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V. 返却作戦

 何事も無く、図書館前に到着した。


 補修作業はもう済んだようで、垂れていた小汚い幕もいつのまにか無くなっている。余計な仕切りが取り払われたからか、吹き抜ける風も相まって、大扉がのびのびと息をしているようだった。


 何の気なしに玄関を歩いていたら、唐突に嫌なことを想起させる。


 この先を進めば館内に入る。しかしその出入口には、まるで関門のように受付が設けられている。看守は勿論リベラさん。


 つまり図書館に入ると言うことは、同時にリベラさんとも顔を合わせなければならないのだ。


 パティナさんの脱獄を手助けした記憶は今でもごっそりと欠落しているため、リベラさんに詰問された場合、どう対処すれば良いのか分からない。


 冗談や誤魔化しが通用しない相手だからこそ、余計に気が重かった。


 そうこうしている内に、もうすぐ対面の時間。


『おい、我輩を戻そうとしてるだろ』


 喉から心臓が飛び出すほどに驚いた。


「そっ、そんなことないですよ」


『いや、足音で気付いたぞ』


「えっ? あ……」


 思わず足元を見た。


 床には大理石が敷き詰められている。館内を散策する楽しみの一つでもあったこの音色が今回は災いとして転化してしまっていた。


「やっ、ヤダなぁ違いますよ、そんな酷い事するわけないじゃないですか」


 顔は引きり、汗が噴き出る。


『……分かった』


 もし仮にパティナさんが人の姿であったなら、一瞬にして嘘だと看破されていただろう。


 運よく騙し通せたとはいえ、これ以上進める勇気は無かった。


「ちょ、ちょっと部屋に忘れ物をしたので取りに帰りますね」


 本人に気付かれる前に、素早く自室へと引き返した。





「ちょ、ちょっと待っててくださいね~」


 自室に鞄を押しのけて、扉をバタリと閉める。


 一人廊下にたたずむ私は、今後の返却方法について早急に手立てを講じなければならなかった。


 どうしよう、

 どうしよう。


 正直に“大切な人”を見つけてから?


 この街にいるのかどうかも分からないし、生きているのかすらも分からないような人をどうやって探せばいいのか。


 それよりもリベラさんが紛失に気付くまでの方が、よっぽど明確で深刻だ。


 返さなければならない時間はとっくのとうに過ぎていて、こうして考えている間にも更新中。


「はーーーぁ……。あ?」


 身をかがめるほどのため息をいた時、視界の中心は自分の靴を捉えた。


 さっきは足音で気取られてしまった。


 じゃあ今度はその“足音”を消せば……いい?


 がんじがらめの檻から抜け出す突破口がひらめく。まだまだ根本的な問題は解決はしていないかもしれないが、頭の中では既に解決した時のような解放感で満たされていた。


 嬉々として靴を脱ぐ。


「《――|necto《接続》〔靴から音がしない〕eratあった――》」


 試しに靴を持って落としてみる。


 落ちた。


「(おぉー!)」


 見事に音がしなかった。


 嬉々として靴を履き直し、扉を開ける。


 向かうは図書館。


 今度こそパティナさんを返すために。


「では行きましょうか」






 ヤバイ、

 ヤバイ。

 どうしよう。


 足音を完全に消せたのは良かった。だが不幸にも出歩く人が極端に少ない。靴音を消す以前は気にも留めていなかった死活問題に大いに直面する。


 これでは語らずとも「足音を消しました」と公言してるのと一緒だ。


 ここはいっそ大声を出して……。

 いや、その方が余計怪しまれる。


 でも気付かれないためには、何かしら音をならなかった。


「えっ、あっ。えーっと、パティナさん?」


『なんだ』


「あの、パティナさんが探している“大切な人”ってどこで知り合ったんですか?」


『知らん』


 会話が終わる。

 いや、まだまだ。


 とにかく口を動かさないと。


「えっと、じゃあ私と初めて会った時、パティナさん言ってましたよね『いつものように愚痴を聞かせてくれ』とかなんとか。その“大切な人”とはどんな話をしてたんですか?」


『いっ、言えるわけ無いだろっ!』


 先程までは気の強い女性だったのに、急に少女のように可愛らしくなった。こんな表情も出せるのかと驚くかたわら、もっと恥じた声を聞きいてみたいと思うように。


「でも手掛かりが声だけなんて無理ですよ。男性とも女性とも取れない声とか子供から大人まで該当しますし、それに安心する声なんて人それぞれです。もうちょっとその人の特徴とか、性格とかを教えてもらわないと見つけられません」


『ぬぅう……。だがしかし、本当にただの愚痴なんだ。その、「買い物をしてたら犬に吠えられた」とか「大人から蹴られた」だとか「飲み会は暴れる人がいるから苦手」だとか、あっ……』


