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XVI. 生意気 お仕置き 尻叩き

「今度はこの本を読んでもらおうじゃないの」


 取り出したのは一冊の本。

 距離の関係で題名までは分からなかったが、その表紙には馴染みがあった。


 まだ精神的にも幼かった頃、叔父さんが教育の一環で読み聞かせをしてくれた初めての本。


 内容としては、とある軍人の半生を綴った物語。


 それなりの文量はあったものの、端的で明瞭な言葉遣いは文法を学ぶ上でとても参考になった。


 けれども私は戦記モノ特有の血生臭い描写が好かず、内容もうろ覚えでしか残っていない。


「それなら『いばら帷子かたびら』の方が良いと思います」


 これは王宮の王様と召使の禁断の愛を描いた物語。


 男色を取り扱った作品なので人によっては拒絶反応を示すこともあるだろう。だがしかし随所に現れる二人の心境を綴った文章は、耽美で情緒に溢れた素晴らしい出来栄えになっている。


 少々大人の内容も含まれてはいるものの、これも二人の関係性を強める上で必要な場面なのだから仕方ない。


 そう、仕方がないのだ。


 勉学のためと割り切って、叔父の目を盗んでは読んでいたあの頃が懐かしい。


 感傷に浸りつつ、教師の顔を窺ってみた。するとあれだけほがらかだった表情が氷のように固まり、目を落とさんばかりに見開いている。


 子供の範疇範疇を超えた指摘に内心おどろいていることだろう。


 まさに疑念が確信へと変わる瞬間を目の当たりにしているのだ。


 こうして私は晴れて学徒として認められ、堂々とここからおさらばできる。こんな子供しかいない場所なんて二度とごめんだ。


「……あんな破廉恥はれんちな本よんでんじゃないよ! 大体男同士がくっつくだなんて気色の悪い」


「え、あ……ごめんなさい」


 予想と大きく異なる反応に思わず動揺する。


「大体なんでアンタみたいなガキが『茨帷子』なんて悪書を知ってんのさ」


「子供じゃないです、学徒だからです」


「その嘘は聞き飽きたよ!! 全く少し褒めたからって良い気になって。いいかい? 学徒っていうのはねぇ、ただひたすらに勉学にはげむ大人の人達のことを指す言葉なんだよ。それをさも知ったような口振りで話して。ホントあんたは将来ろくな大人にはなれないよ!」


「……それでも私は学徒です」


「ふんっ、勝手に言ってな!」


 激昂げきこうした教師は早々に私を見限り、質問を別の生徒に当て始める。


 一番大好きなものを否定され、さらには人格まで否定までされると流石に傷つく。


 行き場のない感情は次第に私の視界を歪ませた。


 もうすぐ涙が零れる刹那せつなはたと気づく。


 ここで泣けば、それこそ子供と同じじゃないか。


 感情の制御も出来ないような相手と同じ行動を取るというのは、これまでの自分の全て否定するのと同義だった。


 泣いては、泣いてはダメ。泣いてはダメだ、私。


 涙の溜まった目を何度もこする。乾いて痛くなっていたが、決別の痛みとして受け入れた。


『コ、コルダぁ』


 唐突に悲惨な声が届く。


 振り向けばアシトスが私の鞄をまさぐっている。当然パティナさんは公然にさらされ、何名かの子供は興味津々に覗き込んでいた。


「ちょ、ちょっと! 何やってるんですか!」


「いいじゃん別に」


「良くないです! 返してください!」


 無秩序に垂れ流されているアシトスの鼻水が争う内にどんどん下へ下へと垂れていく。今にもパティナさんに落ちそうな勢いだった。


 パティナさんと鼻水が結合してしまったら新たな問題が発生してしまう。既にリベラさんを渦中に引き入れているため、これ以上事件を大事にさせたくなかった。


 それにもう周りの生徒にはパティナさんの姿を見られてしまっている。


 純白の、人の生皮を使った表紙に真紅の紐が巻き付けられた外見をしているのだ。たとえ一瞬だけしか見ていなかったとしても、脳裏に深く刻まれてしまっただろう。


 意地でもパティナさんを奪い返し、素早く鞄に戻す。


 アシトスは取られた反動からか、途端に号泣し始めた。


 そんな子供だまし私には通用しない。そもそも盗もうとした相手が悪いのだ。


「アンタ達! アタシの授業の邪魔をしてんじゃないよ!」


 教師の怒号が教室に響く。


「あ、あの、アシトスが私の鞄を勝手に開けたんです!」


「またアンタかい、いい加減にしな! さっきから難癖ばっかりついて!」


 え?

 何故か怒りの矛先が私に向けられている。


「違います! 信じてください!」


「信じるも何も嘘つきの言葉なんざ信用しないよ!」


「なんで分からないんですか! 何度も何度も訴えてるのに! こんな頭の良い子供なんているわけないじゃないですか! 頭が固い人ですね!

