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VI. パレードの果て

「リベラさん!?」


「なに驚いてんだよ」


 しゃんとたたずむリベラさん。普段から鋭い目つきの彼女だが、後ろめたさがある今は、鋭さが更に増してる気がする。


 きょろりきょろりと見回す様は、まさに獲物を探す鷹だ。


「お前ひとりか?」


 途端に鼓動が早くなる。言葉は心臓を握れるのか、動きが限定してとても苦しい。


「えっ? ええ。ずっと一人でしゅよ?」


「独り言にしてはデカ過ぎねぇか? 人探しとか聞こえてたぞ」


「へ? はぁ、まぁ」


「にしてもえたかばんだよな、人でも入ってんのか?」


 冗談交じりに鞄に近づく。しかし次の瞬間、リベラさんは躊躇ちゅうちょ無く蓋に手を掛けた。


「そう! 人探しッ! 人を探してるんですよ、私!」


 急に大声を出したせいで、リベラさんの体がビクリと跳ねる。同時に彼女の指先は熱した鍋に触れたかのように瞬時に離れた。


「おい……脅かすなよ」


 意地悪をされた仕返しか、不機嫌な眼差しを向けてくる。けれど相手を射殺すような威力は無く、むしろねた子供のようだった。


「ごめんなさい、でもどうしても聞きたいことがあって、あの、“男性のような頼もしさ”と“女性のような優しさ”を兼ね備えた声を持った人を探してるんですけど」


「ォレの事か?」


『お前じゃないバカ』


「あ゛ーーーーっ! あッ!! あアぁ゛ぁ!!! ァァあ――」


「――バカ、騒ぐな」


 手が口に覆い被さる。


「(ここがどこだか分かるだろ)」


 首が固定されるほど強く押さえつけられる。そのため肯定も否定も出来なかった。ましてや特殊な手袋のせいで気道が塞がれ、だんだん苦しくなってくる。


「(ムグぅうウ!)」


「(だから静かにしろ!)」


 違う。


 違う違う違う!


 生命の危機を伝えたいんです!


 必死に訴えても、全て“騒いでいる”と見なされる虚しさ。


 あ、ダメ……別の意味で静かになりそう……。


「あ、わりぃ」


 相当密着していたようで、手が離れる瞬間、唇が吸われるような感覚がした。


「カッ、ケハッ、ハひィー……ほヒぃー……」


 暗くなりかけた視界に少しずつ明るさが戻ってくる。正常に戻るまで、リベラさんはずっと私の背中をさすってくれた。


 彼女がまだ平常心を保てているとなると、やはりパティナさんの声は私以外には届いてないらしい。無事に立証できたとはいえ、毎回喋られると心臓が持たない。


「と……ところで、なんでリベラさんがこんな場所にいるんですか?」


 そもそも最初に聞くような質問がようやく口から出るようになった。


「なんでってそりゃ巡回に決まってんだろ。返されてねぇ本がねぇかとか、棚の並びがバラバラじゃねえかとか、色々とやる事は多いんだぜ?」


 え?


 一つの単語に耳が傾く。


 返されてない本。


 瞬時に想起したのは『奈落へのいざない』の行方だった。記憶通りであるならば、あの本は立ち入り禁止区域にある。


 つまり絶賛“返されていない本”なのだ。


 不幸にもここは『奈落へのいざない』が収められていた棚から近い。もし素直に解散した場合、彼女はすぐさま大型本が抜け落ちている光景を目の当たりにするだろう。


 無事に本を見つけた瞬間、同時にパティナさんの盗難事件の始まるのだ。


 発覚するのも時間の問題。


 しかし今なら私の努力次第で遅らせることも出来るはず。なんとかリベラさんと一緒に、この場から離れなくては。


「あのぉ、リベラさん?」


「どうした」


「取ってほしい本があるんですけどぉ」


「あ? そんなん自分で――」


 認めたくない。

 自分が子供だとは。


 けれど、やむを得ない状況が私をたちまちその気にさせた。


「――私ひとりじゃ届かなくて、お願いします。リベラさん」


 目を可能な限り見開き、上目遣いで。


 瞳の潤いは尋常じゃない数のまばたきによって可能にした。


 そして最大の猫なで声。


 自分でもこんなが出せたのかと、内心悪寒おかんが吹きすさぶ。


「……分かった、取ってやる。どこにあるんだ?」


 怪訝な顔を浮かべはしたものの、これまでにないくらいの微笑み。日頃から笑い慣れていないのか、口角に若干の引き攣りが起きてる。無茶をしてまで投げかける視線からは、母や姉に似た親近感が込められていた。