「どうしたんです?」


『だっ、ダメだ! これ以上は言えんっ!』


「えぇ、そこをなんとかぁ」


 ああダメだ、思わず口角が上がってしまう。


『おっ、お前っ! 我輩を馬鹿にしてるだろ!』


「してません、してません」


 楽しみながら生返事をしていると、鞄の中から獣のようなうなり声がしだす。威嚇の意図は感じられない。むしろ恥ずかしさに耐えられず、口から滲み出ている様子だった。


 これ以上不用意につつけば本当に飛び掛かりかねないので、からかうのはこの辺にしておこう。


 おふざけ混じりで聞き出せた情報はどれも手掛かりとしては弱過ぎる。唯一「飲み会」という社交儀礼から察するに、子供ではないのは確かだ。


 大切な人の面影は多少縦に伸びた程度。輪郭はまだまだ不明瞭。


 しかし幸いなことに、図書館前まで無事に到着できた。


 一度目は失敗している手前、やはり進むのには躊躇ちゅうちょする。


 それでも最悪の最悪、つまりパティナさんの盗難が発覚するのに比べれば、これくらい何てことない。おまけに引き返したとしても、ゆくゆくはバレてしまう。初めからと装えるのは、ごく限られた僅かな時間。


 少しの猶予もありはしない。


 そう自分を奮い立たせ、いざ玄関へと突貫した。


「あの、私、物心が付いた頃から叔父さんと二人暮らしをしてたんです。そこで魔法使いだった叔父さんの影響で、私も魔法に興味が湧て。でも、その頃の私はまだまだ内面も……幼くて、勝手に行くだなんて当然許しては貰えなかったんです――」


 先程の会話の終わり方からして、これ以上の対話は望めない。また館内でパティナさんを不用意に喋らせるのも危なかった。無音の足音がバレないよう、咄嗟とっさに自分語りを始めてしまったが、我ながら最良だったかもしれない。


 玄関を突破した。


 恐る恐る受付を覗く。すると幸運なことに、リベラさんはいなかった。


「――だから毎日毎夜、本の中だけに登場する不思議な街に、いつか行ってみたい! と、そう、ずっと、夢見てたんですよね」


 よし、

 よし。


 このままさっさと進んでしまおう。


「それからしばらく経って、ようやくここに来れる目処が立ったんです。憧れのこの場所に到着した時はもう嬉しくて嬉しくて……分かりますか? この気持ち。道にはお店と庇が合わさったような建物が連なってたり、塔が杭のようにいっぱいあったり。見える全てが輝いていて、だって全て本に書いてあった通りの街だったんですよ? それはもうトイレや路地裏にさえ興奮しちゃいました。……ようやくこの街で、魔法の勉強ができるんだって」


 いくつもの書架の波を超えて、やっとこさ魔法の区画に到着する。


「私には夢があるんです。いつか“この大学を卒業する”って夢が。あっ、どうすれば卒業できるかっていうと、これまでに無かった新しい魔法。つまり独自魔法を作らなければならないんです。だから私は日々授業に出て、新しい知識を吸収してるんです!」


 世界魔法の区分に入る。


 内的魔法の棚まではもうすぐ傍まで迫っていた。


『懐かしい。あの人ともこんな一方的な会話だった』


 いきなり喋られたものだから心臓が止まりかける。


「(ちょ、ちょちょっと、何いきなり喋ってるんですか、バレちゃ――)」


「――ふふっ、お勉強がんばってね~」


 思わず後ろを振り返る。これまで進んで来た長い廊下には、二人の若い女学徒が今しがた去ろうとしていた。きびすを返す僅かな時間。こちらに手を振りながら、まるで小動物を見るかのような愛らしい目線を向けてきた。


 パティナさんの声が届く距離にいたこと、それから私の独り言を面白おかしく聞かれていたこと。


 緊張と緩和が一気に押し寄せ、顔中が自分でも分かるくらい熱を帯びる。


「あ~可愛かったぁ」


「ね~」


 二人が遠く離れた後から、トドメの槍が飛んでくる。


 不可視の凶器は確実に私の心臓を貫き、顔だけだった過剰な熱は、もはや全身から噴き出していた。


『どうせ誰にも届いていまい』


「届いてましたよ、私の夢がぁぁぁああ…………」




 心に致命傷を負いながらも、内的魔法の棚まで来れた。


 頭の中では、もう立ち入り禁止の区域に行くことでいっぱいだった。


 これまで縦に歩いていた方向を、今度は横へと切り替える。


 あれ?


 あれ?


 おかしい。何度やっても行けない。


 内的魔法についての棚と閲覧机との間を何往復しても、景色は一向に変化しない。埃とカビに覆われた、あの廃れた空間は一体どこに消えてしまったのだろう。未だ鮮明に焼き付いている情景は、決して悪夢の中だけの出来事ではなかった。


『なあ』


 明確な敵意が聞こえる。


「……な、ななんでしょうか」


『“足音”はどうした』


 ……あ。


 立ち入り禁止に行くのに躍起で誤魔化すのをすっかり忘れていた。


 ど、どうしようどうしよう。


『一度目は許した』


「へ?」


『そうしたのはな。たとえ見え透いた嘘だったとしても、お前には我輩を持ち出してくれた“恩”があったからだ』


 つむぎ出される真珠の声は、怒りという一本の糸が通っていた。


「な、何っ、な言ってるんですか。ちゃんと人探しをしてましゅよ!」


 完全に声が震えてしまっている。こうなってはもうどんなに嘘を繕ったところで、効果が無い。


『音を消す必要がどこにある!』


 糸が千切れる。


「あっ、やっ、ちが……! してます! っほら! 聞こえませんか? カツリコツリって」


『なんだと?』


 あれ?


 なんで消したはずの足音がするんだろ。


 自分で言ってて困惑する。


 けれど、本当に、ハッキリと聞こえてくるのだ。


 もう、ほんの近くの距離まで……。


「よぉ、コルダ。何してんだ?」

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