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XIV. サウロの暴露

 アンセルさんが店の奥へと姿を消し、店内の活気が煩わしく感じる頃。私は未だに食事を再開することが出来なかった。


 不意の事故だったとはいえ、原因を作ったのは、この私。


 ひとまず落ち着いた今なら、謝罪も受け入れてもらえるかもしれない。しかし一旦リベラさんの有責で決着したものを再び焚きつけるのも気が引ける。


 現状、彼女はどんな面持ちでいるのだろうか。


 顔色を窺うべく、そっと視線を上げてみる。するとリベラさんはコップの縁に唇を預けたまま。物憂げな様子でお皿を静観していた。


 卓上のお肉は微量ではあるがまだ湯気が立ってる。このまま放置していてはアンセルさんの意向すらも無下にしてしまうだろう。


 このに及んでも、まだまだ素直になれない自分が堪らなく許せなかった。


 謝ろう。とにかく謝ろう。


「……ぁ――」


「――悪かったな。肉、マズくしちまって」


 目線を下げたまま、不貞腐ふてくされたように呟く。


「い、いえいえ。そんなことないですよ」


 先に謝られてしまった。


 行き場のない感情を指に乗せて、肉の一切れを摘まみ上げる。


 ンみゅイ、ンムィ、ンゴン。


 噛むごとに弾ける肉の触感。噴き出る肉汁。まるで一枚目の感動をもう一度味わっているかのようだった。


 しかし不思議なことに、今度は肝心の味がしない。


「どうした」


「えっ? えぇ、美味しいですよ。凄く……」


 味がしません、だなんて到底言えるはずもなく。急場しのぎと割り切って、鏡を見なくても分かるくらい、ぎこちない笑顔を作る。


「別に困り事でもあるのか?」


「いえ、問題ありません!」


 あ。


 つい反射的に拒絶してしまった。


 彼女に対する反発は、パティナさんの窃盗という重大事件に比例する。けれどいくら弁明をしようにも、いわれのない罪を自白するだなんてできっこなかった。


 失敗の上塗り。申し訳ない態度を見せようとするも、彼女は体ごとそっぽを向いてしまう。


「(……サウロもそうだった)」


「叔父さんも来たんですか⁉」


 あ。


 叔父さんの名前を出された瞬間、私の興味は魚のように、みごと釣り針に食いついてしまった。


 リベラさんは多少驚きつつも、すぐさま冷静さを取り戻す。


「アイツがまだ馴染めてなかった頃にな」


 そう呟きながら姿勢を再び私の方へと直してくれる。


 叔父さんとはこれまで多くの話をしてきた。けれどそれらはみな彼自身の知識や体験談によるものだったので、こうして他の人からの視点はとても新鮮味があった。


 叔父さんも最初は大変だったんだ。


 私を置いて帰ってしまったことに心を痛めたりもしたが、生い立ちを垣間見たことで叔父さんの気持ちも理解できた。


「今のお前よりかは大人しかったが」


 含みのある指摘に疑問を抱く。

 ふと気付けば、私は身を大きく乗り出していた。


「あ。す、すみません……」


 ぎこちなく座りなおす。しかしこれでは今朝の先生とと同じ失敗ではないか。

 恥ずかしさを紛らわせるため、また一枚肉を頬張った。


 ンムィ、ンムィ――


「――次に来たのはフラれた時だ」


「えっ」


 思いがけない発言に、思わず食事を中断してしまう。


 叔父さんのことだから自分で行くよりもむしろ言い寄られる方が多いと思っていたのに。


「あっ、相手は誰だったんです?」


「興味あるのか」


 鼻で笑うリベラさん。しかし彼女の眼差しは決して淡白なものではなく、むしろ私の一挙手一投足をつぶさに窺う代物だった。


 先程の会話で私が叔父さんについて興味があるのは知っているはずだ。それなのにわざわざ質問してくるなんて酷すぎる。


「……意地悪しないでください」


 リベラさんはニンマリと口を開く。


「ピレア先生だ」


 うわぁ。


 学徒同士の恋愛かと思っていたが、相手がピレア先生だったなんて。


 確かに男性が好みそうな体型をしているとは思っていたけれど、まさかその色香に叔父さんも当てられていただなんて……。


「そこで傷心しきったアイツをここに連れてきて食わせてやったんだ。まぁ肉より酒の方を飲んでたがな」


 コップを傾けるリベラさん。


「でよ、酔ったアイツは何したと思う?」


「わ、分かんないです。お店の中で暴れちゃった……とか」


 ワインを数口飲んだ彼女はニヤニヤと嫌らしい微笑みを浮かべる。


「ォレに告白しやがった。ハッハ!」


 鋭い笑い声が店内に響く。

 赤らんだ客の何人かが何事かとリベラさんの方を見た。


「(それで……返事は……)」


 これ以上の注目を避けるため、叔父さんの恥ずかしい過去を聞かれないため、出来るだけ小声で質問した。


「醒ましてやった。言葉を使わずにな」


 ああ、叔父さん。自暴自棄になったばかりに……。


 心身の疲労を考えるとあまりに可哀そうだった。


 叔父さんはとても落ち着きのある理想の大人だ。しかしそんな彼にも子供のような奔放ほんぽうさがあったことに、嬉し恥ずかしいといった具合の複雑な感情が込み上げた。


 気分を変えようと、そっと卓上の小瓶に手を伸ばす。


 試しに掛けてみると、それはオリーブ油だった。


 白いお皿には赤いお肉が寝転がり、その上から緑黄色の油が広がる。


