二十年前のこと。
日本海沖にある無人島に巨大な魔物が何の前触れもなく姿を現した。
「ぎやあああああああああああああっ!」
対処に当たった自衛隊はものの数分で壊滅状態になった。地は焼かれ、空は黒煙によって鉛色に染まってしまった。鼻孔をくすぐるのは硝煙の香りと動植物の焼け焦げた臭い。嗅覚がねじ曲がってしまいそうになるも、阿鼻叫喚に囲まれているせいで意識だけははっきりしてしまう。
「そ、そんな……」
数多の訓練の果てに鍛え上げられた精神が仇となった。すぐに精神が崩壊してくれていたら今以上の苦しみを味わうことはなかったのに。
自衛隊員たちはなんの抵抗もできないまま、その命を絶たれ、絶望の末、立ち尽くすことになる。足元に転がっているのはいったい誰の腕なのか、はたまた脚なのか。踏み潰してしまった赤黒い塊は人体のどの部分だったのか、考えるだけでゾッとする。いや、今は考えるより先に恐怖がまさり思考が上手くまとまらない。
魔物の名は『
そこへ場違いなほどの美貌を備えた美少女が自衛隊員の真横を突っ切っていった。よく見てみるとどこかの高校の制服を着ていた。加えて、左肩に刺繍された校章に自衛隊員は見覚えがあった。
「
美少女――
退治した妖魔の中にはライオンのような猛獣もいれば、翼を持ったカバのような姿をしたものもいた。さらには人間の身の丈を優に超える妖魔もいたが、そんなこと気にせず、まるで弱点が見えているかのように、正確無比な軌跡を描いていく。
その軌跡はまるで激流を彷彿とさせる川の流れのようだった。
「東雲流肆の奥義――『
流華は奥義の名を口にし、その背後では斬り祓われた妖魔たちが黒い粒子――
そんな彼女の真横から巨大な影が姿を現す。
大口を開けた肉食恐竜のティーレックスに酷似した妖魔だ。
しかし、流華は気にせず妖魔の気配が一際大きく感じる島の中心部へ視線を送る。
「危ない、東雲先輩!」
力強い少年の声が耳に入ると流華は思わず笑みを浮かべてしまう。
「
長身で筋肉質な男子高校生――
「スタッ」
必は着地音までしっかり自分で言ってから小走りで流華の下へ向かう。
「おー、やっと来た。遅いぞ、かならん」
「かならん、ちゃいますよ。東雲先輩」
強面な顔つきの必は困り顔で肩を落とす。
そんな後輩を流華はのほほんとした面持ちで楽しむ。
「にしても、変な技名だね。西条流ってそんな感じだっけ?」
「ちゃいますよ。さっきのは俺から東雲先輩への愛のラブリースラッシュです!」
「アハハハハ、かならんは面白いなあ」
必は辺りが悲惨な状況になっているにも関わらず頬を赤くして頭を掻く。
そこへ遠くの方から轟音と共に駆ける少女の姿があった。
二人は少女の邪魔にならないように一歩下がって「いってらっしゃーい」と言わんばかりに道を開ける。
「二人ともこんな時にイチャイチャしない! 特に必!」
少女は怒声を上げながら二人の間を駆け抜ける。
白き疾風となった少女は御神刀を抜刀するまでもなく、右拳を振り抜き、鬼の姿をした妖魔の頭部を殴り飛ばした。文字通り生々しい音を立てて妖魔の頭部は千切れた。さらに吹っ飛んだ頭部は別の妖魔の腹部を穿ち、最後には木陰へ飛んで行った。
残った胴体は糸が切れた人形のようにその場に崩れ落ちる。
「あー
「いや、抜刀してないんで。素手だから言わなくていいんですよ。ってそんなこと言ってる場合じゃありませんよ!」
しかし、その目は辺りの惨状、地獄絵図を捉え、最早、彼等彼女等が所属する『
それに気付いた流華はいつもののほほんとした面持ちのまま満面の笑みを浮かべて、
「大丈夫」
と優しく呟いたまさにその時だった。
島の中心部、妖魔の気配が一番強く感じられる場所から赤黒い光の柱が勢いよく天を穿った。それは赤い稲妻を迸らせつつ、大量の妖魔を召喚し、妖魔の基になっている黒い粒子――呪詛を濁流のようにまき散らしていた。
同時に中心部から不気味で異様な力の根源が爆発的に膨れ上がったのを感じた。
流華の表情が一転して鋭い刃のように研ぎ澄まされる。
「詩、必、自衛隊員を海辺まで退避させて。そんで斬子に精鋭集めて突撃させるように伝えて。メンバーは、まあ、斬子なら完璧な布陣作れるっしょ。アタシより皆のことちゃんと見てくれてるから。私は先に行って道を作っとくから」
「え、何言って……」
言っている意味は分かる。だが、理解ができない。
「大丈夫、大丈夫」
先程までの鋭い顔つきがまたのほほんとした顔つきに戻る。
どこか頼りないが、それでも安心させてくれる優しい面持ち。流華の笑顔に今まで何度救われてきたか分からない。
「なんてったって、アタシは刀祓隊最強の剣士なんだから。ほな、さいなら~」
最後にこてこての関西弁で別れを告げてから流華はその場から姿を消した。
追いかけたかった。でも、できなかった。
彼女から与えられた最後に与えられた任務だったから。
☆☆☆☆☆☆
観測史上類を見ない超大型妖魔が引き起こした厄災。
その被害は近くの町にまで及び、刀祓隊本部には常に民間人、刀祓隊、自衛隊の死傷者を伝える報告が届けられるほど甚大だった。
刀祓隊はこれ以上被害を拡大させないため、最強戦力の特権に従い、精鋭七名で構成された特別攻撃隊を島に突入させた。
刻一刻と事態が悪化していく中、遂に希望の光が差した。
彼等彼女等が突入して五時間が経過した頃、赤黒い光の柱は黒い粒子となって消滅した。
突入時の特別攻撃隊の隊員は七名。
最強戦力を含めて生還したのは八名。
だが、その後一名は刀祓隊の剣士として二度と御神刀を振るうことはなかった。
後にこの戦いを『大厄災戦線』と呼び、出現した超大型妖魔を『コトアマツカミ』と呼称されることになった。
これが刀祓隊に所属する剣士たちの知る歴史であり、真実として語り継がれている厄災である。
「東の空に龍が舞った」
誰かがそう呟いた。