワフワふくよか丸っこい感じがより鮮明に分かるというか、毛並みの良さや顔の穏やかさもあって、可愛がられている外飼い猫って感じを受ける。だけど首輪もしてないから、誰かに抱き上げられて持って帰られちゃいそうだ。

 自分でも多少自覚があるのか、銀花さんは照れくさそうにオレを見上げる。


「お店に立つときとか、お外行くときはお着物なんやけどねぇ。お昼間は……お日ぃさん当たって気持ちよぉなると、どうしてもコテコテしてまうよって。このカッコでおることが多いのん」


 くふくふと笑いながら、オレのスネに頭をこすりつけてくれる。普段なら銀花さんの頭の位置はオレの太もも付近だ。これも新鮮。

 ひょいと抱っこさせてもらうと、フワフワのお腹の毛に手が埋もれた。

 可愛い。


「トラさんは? もしかして、まだ寝てます?」

「ううん、そろそろ起きはるえ。最近はよっしゅきさんのおかげで夜更かししはることも減らはったし、ホンマありがたいわ。トラさんにご用事?」

「ちょっとご相談がありまして。開店時間になったら伺おうかなぁと思うんですけど」

「もしあれやったら、今からでもよろしえ?」

「いいんですか? トラさん、朝からオレがいたらビックリするんじゃ」

「そらちょっとはビックリしはるかもしれんけど、知らん仲やないしなぁ。いてはるん気ぃつかはっても、あぁおったんか、くらいの反応ちゃうやろか」


 ……起き抜けに知人がいたら、それどころじゃないような気もするけどなぁ。

 でも銀花さんがこう言ってくれてるし、素の銀花さんを堪能できる機会と思って、お邪魔してしまおう。


 カーテンの閉まったきゅうりマタタビ堂の店内は、薄暗くて静かだ。普段オレが来る時間、静かな店内にも表通りの騒がしさが入りこんでくる。それが本当に静まりかえっているのを見て、なんだか店そのものが寝息をたてているように思えた。

 とてとてと前を行く銀花さんの足音がしないせいもあるんだろう。なんとなく声を出すのが憚られて、小さくお邪魔しますと呟いてから、暖簾の隙間を抜けた。


 奥の住居スペースは、ことさら静かで暗い。


「よっしゅきさん、オレンジジュース飲めはる? いただきもんのオレンジジュースがあるんやけど」

「あ、はい! 大丈夫です」

「ほんま、よかったぁ。ウチらおミカンとかはおめめシパシパするよって、あんまり飲まへんのんよ。助かるわぁ」


 ニコニコと、なみなみと注がれたオレンジジュースが目の前に出される。氷も入れてくれて、ストローまで刺さってる。至れり尽くせりだ。

 そういえば猫は柑橘系ダメな子が多いんだった。もしかして爬虫類もそうなんだろうか。……というか、河童って爬虫類かな。トラさんが亀っぽい顔だから爬虫類だと思い込んではいるけど、よく分からない。


 じゅうっとジュースを一口いただき、改めて銀花さんに向き合う。


「で、相談って言うのは薬のことなんです」

「薬? よっしゅきさん、どっか調子よろしないの?」

「調子が悪いのはオレじゃないんです。実はさっき、鳥居のあっち側の道を散策してみたんですけど──」


 話す間、銀花さんは何度も頷いたり、納得した顔や、心配そうな顔など、とにかく百面相を見せてくれた。前々から思っていたけど、銀花さんはほかの猫よりも表情が分かりやすい気がする。それともこれは、オレが銀花さんと親しくなったせいだろうか。


「──で、豆腐小僧は店の料理を誰かにまずいって言われたらしくて。味覚障害、治してあげたいんですよ」

「ひどい話やなぁ……。豆腐ちゃん、最近ここにお店出した子ぉなんやけどね。礼儀正しぃて、いっつもニコニコしとってねぇ。ええ子が来たねぇって、みぃんな言うてるん。誰や、そんな子ぉにいけず言うたん」


 銀花さんの尻尾が、不機嫌そうにばっしんばっしんと揺れている。普段は尻尾も、ほとんどが着物に隠れているわけだから、こうしてしっかり目にできるのはちょっと嬉しい。尻尾の付け根だけ色が濃いことも、今日初めて知った。

 それに、膨れ面も可愛い。まん丸い顔がより丸く見える。


「それに豆腐ちゃんのご飯がおいしないなんて、そんなことあるわけないんよ。やってあの子──」

「……なんや。こげん時間から客が来とーとか」


 銀花さんがなにか言いかけたとき、奥の襖が開いて着崩した浴衣姿のトラさんがやってきた。

 大きな黒目が、眠そうに半目になってる。頭の毛もあっちこっちに跳ねてるし、本来はくせっ毛なんだろうな。


「おはようございますトラさん。すみません、朝から」

「かまわん。それに朝て言うたっちゃ、もう昼も近かっちゃろう。俺が寝坊なだけや」


 もにゃもにゃとくちばしの端を動かしながら、どっかりとちゃぶ台の前に腰を下ろす。とたん、銀花さんは嬉しそうにトラさんの膝に向かって転がった。

 え、銀花さんそんな風に甘えちゃうんですか。トラさんも当たり前のようにお腹をモフッてる。お腹の毛もフワフワだ、水掻きのついてトラさんの手が埋もれかけだ。

 え、そん、そんな雑に!? そんなに雑にモフッても怒られないの羨ましすぎませんかトラさん! オレ触らせてもらったことない! そこが夫と客の違いなんだろうけど羨ましい!