 入口付近まで帰ってくる。


 可能な限りはじにある棚に目星を付けた。


「えっと、あ、ここです」


 書架の間に入り、ざっと眺める。綺麗に整列している本達はどれも年代物のようで、背表紙はボロボロで大半の題名が判別不可能だった。


 適当な本を取ってもらうには都合がいい。


「あ、えーっと。それです、それ」


「どれだよ」


「そこから右に四番目の」


「ああ、これか。ほら…………おい、コルダ。ォマエ本当にこんなの読むのか?」


「し、失礼ですね、私はもう大人ですよ? これくらい読んで当然……」


 手渡される古臭い本。


 紺色の薄汚れた表紙には『世界の肉刑』と金字が施されていた。


「あ、りがとうございます……」


 ぎこちない作り笑いを浮かべながら感謝を述べる。まだ罪が確定したわけではないのだが、図書館が私の窃盗を知っているかのようだった。


「そういやよ、かなりむごい刑罰があってな」


 ふと思い出したかのように話を切り出す。


「溶けた硫黄を用意して、犯人の手を何度も何度も突っ込むんだと。最初は皮膚が焼けただれて、次はだんだん肉と骨が見えてきてな、終いには手が焼き切れちまう」


 ……想像したくもない。


「ど、どんな悪さをすれば、そんなひどい目に遭っちゃうんですかね」


「窃盗だと」


 罪悪感がナイフのように刺さる。


「だがよ、一生苦しむのは辛ぇよな」


「で、ですよね! 単に結果だけで判断するのも良くないと思います。その人にだってむに止まれぬ事情があったかもしれないですし、もしかしたら巻き込まれた可能性だって――」


