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1-2

 和馬と麻衣が商店街の入り口付近に到着してすぐのことだった。


 赤黒い一条の閃光が天空を穿った。


 全く反応ができなかった訳ではない。ただ、動けなかった。硬直してしまった身体が言うことを聞いてくれなかったのだ。それもそうだ。すでに現場は惨状と化していたから。


 とかなら二人も納得できただろう。


 しかし、現実は違った。


 二人は自分の目を疑った。


妖魔ようま、なのか? どう見ても人じゃ……」


 赤黒い一条の閃光を放ったのは自分たちと同年齢くらいの美少女だった。無造作に伸びた赤黒い長髪に光を一切感じない瞳。黒を基調としたどこかの民族衣装を身に纏い、その手には黒い刀が握られていた。


 どこからどう見ても人間に見えるが、その肌は血色を一切感じさせない死人のそれだった。


 だが、もう一つ驚いたことがある。それは想像以上に何も起きていなかったのだ。正確には店の一つから火の手が上がり黒煙を立ち昇らせているが、どう見ても事故による火災だった。その近くには店主と思われる初老が咳き込みながら電柱を背に座り込んでいるものの遠目から見ても目立った外傷は無かった。


 それでも先程放たれた閃光には確かな殺意が込められていた。


 困惑する二人を他所に美少女の妖魔――美妖女びようじょは、ゆっくりと咳き込む初老の店主に歩み寄る。


 和馬は柄に右手を添え、左手で鯉口を切ろうとしたができなかった。美妖女からは今も心臓を穿たれたような衝撃と押し潰されそうな圧迫感を覚える。それでもなぜだか初老を傷つけたりはしないと思えた。


「すまんな、嬢ちゃん。助かったよ」


 初老が言った。


 距離が離れているため肉声が聞こえた訳ではない。二人は口の動きで読み取ったのだ。


 一瞬、ほんの少しだけその言葉を聞いて和馬は気を緩めてしまった。


 気付いた時にはもう遅かった。腹部を襲う鈍痛。アスファルトの地面に減り込む自身の身体。


 今度は全く反応することができなかった。


 和馬は目を見開き起き上がろうとするが、それよりも早く辺りから悲鳴が聞こえてきた。それもそうだろう。住民からしてみれば、火事が起きた店から初老を助け出した美少女がいきなり和馬を吹っ飛ばしたのだから。


 一気に戦慄と混乱が場を支配する。


「和馬!」


 麻衣の叫び声が耳に叩き込まれる。直後、鉄と鉄がぶつかり合う甲高い音が聴こえた。


 そこでようやく和馬は起き上がることができた。右手にはすでに御神刀が握られていて、少年は無意識に自身の身を守るために抜刀していたのだと気付く。もし抜刀できていなければ今頃御神体が解除され、胴体が真っ二つになっていただろう。


「速過ぎだろ」


 美妖女のいた場所と商店街入り口付近にいた二人との距離は百メートル以上あった。その距離を瞬きよりも速く駆け抜け、和馬を住宅街まで吹っ飛ばしたのだ。


 当然、辺りには住居がいくつも建てられているため、必然的に和馬が飛ばされた余波で窓ガラスは愚か、半壊してしまう家まであった。


 たった一撃でこの威力だ。本気で暴れられたら町一つが地図から消えてもおかしくない。


「ちょっとでも気を緩めた俺のミスってか……まさに自業自得だな……」


 和馬は一度刀を横薙ぎし、纏わりつく気の緩みを振り払う。


 途端に朗らかな顔つきから冷たく鋭い刃のような顔つきに豹変する。


 直後、麻衣の刀が美妖女の黒刀によって弾かれ胴部が露になる。


 麻衣は美妖女から放たれる斬撃を受ける覚悟を決め奥歯を噛みしめる。しかし、振り下ろされた黒刀の軌跡は麻衣に届くことはなかった。突然美妖女と麻衣の間に現れた和馬によって受け止められ弾かれたのだ。


「悪い。油断した」


 和馬は言ってからその場から姿を消した。いや、目で見えないほどの速度で移動したのだ。現場に来る時もそうだが、先程美妖女と麻衣の間に突然現れたのも一つの技によるものだった。


