兵庫県のとある田舎の河川敷を全力疾走する少年がいた。
少年――
ぼさぼさの黒髪が風でなびくのを無視してひたすらに走り続けていた。こう言う時、左腰に差している
「やらかした! ホントにやらかした!」
今日こそはサボらずに訓練校に行こうと本気で思っていた。しかし、心地良い暖かな春の風には勝てなかった。気付けば河川敷の丘にある雑草の絨毯の上で早々に朝寝してしまっていた。
そして、飛び起きた時にはもう昼前だ。
血の気が引くとはまさにこのことか。青ざめる和馬が最初に見たのはスマートフォンの画面だった。そこには画面いっぱいに出力された幼馴染からの着信履歴。
怒ると鬼ババアと言いそうになるほど怖い真面目ちゃん。
「何か良い言い訳を考えないと! 今度こそ! マジに! 斬られる!」
和馬は必死に思考を巡らせるが、脳裏に浮かぶ言葉の羅列をどう並べても「黙れ」の一言で一喝喰らってしまうのが目に見えていた。
その時、制服の内ポケットに入れておいたスマートフォンが振動する。
和馬は全速力で走りながら取り出し画面を確認する。幸運にも鬼ババア、もとい、幼馴染からの着信ではなかった。
「おっと、真面目なやつか」
和馬が所属する刀祓隊兵庫南支部からの指令だった。いや、よく見てみると刀祓隊本部からの指令だった。
「ほ、ほんぶ……本部ッ! ほ、ほほほ、本部ッ⁉ え、訓練校サボり過ぎてクビ! マジか! え、待って、今日はホントにちゃんと行こうとしたんだって!」
和馬は今にも泣きそうになりながら走る足を止め、凄まじい土埃を上げて急制動を掛ける。その間も指令の内容を確認しないまま、今までの自身の怠惰を呪い続ける。
そして、目を閉じながら振るえる手で指令が記されたメッセージを開ける。
心臓が早鐘を打ち、呼吸が乱れる。
覚悟を決めた和馬は、生唾を呑んでから固く閉じた瞼をゆっくりと開ける。
『妖魔の出現を確認。伊織和馬隊員は直ちに出動せよ』
添付された地図を開けると出現場所は思いのほか近く、なんなら少し見えていた。
うん。いつも通りの指令だ。
「ンだよ! 焦らせんなや!」
和馬は理不尽な怒りのままにスマートフォンを川に投げ飛ばそうとした。
しかし、直前になって自分の哀れな姿に膝をついてしまった。
「ってこんなことしてる場合じゃない。この指令を言い訳にして麻衣に許してもらおう!」
「何を許してもらうの?」
「決まってるだろ。朝寝してサボっちゃ……った、こと……あ、あーえっと……」
和馬は小刻みに震えながら振り返る。そこには満面の笑みを浮かべた美少女にして和馬の幼馴染が後ろに手を組んで立っていた。
しかし、和馬にとって彼女はやはり怒らせると怖い鬼バ――幼馴染だった。
「ご、ごめんなさい!」
「アンタさ、ホントに何回目? 今日は一緒に登校するって言ったのに。家に行ったらもう行ったって言われて」
「えええっと、それは……」
序盤から間違えていた。
そもそも和馬は麻衣に家まで迎えに来てもらい一緒に登校するはずだったのだ。
今日は寝坊せず起きれたことに浮かれて忘れていた。
麻衣は目が泳ぐ和馬を見て呆れたように溜め息をつく。
「まあ、いいわ。その感じだと今日はちゃんと起きれたんでしょ? 今日は早起きの練習のために迎えに行くって約束だったし」
「ホントにごめん。この埋め合わせは必ずするから」
「じゃあさ、今度の休み――」
「あ、俺指令が来てるんだった。麻衣もか?」
麻衣の言葉を遮り、和馬はスマートフォンの画面を麻衣に見せる。
麻衣は一瞬の殺意を覚え握り拳を作るも『指令』という言葉を聞いて一先ず冷静になった。
「これ本部から来てるじゃん。それにこの場所って……」
直後、指令に記された場所で大きな爆発が起こり、黒煙が狼煙のように立ち昇る。遅れて遠くの方から悲鳴が聞こえてくる。
「あそこじゃん!」
「なんかヤバそうだな。行くぞ!」
二人は御神刀の柄に手を添え、ソッと目を閉じる。途端に身体が淡く輝き、周囲の草が風でなびくのとは別の静かな余波で揺らいだ。
「――『
和馬が静かに呟くと身体に変化が起こった。
肉体がエネルギー体へと変換される。この瞬間はいつも浮いたような感覚がして苦手だ。それでも身体の内側から溢れんばかりに力が沸き上がってくるのを感じ、少しの高揚感を覚えてしまう。さらに感覚器官が鋭敏になり、妖魔から発せられる邪悪な気をよりはっきりと感知することができる。
次の瞬間、二人の全身に鳥肌が立った。同時に冷たい刃が胸を穿ったような衝撃と全身を押し潰されそうな圧迫感が襲ってくる。
二人は思わず息を呑む。
今まで感じたことのない邪悪そのものの気に、まだ現着していないにも関わらず身構えてしまう。
「麻衣、俺が妖魔の相手をするから、お前は住民の避難を。あの方向、多分商店街だ。じいさんたちが危ない」
「アンタ何言ってんの! この気はそこ等の妖魔と格が違うわよ!」
「だからだよ。俺は
妖魔が現れた場所までは目の前の河川敷と住宅街を越えなければならない。
早く行かなければ。それも迅速に。目にも止まらぬ速さで。
麻衣はまだ納得していない様子だったが、ここでたじろいでいてはさらなる被害が呼び寄せてしまうかもしれない。
意を決した麻衣は眉間に力を入れ真っ直ぐ現場の方向を見る。
二人は両足に力を込め勢いよく駆け出した。
次の瞬間、その場から二人の姿が消えた。遅れて突風が先程まで二人がいた場所を薙ぐ。
こんな時に和馬が思い出していたのは、母親の言葉だった。
『和馬はいつか龍になる。東の空に舞う龍になる。覚えておいて。その時、アナタの後ろには……』
――なんだっけなあ。
何度思い出そうとしても最後の言葉だけは砂嵐でも起きたようにかき消されてしまった。