 それに授業だって言い張ってますけど、ホントは自分の意見を押し付けたいだけなんじゃないですか? 別に聞き流していいですよ、嘘つきの言葉なんですからね!」


 あっ……。


 心に溜まった鬱憤うっぷんを全て吐き出してしまってから我に返る。散々言い包められてきたからとはいえ、流石に言い過ぎた……。


 贖罪しょくざいも兼ねて顔色を窺ってみる。すると目は獣のように鋭く、体は怒りのあまり、わなわなと小刻みに震えていた。


「……お仕置きだよ」


 瞬間、お尻叩きの光景が脳裏を巡る。


「えっ、あっ! ヤダ! ヤダヤダ!」


 絶望に暮れていると、教室のどこからか図体の大きい生徒がやってきて私を拘束した。逃げ出そうと奮闘するも、手を強く握られているため抜け出せない。


「私の授業を散々馬鹿にして!」


 パァン! と甲高い音がお尻から発せられ、同時に頭には痛みという衝撃が伝わる。


「んァ! や、めてください!」


「子供のくせに少し頭が良いからってアタシを馬鹿にしやがって!」


 パァン!


「ンッ! こ、子供じゃないです! 大人です! ルパラクルの学徒なんです!」


「だったらその証拠を見せてみな! 出せるもんならね!」


 パァン!


 体が前後に動くほどの衝撃を何度も味わう。その強い衝撃によって服がよれ、首から下げていた学章が露わになる。


 片側に睡蓮、もう片方には学長である先生の面影を象った首飾り。その学章は間違いなく、ここルパラクルの学徒が携えるに相応しい装飾品だった。


 思い切り手を引き抜こうとする。すると汗で過分に湿っていたので驚くほどするりと抜けた。再びの自由を得た私の右手は、首に下げていた学章を高らかに掲げる。


「が、学章! 学章ですよ!」


 ぴたりと音が無くなる。


 やっと信じてもらえた……。


 じんじんと痛むお尻ももう平気。


「アンタ! どっかから盗んできたんだろ!」


 今度は鈍い音がした。


「……ぁカハ」


 あ、これダメだ。


 想像を超える衝撃に視界が霞み、まるで星が間近にあるかのようにチカチカと明暗が繰り返される。


 言葉も、知識も経験も、それに私の学章でさえも、教師を説得できなかった。


 私が学徒である証明。


 もはや何も考えられなくなっていた私は、無意識に学章を握っていた。


「《――|necto《接続》……」






「まさかアンタの学章だったなんて。疑って悪かったね」


「ホントですよ……」


 教室は自習時間を取らせ、今は私と回廊の中を歩いている。


 まだお尻がじんじん痛い。


「でもねアンタ、無暗やたらと魔法を使っちゃいけないよ。危ないんだからね!」


 一体誰のせいで……。


 今までのことを思い起こすだけで、お腹の中にドス黒い感情が沸き立ち、自然と拳に力が入る。


「あ! コルダさ~ん!」


 明るく元気な女性の声が、回廊の中を反響しながら近づいてくる。聞き覚えのある声に思わず視線をやると、実体を持った影が駆けてきた。


 ピレア先生だ。


 黒いローブに黒い長靴、それに黒い長手袋を着用している。極めつけは帽子で、黒百合のつぼみを逆さにしたような形状のものを首元まですっぽりと被っている。視界確保のためか、目がある位置には小さな穴が二つ雑に開けられていた。


 素顔はおろか素肌も見せない徹底ぶり。


 しかし豊満な肉体までは隠しきれないようで、豪快な一歩を踏み込むたびにローブの内側が激しく揺れた。


「丁度良かった、一緒に教室まで行きましょう!」


 通り過ぎようとした矢先、ピレア先生は私の腕をガッチリと掴む。


 唐突な行動に驚きつつも、体は強制的に走らされる。


「ぴ、ピレア先生! わたし今、学章が無くて!」


 学章が無ければ出席できない。

 これはアエス先生の講義で再確認した学則だ。


 今回はその決まりを逆手に取り、意地でも休む計画を講じる。


 たとえ取りに戻るよう促されたとしても、その間にパティナさんを返すくらいの余裕はあるだろう。


 嘘はバレなければ事実。


 この一件でピレア先生の印象が悪くなったとしても、今はどうしても解決しなければならない試練があった。


 けれど私の意に反して、ピレア先生は止まらない。


 急いでいて聞こえなかった?


「あの、私、学章を忘れ――」


「――ふふっ、コルダさんも悪い子ですね~」


「えっ?」


「聞こえてましたよ~、学章のくだりから」


 私の計画はピレア先生の信頼と共に、一瞬にして瓦解した。

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