「――やけに同情的だな」


「へ? あ、いや。それほど残酷な刑罰だなって」


「だよな。いっそ苦しまずにやりゃいいのに、スパーンってよ」


 自分の首を水平に仰ぐ仕草をする。涼しい顔で語るリベラさんに、私は苦笑しか返せなかった。


「どうする。借りるか?」


 ここまでお願いした手前「やっぱり返してください」だなんて言えるわけがなかった。


「……はい」


 まるで観念したかのような、やけにしぼんだ声が出る。


 リベラさんを先頭に、受付へと連行された。




 到着するや否や、彼女は木製の城に立て籠る。玄関の大扉、あるいは館内の棚に寄せた意匠いしょうのため、独特な威圧感があった。


「しっかし、勉強するには良い時に来たよな。時期にここも騒がしくなる」


 貸出手続きを済ませている中、リベラさんがそう話題を切り出す。


「どうして分かるんです?」


「就任式だよ、学頭の。知ってっか?」


「叔父さんから少しだけ。学徒の王様みたいな人でしたっけ」


「認識としては間違いねぇ。それに今回は“連合団体”の学頭だからな。挨拶して損はねぇぞ」


 私のように地方から学びに来た学徒は、もれなくこの団体に所属する。遠く支援も届かぬ学徒のための救済機関という訳だ。


「出し物も年々豪華になっててな、それこそ一日中楽しめるぞ。豪勢な宴会に……」


 言葉が空気に溶けるように、いつのまにか話が途切れてしまう。


「……なぁコルダ、六時課は受けてるか?」


 六時課というと丁度お昼頃になる。


「取ってないです。なんですか、急に」


「じゃあ都合がいい。始業の鐘が鳴る頃に、噴水広場で待ち合わせよう」


「えっ、あっ、あの……ど、どうしても行かないといけませんか?」


「どうしても、だ」


 念を押す発言と共に、手続きが済んだ本が出てくる。反対側はリベラさんがしっかりと持っており、まるでもう一つの契約を結ぶかのような有様だった。


 噴水広場に行くかどうか。


 私は早急にパティナさんを返したいのに……。


「どうした。早く取れよ」


 語尾に攻撃性が増してくる。現状維持も逃げ出すのも出来なかった私は、あっけなく本を受け取ってしまった。


「あ、そうだコルダ、料理にはくれぐれも手を出すなよ、分かったな」


「はい……」


 生返事もそこそこに、とぼとぼと出口を目指した。




「なに……これ……」


 大通りは知らぬ間に人の川になっていた。それも行き交うような濁流ではなく、きちんと行き先が定まっている、いわば清流といったところ。


 普段は陽光を嫌う人々がぶつかるのも承知で、こぞって回廊を利用するのに、今日に限っては皆して植物のように溌剌はつらつと日光を享受している。中には動物や道化師といったおどけた格好をする人達まで混じっていた。


 異様な光景にすっかり委縮していると、何やら遠くから音楽が聞こえてくる。笛や太鼓、さらには弦を弾いたものまで。子守歌からだんだんと鐘撞かねつきのけたたましさに移ろう頃、心の底からようやく答えが浮上する。


 これが学頭の“就任式”。


 リベラさんが「年々豪華になってる」と言っていたが、この時点で想像を遥かに超えていた。当然、人の川に飛び込む勇気なんて当然持ち合わせてはいない。


 パティナさんの返却も未達成だったので、リベラさんには「人混みが凄いので引き返してきました」などと適当な理由で誤魔化し探索を再開……


 ……いやでも何度やっても立ち入り禁止区域には行けなかったし、それにもうパティナさんを騙す手立てが思いつかない。


 館内に戻るか否か、きびすが一向に定まらない。


『あの人の声だ!』


 突如として鞄が叫ぶ。


 パティナさんが露見する恐怖が押し寄せるも、陸の波濤はとうによってすぐさま押し流された。


 探し求める人が近くにいる。


 パティナさんを返す上で、もはや口実と成り果てていた幻の目標。存在しないと思われていた人物が虚構の壁を打ち壊し、この場に現れた。


 無事に再会を果せれば、素直に戻ってくれる。それに、もしかしたらその人から立ち入り禁止の場所も聞き出せるかもしれない。


 万策尽きた状況は一気に好転する。


 しかし解決への糸口はあまりに困難だった。


 溢れんばかりの人の波。個々人の顔は水光すいこうのように激しく移ろう。男女の判別すら行えない現状、どうやって目的の人を探せるだろう。


 また、辛うじて見つけたとしても、私には人海を搔き分けるほどの力は無い。良くて漂流、悪くて溺死。触れれば崩れる小型船が荒波に耐えられる訳が無かった。


『どうした! コルダ! 早く行け!』


 え。


 勝手に足がもつれてしまう。まるで、いや本当に、言葉に押されるだなんて思ってもみなかった。


 突如暗転する視界。全方位から加わる圧。呼吸するのも難しい。


 飛び込んでしばらくもしないうち、自分がどの方向を向いているのか、どこにいるのかすらも忘れてしまった。


 苦痛と不安が錯綜さくそうする中、死の恐怖がにじり寄る。


 叔父さん、助けて……。


 死にたくないと必死に藻掻もがく一方で、胸中では一心に、今はいない彼に助けを求めていた。


『こんなに近くにいるんだぞ!』


「でも、でも!」


 叫んだところで、すぐに濁流に掻き消される。“進む”だなんて出来るはずも無く、転ばずに踏ん張っているだけでやっとだった。


『あ、ああ……離れてく……』


 怒号に水が染み込んでいく。


 人探しの提案を確認した時も、同じくこんな声色だった。彼女の境遇を辿っていけば、涙に語る理由も明らかになるのだろう。けれど同情も寄せれないほど、身に迫る脅威は甚大だった。




 体に自由が戻ったのは、それからしばらくのことだった。雑踏も音楽も今では皆かわいく聞こえるまでに落ち着く。


 服がかなり崩れただけで、どこも怪我をしている様子はない。それに体力もまだまだ動けると主張している。


「い、行ってみますか。就任式」


『探してくれるのか』


「ええ。このまま訳にはいきませんから」


 単なる興味本位から出た言葉ではない。自分を奮い立たせるための、いわば宣誓に近かった。


 幸いにも解決の糸口はまだ切れてはいない。単に少しだけ伸びただけ。だからこれから手繰り寄せるのだ。だってまだ、


 パレードは続いているのだから。

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