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1-3

 和馬と麻衣が所属している刀祓隊は、いわゆる妖魔を相手にした警察のような組織である。また、政府公認ということもあって妖魔を退治する際は、被害を最小限に抑えなければならない。


 だからと言う訳ではないが、和馬は地元も地元の大切な田舎町にこれ以上被害を与えたくないため、朝寝をした河川敷までやってきた。


 この河川敷も和馬にとっては思い出深い場所だった。数多の居眠りポイント。日差しが差し込む角度を季節ごとに把握し、常にベストの状態でうたた寝できるようにしていた。それだけではない。もちろん御神刀の素振り稽古もした場所でもあるし、奥義の練習をして近所迷惑でしこたま学長に怒られた場所でもある。


 そんな大切な場所で対峙するは人間に酷似した美少女のような妖魔――美妖女。


「ここらで一番人気がなくてある程度壊しても大丈夫なところだ」


 和馬は言いながら縮地の連発で少しだけ乱れてしまった呼吸を整える。美妖女の方は全く呼吸が乱れていないどころか汗一つかいていない。


 平然とそこに立っている。


 不気味、と言えばいいのだろうが、容姿がとても整っているせいで文句の一つも言えない。


「燃えてた店、たい焼き屋なんだけどさ。お前が燃やしたのか?」

「……」

「言葉は分かるけど喋れないって感じか? それとも今ここにいるのも偶然か?」

「……」

「答えない。答えられない……? まあ、どっちでもいい。最後に一つだけ聞きたい」


 和馬は真っ直ぐ美妖女の顔を見つめる。


 美妖女は無表情のまま和馬が何を言い出すのか待っているようだった。


 意思疎通ができているのか。本当なら知りたいところだが、彼女が起こした混乱を治めるにはもう祓うしかない。


「お前、あそこのたい焼き好きだろ?」


 和馬は優しい笑みを浮かべながら言った。


 ほんの一瞬だけ美妖女の整った眉が動いた気がしたが、やはり氷のような冷たい表情を浮かべたまま変わることはなかった。


 仮に頬を赤らめて頷かれても意思が鈍るだけだ。だからこれでいい。最後まで無表情を貫いてくれたことに感謝する。


「……行くぞ」


 和馬は深呼吸をすると同時に流れるように構える。


東雲流しののめりゅう弐の構え――『流水りゅうすい』――」


 両脚を前後に肩幅程度に広げ重心をやや落とす。刀は右脇に構え、左手は柄頭に添えるだけで握らない。まるで右から一気に切り上げるような構えだが、その構えからは一切の力みも感じなかった。


 それどころか緩やかな川の流れのように落ち着いた呼吸が聞こえてくる。


 美妖女は本能で理解した。この構えは攻撃の構えではないことを。


 次の瞬間、美妖女の姿が消えた。


 しかし、和馬には見えていた。背後に現れた美妖女の上段からの一撃を瞬時に身を反転させて刀で受け止めた。だが、ただ受け止めては先程と変わらない。和馬は受け止める同時に切っ先を落とし、黒刀を御神刀の刀身に滑らせるようにして受け流した。


 甲高い不協和音が響き、刀身からは火花が散る。


 黒刀はそのまま地面へと軌道をずらされ殴打する。


 軽い爆発とも思える衝撃を生み出し、当たりに土の塊が飛び散る。


「筋力、いや、膂力ならお前の方が確かに上だ。けど、受け流せない訳じゃない」


 それと、と付け加えて後方へ軽く飛び退く。すると先程まで和馬がいた場所を黒刀が薙いでいった。


「攻撃が単調だから読みやすい。最初はビビったけど、時間が解決してくれたわ」


 和馬は言いながら縮地で美妖女の懐に入り込み、そのままの勢いで柄頭を美妖女の鳩尾に打ち込む。


 無表情だった美妖女の顔が苦痛で歪み、身体は綺麗な弧を描いて背中から地面に叩きつけられる。肺があるかは疑問だが、カハッ! と口から一気に空気が吐き出されたような仕草が見えた。