 超高速歩法術――『縮地しゅくち』――。御神刀に秘められた神秘的な力を足に集中させ、踏み込むと同時に爆発させることで目にも映らぬ超加速を生み出す。刀祓隊の剣士なら誰でも使える業だ。


 次に姿を現したのは美妖女の背後だった。和馬は何の躊躇いもなく刀を振り下ろし背中を斬りつける。はずだったが、その斬撃は虚しく空を斬るだけだった。


 美妖女もまた忽然と姿を消した。かと思えば、すぐ近くの家屋の屋根に立っていた。


「アイツも縮地を使うのか!」


 言った直後から美妖女は縮地を発動させ、和馬の真横に瞬きよりも速く移動するや黒刀を横薙ぎする。


 和馬は間一髪のところで受け止めるが、受け止め切れなかった剣圧によって背後の家屋が殴打されたように倒壊する。


 その斬撃の重さに驚愕を隠し切れず目を見開く。


 さらに踏ん張った足がアスファルトの地面に減り込んでしまう。奥歯が砕けるんじゃないかと思うほど歯を食いしばるも、単純な力では絶対に勝てないと分からされてしまった。


 悪態をつきたい気持ちを抑え、冷静に美妖女の膂力を受け流すため剣筋をずらそうとした。まさにその時だった。


 突然、刃から濁流のように数多の感情が流れ込んできた。


 その感情は確かに妬み嫉み恨みと言った負の感情や殺意と邪念そのものだったが、そこに微かな『怯え』の感情が見られた。次に押し寄せて来るのは『恐怖』の感情。これは相手を恐怖に陥れるのではなく、美妖女が和馬や麻衣に対して恐怖心を抱いているのだ。


 つまり、美妖女は和馬と麻衣に斬られるのが怖くて黒刀を振るっているのだ。


 和馬はそれに気付いてしまい困惑する。


 そもそも人間と酷似した妖魔と対峙したこと自体が初めてだった。いや、今まで人型であっても、人間と瓜二つな妖魔なんて出現したことがなかったはずだ。


 直後、美妖女の眉間にシワが寄る。それに合わせて凄まじい膂力が込められ、受け止めた黒刀の刃がみるみる和馬に肉薄していく。


(まずい。このままだと押し切られる。でも、このコを斬ってもいいのか?)


 和馬の心中に迷いの色が滲む。それは波紋するように精神から肉体に広がり、無意味な筋肉の緊張を促してしまった。


 そこへ麻衣が目にも止まらぬ速さで駆け付け、斬り掛かるように間に割って入る。


 もちろんその斬撃は何も捉えることはできなかったが、和馬を救うことができた。


「和馬。大丈夫?」

「なん、とかな……」


 和馬は瞬時に呼吸を整え刀を構え直す。迷いが完全に晴れた訳ではないが、だからと言って引く訳にもいかない。視界には美妖女だけでなく、避難できていない住民の逃げ惑う姿もあった。


 これ以上ここで戦うことはできない。


 仮に、もし、美妖女に感情があるなら、そして、本当に初老を救ったのが美妖女ならばきっと乗ってくるはずだ。確信はない。けど、やるしかない。


「おい、お前! 美妖女!」

「びようじょ?」


 隣にいる麻衣がつい復唱してしまった。


 美妖女もまたネーミングセンス皆無な名前に無表情ではあるが、黒刀の切っ先が一瞬だけ揺らいでいた。


「ここではこれ以上戦えない。と言うより戦いたくない。お前もそうだろ?」


 人間の、和馬の言葉が分かるのか、美妖女は視線を二人から初老が先程までいた場所――人口が密集している商店街の方へ向ける。そして、一呼吸の間を置いて和馬に向き直る。


 沈黙。


 無言の了承と捉えるべきなのか。


「麻衣はここの避難誘導を頼む」

「アンタ、一人でやる気⁉」

「それしかなさそうだからな」


 数回の攻防で周辺の住居をいくつか倒壊させてしまった。これ以上被害を拡大させる訳にはいかない。


 和馬は麻衣の返答待たずに美妖女へ、


「連いて来い」


と一言残して縮地を使い、その場から姿を消した。


 美妖女は少しだけ麻衣を見つめてから縮地を発動させ、和馬の後を追うのだった。



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