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第13話

 前回、初めてきゅうりマタタビ堂から正式に請け負った陰陽師としての仕事は、無事に幕を閉じた。

 丸一日、悪夢と認識した現実を食べなかったからか、オレの夢に直接、獏が謝礼に出てきたわけだ。なんでも、トラさんからは食べ過ぎの薬と睡眠導入剤、あと、ブラック企業勤めの人間の夢を食べるときには注意するようにと、ちょっとした小言を食らったらしい。


「おかげさまで……陰陽師様もおかげでェ……ようやく腹具合がマシになりましてねぇ……。さすがは大陰陽師と噂の……」

「いやいや、お役に立てたならなによりですから。とりあえずお戻りになって寝てください」


 睡眠不足で聞き取りにくいしゃべり方なのかと思ってるんだけど、これ、もしかして素なんだろうか。だとしたら、わりと苦手なタイプの妖怪なのかもしれない。

 せっかちのつもりはないけど、あくび混じりの対談はどうもこう、モヤッとしてしまう。

 それならお礼状でも一筆したためてくれたほうがよっぽど嬉しい。


 そんなオレの気持ちを汲んだわけでもないんだろうが、獏はそうですかぁ、なんて間抜けな返事をしたあと、ポポンといくつかの飴を生みだした。

 先日オレが食べた、あの人の悪夢に似ているけど、色が違う。


「こちら……私の口には合いませんでしたが、いい夢らしくてですねぇ……。よろしければお納めください……。いろんなことが辛くなっても……夢で幸せなら、少しは……耐えられましょう……」

「いい夢、ですか。……ありがとうございます」


 いい夢だというなら、もらうのもやぶさかじゃない。オレは昔からわりと、夢買いには積極的な方だった。

 しかも今手元にある夢は、好きなときに食べることができる、実体を伴う夢だ。気分を変えたいときに頼るてとして、素直に嬉しい。


 それにこれなら、誰かに譲ることもできる。

 ……味見というか、実際どんな夢なのかを先に吟味することができないのが難点ではあるけど、あの胸糞悪くなる状況の悪夢を嗜好する獏の口に合わないって言うんなら、まぁそこそこいい夢なんだろう。


 今その飴は、オレの自宅にある冷蔵庫の中に、大切にしまってある。


 初仕事を無事に終えたのもあって──オレはバイトもない平日を、実にのんびりと過ごしていた。

 なんせ朝からデリバリーでファストフードのモーニングセットを注文するくらいの優雅さだ。なんというか、心に余裕がある。


 ふと──


 夜以外の時間に、妖怪細道に入ってみたくなった。

 いつもはバイト終わり、おつとめ品になった手土産を持ってきゅうりマタタビ堂を訪ねるのが常だ。しかも目的地が鳥居から近いことから、この間初めて、細道を歩いた。

 夜、色とりどりの提灯が下がる妖怪細道はなんとなく気後れしてしまうけど、昼間ならむしろ、閉店中の店が多い気がする。そのほうがオレにとっては気負わず見て回れる気がした。


「……行ってみるかな」


 ハッシュポテトの塩と油がついた親指を舐めとり、膝を打って立ち上がる。

 昼間に開いてる店があるなら、冷やかしてみるのもいい。財布は持っていった方がいいだろう。いつも銀花さんたちには食べ物ばっかり差し入れてるけど、細道でなら、もっといい土産に出会えるかもしれない。

 キーケースの中に、きゅうりマタタビ堂のショップカードがあることも確認し、入口となっている公園へ向かう。何度も通っている路なのに、陽が登りきりもしない時間からそこへ向かうのがなんだか不思議で、妙にワクワクしていた。



   ◆   ◇   ◆



 公園は静かだった。

 もちろん夜に比べれば賑やかだ。小鳥は遊んでるし、敷地内の遊具で、小さな子どもがお母さんに向かって、すべり台をするんと降りている。

 なのに鳥居の回りだけは人気がない。雑草は綺麗に刈られているが、それだけだ。


「もしかして、結界みたいなものがあったりするのかな」


 オレの知る結界は、いわゆる門柱やしめ縄、丸石を連ねて作る境界線といった、場所を隔てるものだ。もちろん鳥居そのものが結界ではあるんだけど、公園の入口よりも内側で、鳥居よりも外側に、そういうものがあるのかもしれないと思えた。