 畳みかけるなら今だ。


 意を決した和馬はもう一度縮地を発動し、地べたを這う美妖女の前に駆け込む。そして、刀をおもむろに振り上げ、一息に断頭を狙う。


 放つは奥義。和馬の東雲流の中でも唯一の慈愛の念が込められた剣。


 しかし、和馬が刀を振り上げた直後、美妖女は文字通り飛び起き、目にも止まらぬ速さで和馬から距離を取る。互いが米粒程度になるまでの距離を一瞬にして設けたのだ。


 これには流石の和馬も驚き、構えを変えた。


「東雲流肆の構え――『逆鱗げきりん』――」


 逆鱗と言う強い言葉を使っているが実際は返し技に特化した構えであり、構えの形そのものは正眼の構えとなんら変わりない。その真価を発揮するのは心構えである。


 相手の動きを読み、先読みし、最高の一手で相手を斬る。


 和馬の目がさらに鋭くなり、感覚が鋭敏になる。


 次の瞬間、米粒だった美妖女が縮地を乱発して右に左にと超高速で移動した。それだけならどうにでも対処はできたが、その動きの中に縦の動きが加えられた。


 単調な動きに変化を加えたのだ。


 それでも和馬は微動だにせず、ただ美妖女の動きを先読みするため、その一挙手一投足を観察する。そして、その時が来た。


「がああああああああっ!」


 美妖女が初めて声を出した。獣のような咆哮ではあったが、声質は同年代の女の子となんら変わりなく、声音には力強さや狂気よりも、やはり怯えや恐怖の色が強く出ていた。


 そんな彼女が最後に放ったのは刺突攻撃。全身全霊を込めた刺突が疾風を纏い和馬を穿たんと肉薄する。


「まあ、そうなるよな」


 和馬は静かに呟いてから美妖女を目一杯引き付け、躱すと同時に刀を横薙ぎする。その軌跡はとても鮮やかで、斬られた本人ですら気付かないほど正確無比だった。それが東雲流玖の奥義、


「――『龍葬りゅうそうまい慈雨じう』――」


慈愛の念を込めた断頭である。


 首元がじんわりと熱を持つ。


 気付いた頃には美妖女の身体は黒い粒子――呪詛となって消失していた。


 一人残った和馬は最後に見た美妖女の顔を思い出していた。


「妖魔も泣くんだな」


 そう。美妖女は泣いていたのだ。姿形が人間のそれであり、尚且つ、和馬と同年齢くらいだったのだ。和馬からしてみれば同学年の女子高校生の首を刎ねたようなものだ。なんとも後味が悪い。


 それでも和馬は斬った。そうなることが分かっていて斬った。


 自らの使命を果たすために。


「たまにはここでたい焼きでも食ってやるか」


 和馬は静かに刀を鞘に納めた。


 丁度その瞬間、商店街周辺の避難誘導を終えた麻衣が流星の如く和馬の前に着地する。辺りに轟く爆音と視界を遮るほど濃度の高い土煙が舞い上がる。これが御神刀を振るう人間の本気の着地である。


 和馬はやれやれと言った面持ちで顔の前で手を振って砂埃を払う。


「もう少しつつましく着地できないのか?」

「はあ⁉ こっちは必死で……って、あれ? アイツは、美妖女? だっけ」

「ああ。それならついさっき倒したぞ」


 麻衣は言われてみれば、と先程まで感じていた心臓を穿たれたような衝撃と凄まじい圧迫感が消失していることに気付く。


 何もしていなくとも感じ取れていた気配。それが消えていることに気付かないほど少女は懸命に、一秒でも速く少年の下に向かうため駆けていたのだ。


「呪詛の回収要請はアンタがしてよ。指令はアンタに来てたんだから」

「……げっ⁉ アレめんどくさいんだよなあ」

「めんどくさい言うな! 回収班の手配も列記としたお勤めの一つなんだからね!」

「へいへい」


 和馬は気のない返事をしてからせかせかとスマートフォンで呪詛回収班の要請をする。この呪詛回収班とは文字通り妖魔の基になっている呪詛を塵一つ残さず回収し浄化するという役目を担っている。


 もし回収班を呼ばなければ四散した呪詛が再結集し、新たな妖魔を生み出すことになってしまうのだ。


「うっし! スマホの要請は終わった。あとは……はぁ」


 麻衣は急に重い溜息をつく和馬に思わず呆れてしまう。


「訓練校に申請しましたっていう書類の提出。いい加減慣れなさいよ! 今まで何回書いてって……待って? アンタまさか……ッ!」

「これだから勘のいい幼馴染は……ぶへッ!」


 直後、和馬の右側頭部を女子高校生にしては美しすぎる足刀が炸裂した。


 脳裏に過るのは凄まじい衝撃と美妖女が最後に見せた涙。


 しかし、もう気にすることはない。今の和馬の心中に斬り祓ったものたちの思いを注げる器は無かった。

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