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XVII. 腐心の友

 結局、教室まで着いてしまった。


 柱が何列も並んだ大空間。就任式の会場と比べてしまうと流石に見劣りしてしまうものの、それでもアエス先生に始まる他の先生が所有する教室の中でも群を抜いている。始業ギリギリに来たからか、辺りは学徒が立てる雑多な音で満たされていた。


「あ~、立ち見の人も埋まってますね~……」


 残念そうに語るピレア先生。けれど私にとってその言葉は幸運以外の何物でもない。


「そ、そうですか。それじゃあ授業は受けられないってことですよね」


「受けれないことは無いですけど~。やっぱりコルダさんにとってはかなり無理をさせちゃうかもしれません」


「子供じゃ……いえ、ざ、残念ですけど、今日のところは、おとなしく帰ります」


「コルダさん、本当にごめんなさい。今度ワタシの部屋で教えますから」


 拘束されていた腕がようやく解放される。相当つよく握られていたのか、ジンジンと手首が鼓動するような痛みがやってきた。


 とはいえこれでようやく図書館に向かえる。


 ずっと振り回され続けてきた大事件も、とうとう解決の段階まで漕ぎつけたと思うと、多少の苦痛も余韻よいんの一つとして享受きょうじゅできた。


 くるりと素早く身をひるがえし、跳ねるように教室から出ていき――


「――まっ! 待ってくださいっ!」


 女子の声。ガラスにも似た透明感のある声が、教室内に響かせる。


 並の声量であれば、聞き間違えと称して強引にこの場から去れただろう。しかしこれほどまでに明言されてしまうと、こちらとしても逃げるに逃げれない。


 何かの間違いであって欲しい期待と現実を受け入れたくない拒絶に挟まれながら、ガチガチに固まった体を無理やりひねる。


 既に声は途絶えているので、発言者が誰なのか瞬時に見分けられなかった。けれど周囲の席に目をやると、他の学徒等の視線が自然と一人の人物に注がれているのに気付く。


 無数の視線が収束する一点。

 そこは教室の最前列。


 全身を漆黒の装束で覆った不審者。巨大な三角形の帽子を首元まで被り、目がある位置には視界を確保するべく二つの穴が乱雑に開けられている。


 よほど素顔を見られたくないのか帽子のはじは荒縄できつく結わえており、自ら首を絞めているようにしか思えなかった。


 深山幽谷に棲む亡霊が人里に降りてきたような場違い感。その風貌は奇しくもピレア先生に酷似していた。すかさず真横に目をやるも、本人は私の隣から微動だにしていない。


「あっあた、ぁたしの隣なら空い、てます! から、座らせて大丈夫です、よね? ね?」


 隣席する令嬢にしきりに許諾きょだくを求める。そのあまりの強引さに、相手は顔を引きらせながら承諾していた。


「わ~! よかったですね、コルダさん!」


「へ?」


「席、座らせてくれるんですって!」


「あ……あぁ……」


 深い絶望の谷に突き落とされた。




「学章の確認をするので出して下さ~い!」


 ピレア先生に優しく後押されながら、教室の中へと入っていく。頭頂部には何とも柔らかな感触が伝わるが、歩調は何よりも固かった。


 足にはそれぞれ不可視のかせが重々しく繋がれている。一つはあわよくば教室から脱せていたという無念さから来るもの。そしてもう一つはこれから向かう席にある。


 教師座のついとして連なる学徒用の長机。一見するとどこでも座っても良さそうに思えるが、そこには見えない格差があった。


 教室中央はこの街の出身者が、地方出身者である私は本来、後方の席に座るのが規則。しかしながら今回の特例で最前列で授業を受けれる機会を得た。


 最前列。つまりは授業に一番没頭できる特等席。普段であれば、こんな特別な場所は相当の有力者でなければ座れない場所だ。普段着も私にとっては華美とも取れるほど豪華な装束に身を包んだ学徒等が堂々と鎮座している。