 やっぱり着物を着てるときは帯もあるし、甘えにくいのかもなぁ。この間手土産にしたキウイは、結局オレの前では食べてくれなかったし。銀花さんをモフれるのはまだ先の話か……。


 オレがしょんぼりしている間に、銀花さんは甘えながら、トラさんにこれまでの話を語って聞かせている。トラさんもあくびをしながら、何度も頷いてきちんと話を聞いているようだった。

 やがて豆腐小僧のことに話が及ぶと、トラさんは考えこむように目を動かし、怪訝そうに小首を傾ぐ。


「人に物ば食わせる妖怪は豆腐小僧くらいんもんやが、大豆が元になっとぉ豆腐ば食わせとぉことば考えたっちゃ、あいつは保食神さん──すべてん食い物ば産んで、人と神に食い物ば与える神さんの加護ば持っとぉ。そげん奴が作った料理がまずかなんて、そげんわけはなか」


 それでもまずいと言うならそいつの舌こそ間違ってると漏らしたトラさんに、銀花さんもウンウンとうなずいている。豆腐小僧、そんなにめずらしい特徴の妖怪なのか。


「味覚障害、治してやれますかね」

「原因によっちゃすぐに治るやろうがなぁ。そん味覚障害、嫌味ば言わるぅ前からなんか、言われてからなったんかが気になる」

「大事な部分ですか?」

「一番肝要な部分や。舌ちゅうんなちょっとしたことで狂うもんやけん……人間でん、風邪で味が分からんくなることがあるやろう。体調不良で味覚がおかしゅうなっとぉやったら、すぐに治る。やが」


 トラさんはむずかしそうな顔で腕を組んだ。


「精神的ストレスから来る味覚障害は、なかなか治らん」


 心の治療がいるってことか。それは確かに、ちょっと長期戦になるかもしれない。

 味覚障害のきっかけを探すなら、いつ頃なったか、そのあたりでなにかきっかけになるような出来事があったかとかを聴き取りした方がいいんだろう。

 でもたぶん、あまり頻繁に聞きに行ったりしたら、周囲の目を気にするかもしれないし……。


 うーんと悩んでいると、銀花さんがいそいそと着物を身につけ始めていた。

 ……いつもキレイに着ているから気にはなってたけど、一つ身の着物に付け紐がついてて、猫の手でも着やすくされてるんだな。

 これもきっと、銀花さんのもともとの飼い主である銀杏さんの気遣いだろう。帯もきれいな柄ではあるものの、柔らかい布だ。きっと銀花さんが苦しくないよう、動きやすいように、いいものを選んで仕立てられてるんだと思う。

 愛されてるなぁ、銀花さん。


「トラさぁん、帯結んでぇ」

「なんや、いつもは昼過ぎまで着らんのに」

「お豆腐買うてくるん。ボウル持っとったらおサイフ持てんやろぉ。お着物やったら、おサイフ帯に挟めるんよ」

「あーなぁ。そんならしょんなかね」

「豆腐、買ってくるんですか」

「トラさんの朝ごはん、実はまだ用意できとらんのん。お豆腐ときゅうりを塩昆布で和えたら、さっとできる朝ごはんになるんえ」


 可愛くちょうちょ結びにされた帯をポンと叩き、言ってきますと笑って店を出て行く。

 何重かに巻かれた帯の間に財布を挟み、機嫌良く表を歩いていく横顔を見送る中で、遅ればせながら気づいた。


「あ! もしかして銀花さん、自分で豆腐小僧の話聞きに行った!?」

「……今気づいたんか。鈍かやっちゃやな」

「うぅ……。違うんです、オレが聞き込みに行こうと思ってたから、完全に不意を打たれて……」

「豆腐小僧に話ば聞きに行くなら、客としていくとが一番手っ取り早かろう。なんも買わんで話ば聞きに行きゃああやしかろうが、豆腐ば買いに行ったついでに世間話ん顔していろんな話ば聞きゃあ、他に通りすがりん妖怪がおったっちゃ気にしゃるーこたぁなか。あそこん豆腐は今でもパックやなくて、水から掬うてボウルに入れてくれる売り方や。話す時間はそれなりに取るぅ」

「なるほど」


 確かに、豆腐小僧は話し好きな感じがした。接客ついでに世間話をする様子なんかは、わりと見慣れられてるのかもしれない。

 オレの話から思い立って、即座に行動に移せるのが銀花さんの凄いところだと思う。


「ちなみにトラさん、豆腐小僧がなにか薬をもらいにきた記憶とか、ありますか」

「んー……。考えてみとるばってん、ほとんど覚えとらん。元気な顔ばっかり頭に浮かぶような奴や。やけん俺は、まずかて言われたショックから味覚がおかしゅうなったんやて思いよぉ。ただ、そげんこつ言うような奴がこん細道に……」


 はたと、トラさんはなにか気付いた様子で店のほうに走った。

 そのまま、黒い電話らしきものの周辺をバタバタとひっくり返し、いくつかの紙束の内容を改め始めている。オレはそれを、好奇心から覗いているだけだ。

 なにか目的のモノがあるのか、読んでは後方に投げ捨てられていくものを、一枚拾い上げてみる。どうもそれは、いわゆる地域のお知らせのようなものだ。うちのアパートにも、なにかあれば掲示板に似たようなものが貼り出されている。

 妖怪細道にもそういう決まりや、地域住民の協力体制みたいなものがあるんだろう。


「あった、これやぁ!!」

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