 昼間に訪問したからこそ知れる空気だ。


 大きく柏手を打ち、いつもより丁寧に、歌う。


「とーぉりゃんせ、とぉりゃんせ。こぉこは妖怪細道じゃ」


 たゆん、と、鳥居の内側が揺れた。

 最初に銀花さんに妖怪細道に連れて行ってもらった日、銀花さんは「ここはウチらの細道や」と歌っていたけど、オレは今日こんにちまでこう歌っている。

 行き慣れた自分の居場所の一つと思えちゃいるが、オレの細道、なんて言えるほど知ってるわけじゃない。この祠の神さまが妖怪細道を管理しているんだとしたら、そういうオレの内心を見越した上で、妖怪細道に入れてくれているんじゃないかと思えていた。


 相変わらず、水面をくぐった感覚が全身をすり抜けていく。温かいような、冷たいような、なんだか不思議な感覚だ。


 そして一瞬ぼやけた視界がクリアに変わると、──夜とまったく違う顔の、妖怪細道が横たわっていた。

 色とりどりの提灯もなければ、ひしめき合うほどの妖怪たちもいない。


「昼間は、寂れたシャッター商店街みたいに見えるなぁ」


 往来の中央に立っても、邪魔にならない。そもそも歩いている妖怪がほとんどいなかった。だからこそこの細道が、オレの前後、ずっと遠くまで続いていることがよく分かる。

 きゅうりマタタビ堂はすぐ右側だ。獏の自宅を訪ねたときもそちら側に向かって歩いたから、多少店に覚えがある。となると、今日進むべきは鳥居から出て左側だ。


「って言っても、ほとんど閉店中なんだよな。準備中の札もかかってない」


 それでも、道に面した看板で、おおよそどんな店が並んでいるのかは把握できた。右側には青果店やお菓子屋なんかもあったが、左側は生花店や儀礼洋品店、あとは惣菜店や加工食品の店なんかが並んでいるらしい。

 妖怪によって食うものが違うから、さすがに飲食店なんかはないのかな、なんて思っていたけど、数軒先に、どうやら開店しているらしい店があるのを見つけた。


「豆腐ー、豆腐でございやすー。豆腐小僧の小僧豆腐、おいしゅうございやすよぉー。お昼にピッタリ、おいしい豆腐! どうぞお試しくださいやしー」


 妖怪がほとんど歩いていない道に向かって、それでも笑顔で呼び込みをかけている。小僧と名乗っているだけあって、確かに小さい子どもの姿に見えた。


「あ、そちらの人間様! いかがでございやすか、お豆腐一丁! 絹と木綿をお持ち帰りになるだけでしたら、容器と袋代だけ! 五円でございやすよ!」

「んえ!? 容器と袋代だけ!? 豆腐の代金は!?」

「無料でお渡ししておりやす! 店内で定食をご希望でしたら、そちらはきちんとお代をいただきますが!」


 定食があるってことは、ここは飲食店でもあるのか。

 少し離れて、看板を見上げる。だけど小僧豆腐という屋号だけが書かれた看板には、定食などの文字は見えなかった。もちろん店先にも、定食を食べられる旨が書かれた立て看板なんかはない。

 変だなと思って、そっと店頭を見る。ひろうすがんもどきや揚げ、おからが入った大きな陳列棚があって、それぞれ一袋、五円から二十円の金額がつけられている。……ちょっと信じられないほど安い。

 店内には巨大なシンク、と言っていいんだろうか。とにかくアルミ製のデカい水槽のようなものに、大量の水と大量の豆腐が沈んでいるのが見えて──その脇。壁に向き合うような形で、カウンター席が数席並んでいるのが見えた。


「ちなみに、定食の金額ってどれくらい?」

「一律で五百円也! おかず、白米、味噌汁に小鉢、すべて大盛りにしても同額でございやす!!」

「いくらなんでも安すぎるだろ!?」

「いえいえ! 手前は豆腐を食わせてカビさせる妖怪でございやすので。このご時世、カビさせることはまからんとお叱りを受けやすもので、せめて豆腐を食わせることを妖怪の体裁を保っておるのです。それを考えますと、これが適価にございやす」


 なによりほとんどの具が豆腐なのですと笑う顔に、ちょっと呆気にとられてしまう。

 妖怪の体裁。……なるほど、そういうこともあるのか。いやそれにしたって安すぎるけど。

 当然味を見てみないとなんとも言えないが、美味かったらヘビロテ客になってしまうかもしれない。


 ……正直、朝食べたファストフードだけではちょっと物足りなかったんだよなぁ……。


「食、食べていってもいいかな」

「もちろんでございやす! ささ、カウンターへ! 昼前になりますと予約のお客さま宅へ出張料理のため、一度店を閉めねばなりませんでしたので、時間によってはお会いできやせんでした。いやぁ、よき頃においでくださった!」