 将来の権力者と肩を並べるだなんて、考えただけでも肩が竦む話だった。けれどこうまでして席を譲ってくれた手前、いまさら無下にできない。


 行き場のない悩みを抱えながら、とうとう座席に着いてしまう。背後から伝わっていたピレア先生の温もりはもうない。


「あ、ありがとう、ございます。私、コルダと申します。コルダ……ドラカプティ」


「わぁ凄、い! ちゃんと挨拶できて偉、いね!」


「……年齢的にはもう大人です」


「ごっ、ごごめんなさい! ぁたし、ユスティディアって言い、ます。親しい人からは、よく『ディーア』って呼ばれてたりす、するんですよ」


「そ、そうですか。よろしくお願いします」


「あの、その……」


「え?」


「……」


 会話を途切れさせた張本人はモジモジと体を動かしている。視線もキョロキョロと泳いでおり、視線が合ったかと思えば即座に離すを繰り返す。


 まるで何かを期待する態度。


 彼女の奇行を治す手段は何となく察しが付く。とはいえ相手は御令嬢。それも真正面に座れるほどの家柄だ。そんな相手に、ましてや初対面で言わなきゃいけないだなんて。


 言うか、言うまいか。

 葛藤と時間に追い立てられる。


 当の本人は相も変わらず、挙動不審を続けていた。身を限りなく縮めた姿勢のため、腕中からは収まりきらなかった胸の真綿が無秩序に飛び出してしまう始末。加えて体をくねらせるものだから、左右にのっしりと動く動く。


 驚くほどの痴態を世にさらしているにも関わらず、彼女は全くの無関心。流石に耐えられなくなった私は、すごすごと口を開くことにした。


「ディー……ぁ」


 パアァァァァ。


 枯れていた草花が蘇り、一瞬にして咲き乱れる。肝心な花弁はといえば、厚い外皮に覆われていたので直接拝めはしなかった。そのぶん態度による表現は実に活発で、束縛を解放された恵体はここぞとばかりに弾む弾む。


 過剰な身振りでもって席を勧められ、ようやく着席する機会を得た。


 再び感謝を述べながら、普段通り鞄を座席に置く。書籍と筆記用具を何の気なしに取り出そうとしたところ、即座に理性が割って入る。


 ぶ厚い皮一枚を挟んだ先、有象無象に積み重ねられた私物の山の頂には人の生皮で装丁された喋る本、パティナさんが堂々と鎮座していた。ひとたび開けてしまえば彼女の存在はおろか、私の意としない犯罪までもが白昼の下に晒されるだろう。


 無意識のうちに行動してしまう“習慣”という名の落とし穴に、遅れながらに恐怖した。


「……座り、ませんか?」


「えっ! あっ、あの筆記用具と本も忘れてしまって」


 咄嗟に吐いた悪い嘘。

 これでは一体なにをしに来たのか疑うくらいだ。


「そっそうだったんですね、分かりました!」


 意外とあっさり通ってしまった。


 いそいそと自身の鞄をまさぐるユスティディアさん。彼女のひたむきな親切心には少しだけ心配を覚えてしまう。


 とはいえ無事に難局を乗り切った。じんわりと訪れる安堵感を噛みしめながら、鞄の上へと着席する。


『おい、また圧が来たぞ』


 お尻から伝わる嫌に柔らかな感覚と共に、聞きたくない声が噴出する。体の主導権を握られているため、聞き流すだなんて到底できない。


 チラリと隣を盗み見る。ユスティディアさんはまだまだ用意をしてくれている最中だ。机に突っ伏し、慎重に口を開く。


「(が、我慢してください。私も座りたくて座ってる訳じゃないんです)」


『だからといって重いものは重いんだぞ。流石の我輩にも限度がある』


「(そこをなんとか。あとちょっとなんですから)」


「どうかし、ました?」


 脇腹に言葉が刺さる。

 思わず痛みも無いのに飛び上がった。


「あっ、あこれはその、あ『茨帷子』ってご存じで?」


 あ?