 味のしないお肉を口に放り込んでみた。するとオリーブ油の効果なのか、食感にまろやかさが生まれる。


 歯ざわりの潤滑油としてこれはまた新しい発見だった。


「なぁ、ところでその……サウロはなんか言ってなかったか? ォレの事、とか」


 二枚、三枚と食べ進めていたら唐突に質問が飛んで来た。


 肉から目線を上げてみる。


 リベラさんは真横を向いて口元をコップで隠している。その顔はお酒が回ってきているのか少し赤らんでいた。


「えぇっと」


 思いを巡らし、出てきた情景。それは初めてルパラクルにやって来た日の夜だった。



 今まで物語の中でしか出てこなかった憧れの場所。そこにようやく来れた喜びと期待感に打ち震えながら横になっていた。


 けれどなかなか寝付けずにいたのは、単に興奮していただけではない。


「昼間に挨拶したあの人、今でも怖いかい?」


 叔父さんよりも幾分か背の高い女の人。藍の短髪の下から伸びる青の長髪が特徴的なその人は、熊でも見殺せるくらい鋭い眼差しをしていた。


 そんな眼光を向けられたものだから当然私は委縮してしまい、簡単な自己紹介すら済ませられず、ただ聞かれた質問に震えた声で「はい」としか答えられなかった。


「……はい」


「コルダに紹介するのは早かったかな?」


「……子供扱いしないでくださぃ」


「ははは、それは悪かったね。でも大丈夫、君はここで大人になる。そのために連れてきたんだ」


「……すごく長い旅でした」


「これからはもっと険しくなる。それに無意識のうちに逸れてしまうこともあるだろう。けれど安心しなさい――」



「『――あの人は力づくでも、君の方向を正してくれる』と」


 声に出してみると、やはり私の叔父さん像は頼れる理想の大人だった。


 恐る恐る顔を窺ってみる。すると今度はリベラさんが、先程の私のように好転的に複雑な表情をしていた。


「……お前も食って大きくなれよ」


 照れながら残りのお肉を全て私のお皿に盛りつける。


「食べないんですか?」


 私の質問に対して、リベラさんは首に捲かれた黒いチョーカーを指でなぞる。


「もうじき食えなくなる。お蔭で無駄肉とは無縁だよク――」


 ――短く低いうめき声を上げた。


 心配し、声を掛けようとするも手で制止される。


「悪態もけねぇ」


 一呼吸して落ち着いたリベラさんは苛立いらだちながら愚痴をこぼす。それから大きな溜息を吐き、気晴らしと言わんばかりにお皿に残った骨に手を伸ばした。


 可食部分が僅かに残っている、見事なT字。


 しかし今まで脂の海に寝ていたため、彼女の指は瞬く間に粘性の光沢を帯びる。特に中指、薬指だけにめられた黒い手甲には、暗色ということも相まって、よりなまめかしくまとわりわりついていた。


「あの……脱がなくていいんですか? その手袋」


「気にすんな。元から脱げねぇし汚れねぇ」


 脂は汚れじゃないのかな……。


 私の心配をよそに、リベラさんは骨を綺麗にし始める。


 初めは歯で肉を引き剥がし、それが出来なくなると今度は舌を使って肉の筋を舐め立たせ、僅かに出来たから再び歯を使って引き剥がす。


 まるで骨と接吻をしてるかのような行為に、途端に顔が熱くなった。


 そんな肉食獣にも似た食べ方に、叔父さんとの思い出がもう一つ蘇る。


「あっ、あとリベラさんのことを『百尾の獅子』とも呼んでましたね。と、とてもカッコいいと思います」


 リベラさんはふと手を止める。


「聞いたことねぇ……それは二人でいる時だけか?」


「はい、そう、だったと思います」


「書物を守る有翼の獅子……アイツも悪知恵が働くようになったじゃねぇか」


「? それと百尾にどう関係があるんですか?」


 リベラさんは口元をニヤリと歪ませる。


「踏まれて平気な獣はいねぇ」


 その目は決して笑ってはいなかった。






「も、もう入らない」


 残さず食べたせいで、腹部は靴が見えないくらいに膨らんでいた。苦しくなったお腹を、少しでも良くなるように優しくさする。


「その分だと三日は持つな」


 楽しそうに笑うリベラさんに少しだけ疎ましく思った。


「この後はあるのか?」


「ピレア先生の講義があります……」


 つい答えてしまった。けれどパティナさんを返すことが最優先のため、呑気に出席するだなんて出来る訳がなかった。


 仕方ない、今日の講義は自主休講にしてしまおう……。


「扱ってるのが医学だろ。ついていけてるか?」


「問題ないです」


 リベラさんは体を屈め、優しく私の頭を撫でてきた。


「頑張れよ」


 その顔はまるで別人なくらい穏やかで、慈愛に満ちた表情だった。


「あっ、あの今日は……」


 私を撫で終わるや否や、リベラさんはくるりと身をひるがえし、たちまち人波の中に消える。


 ……ありがとうございます。と完全に言いそびれてしまった。


 けれど心の中に満たされていたのは、後悔の念とは違う、何か別の暖かな感情だった。






『それで良かったのか? むざむざアイツを返してしまって』


 鞄の中から久方ぶりに澄んだ声が聞こえてくる。


「……あの、パティナさん……その」


『どうした』


「私の唾液……飲ませちゃったんですけど」

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