 出張料理……これも豆腐を食わせるための工夫なんだろうか。妖怪にとっても大変な世の中なんだなぁ。なんだか他人事と思えない。目頭が熱くなってきた。


 木綿豆腐の塩ニンニクステーキ定食を頼み、すぐ奥で調理を始めた豆腐小僧を見る。ニコニコと調理を始めたものの──なぜかほんの少しだけ、表情が曇ったように見えた。


「あの、お客様」

「うん?」

「もし……もしおいしくなければ、ご遠慮なく残してくださいやしね」


 おいしい豆腐と言い切って呼び込みをしていたとは思えない、不安そうな声だ。


「どうした? なんかあるのかい?」

「ああ、いえ! もしお口に合わねば一大事と思っただけのことでございやす。豆腐の味には絶対の自信がございやすが、もしなにかありましたらご遠慮なく」


 つくろったような笑い方が気になるが、ほどなくして届いた料理は不安など消し飛ばすような見事な盛り付けと味つけだった。

 さてはさっきのは敷居を低くするための仕掛けだなと思ったんだけど──一口目、オレの目が輝いた瞬間に胸を撫で下ろした姿を見ちゃったもんだから、そういう意図の言葉じゃなく、本当に純粋な懸念だったんだと判断した。

 小鉢の湯葉と三つ葉の和え物を口にしながら、別の器に米を盛っているらしい豆腐小僧に声をかける。


「豆腐小僧くん」

「あ、はいっ! やはり、なにか……!」

「いやいや。めっちゃくちゃ美味くて箸が止まらないのは、見ての通りなんだけどさ」


 もの凄い行儀の悪さではあるが、この時オレは、次から次におかずを口に運んでいた。

 父上どころか銀花さんにも、この場を見られていたらひどく叱られそうだ。


「味つけ、そんなに不安なのかい?」

「……お恥ずかしい話でございやす。どうかお忘れに」

「実はオレ、きゅうりマタタビ堂のトラさんたちと仲が良いんだ。もし味つけの不安が最近になってのことなら、相談くらい乗れると──」

「そ、それでは!! お客様がここ数日妖怪細道のあらゆる悩みを解決なさっていると噂の、大陰陽師様でございやすかっ!?」


 ……おっと。

 また尾ひれ増えたな、これ。


「あー……あらゆる悩みってのは……違うかと……」

「……違うんでございやすか……」


 まずい、しょげさせてしまった。

 違うんだ、オレ自身その過分すぎる評価は荷が重いと思ってるだけで、たぶん銀花さんならマジであらゆる悩み事に対処してくれるとは思うんだ。でもそれを言うわけにもいかないしどうしようって思ってるだけなんだ。

 決して君みたいな小さい子に見える妖怪をいじめるつもりじゃないんだ。


「まぁほら、どんな悩みも解決ーとは言えないけど、解決できるかどうかは話を聞かなきゃ分からないからさ。まずは話してみてくれるかな」

「お気遣い、ありがとうございやす。実は──このところ、味がよく、分からなくなっておりやして」


 豆腐のように白い顔が、悔しさからは恥ずかしさからかじんわりと赤くなって、だんだんと目に涙を溜めていく。飲食に関係する店をやっておきながら味が分からないってのは、かなり不安だろう。

 豆腐だけなら誤魔化しも利くだろうけど、予約を受けて出張料理もしてるらしいし、調理は休む、とも言い出しにくかったのかもしれない。

 味覚に不安があるにもかかわらず店を開けていたのは、やはり豆腐に関係する妖怪として、豆腐を食べさせることだけでも続けたいという気持ちの表れだろう。

 店先に定食についての立て看板が見当たらなかったのも、今はあまり、飲食目当ての客を呼び込みたくないからか。

 なのにうっかり口を滑らせて、オレがそこに食いついちゃったもんだから、あとに引けなくなった。

 ……オレはなんにも悪くないけど、なんかごめんな。


「味は全然分からないのかな」

「左様でございやす。匂いも分からぬ有様で、今はむずかしいことはせず、目と手が覚えている料理でなんとか乗り切っている次第で……」

「ほかに体調に変化は?」

「ございやせん。鼻と舌以外は、すこぶる元気にやらせていただいておりやす」

「そうかぁ……」


 真っ先にオレが疑ったのは、当然ながら風邪の症状だ。だけど確かに、鼻が詰まってる様子もなければ、声が変ってわけでもない。

 こりゃオレ単独での解決は無理かなと思いつつ、あっという間に食べ終わってしまった定食の名残を求め、口まわりを舐めてしまう。

 んー、やっぱうまい。


「でも味覚障害が起こってる中でこれだけうまい物作れるんだから、充分すごいよなぁ」


 明日も来たいなと言うと、豆腐小僧は少し驚いた顔をしたあと、嬉し泣きをしそうなほど、くしゃくしゃに笑った。

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