 何言って、私。


 誤魔化すべく咄嗟に出てきた言葉がまさかの『茨帷子』。よりにもよってつい先程、徹底的に否定に否定された禁断の愛読書だった。


 口から出た言葉は二度と取り返せない。


 周囲の評判を落としかねない話の毒を、今度はやんごとなき御方に向かって投じてしまったのである。


 今度はどんな言葉で刺されるのだろう。


 二度の拒絶。

 二度の迫害。


 私の大好きな作品は、こうして二度も殺されるのだ。


 精神的な支えを失い心身ともに無気力となった私の体は、崩れるように机上へと伏した。


「……ぃ」


「へぇ?」


 ぐでんと顔を真横に倒す。


「はい。大好き、です。『茨帷子』」


 多少の恥じらいがありながも、芯のあるハッキリとした言葉だった。攻撃的な内容で無かったことに一先ひとまずの安堵を得る。


「ど、どんなところが好きですか?」


 とはいえ、一度は完膚かんぷなきまで否定された身。たとえ肯定されたとしても、素直に受け取ることが出来なかった。


「えぇっ! そっ、そう、ですね……やっぱり最後が良いなって、思います。ラディウスがソールを起こさないよう、自分のそでを静かに、断つんです。言葉も何もないんですけど、すごく。すごく、心に残ってます」


「わ、分かります。分かります! それも単なる行為じゃなくて、ソール王から一番初めに授かった服だった。つまり二人の関係性そのものを断つ意味も込められてるってところが素敵なんですよね」


「そう、なんです! 二人、が出会ってからの思い出がぜんぶ、最後の朝に詰め込まれてて、本当に好きな……好きな……」


 感極まったかと思えば、たちまち落ち込むユスティディアさん。全身を黒一色で覆っているため、さながらしぼんだ革袋のようだった。


「……本当に好きなのは、ニンブスなん、です」


 僅かな空気を絞り出して語られたのは、意外な人物の名前だった。


 ニンブスといえば『茨帷子』の悪役だ。彼の暗躍により、二人の仲は早朝の静けさと共にほどけてしまう、何とも苦い結末となってしまった。


 なんであんなヤツ……


「彼もラディウスと同じ境遇だったんです。容姿を買われて王宮に、入って一心に先王の愛を、受けました。先王が亡くなった後は能力を買われて宰相にまでなったんです。そんな国を任せられる立場だからこそ、知ってたんです。二人の関係が深まるほどに国が沈んでいく事実に。……あったんですよ。彼にも守らないといけない、ものが」


 気付けば彼女の言葉に深く聞き入っていた。


 視点の変化。


 それは幾度も無く読み返した者にしか得られない確かな現象。彼女の確実な“好き”に、私は心底尊敬した。


「ディーア」


 自然と言葉が零れる。

 それは真に心を通わせた相手だったからかもしれない。


 するとどうだろう。

 彼女はいそいそと鞄をまさぐり始め、やがて一冊の本を取り出した。


 密にして細緻。重厚な表紙にはつるいばらといった植物が生い茂り、細かなとげ一本一本に至るまで丁寧に彩色が施されている。


 題名らしき文字は見当たらない。


 けれどその外見にはすこぶる既視感があった。


「ゎたしの、大好きな、宝物」


 静かに本を抱くディーア。闇より暗い背景のお蔭か、表紙が思いの他よく見える。新調された装丁本だと思っていたが、実際には微細な傷が無数に出来てた。


 本人の言動から察するに、何度も繰り返し読んでいたのだろう。


「け、今朝のことって覚えてます、か?」


「はい。嫌になるほど」


「いっ、いまし、たよね! つっ、強い人が」


「忘れたくて困ってます」


「そっ、っちじゃないです! 倒した方の、強い人のことです、青い髪の、素敵な人……」


「? あぁ、リベラさんですか」


「り、リベラさんって、言うんで、すね。ぇへ。あ、あの、あの!そこでお願いがあるんですけど、ゎたしをその方に――」


「――は~い! 確認が取れましたので、これから授業を始めたいと思いま~す」


 授業開始の宣言を間近で聞いていたディーアは、崩れるように肩を落とした。

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