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17 エイリンドの余計な決意

 山の奥、木々の鬱蒼と茂ったメイデアの森にある里に入ると、その独特の空気にエイリンドは思わず深呼吸をした。

 今まで里からほとんど出たことのないエルフにとって、人間の領域である街中の空気の悪さはなかなかにきついものがあった。


 メイデアの森は空気自体が潤っており、清々しくも魔力を帯びた風が吹き渡っている。外の世界が埃っぽいとしたら、空気自体で洗われるような気すらした。


 気分的には水浴びなどをしたいところだが、それよりもエイリンドの心をせかすものがある。

 そのままエイリンドは心の声に従って、女王・マリエンガルドの元へ向かった。



「母上、お伺いしたいことがございます!」


 麗しきエルフの女王の座す玉座は、拝謁の場所よりもかなり高所にある。

 エイリンドが声を張って呼びかけると、鏡を覗いていた女王はその視線を息子へ向けた。


「帰参の挨拶より先に訊きたいこと、とは。はぁ……礼儀作法について躾を間違えたようですね」

「失礼いたしました! エイリンド、ルルエティーラの行動を見届け、ここに帰参致しましてございます!」

「ルルの行動に関しては、見守れともなんともそなたには命じていないはずですが」


 女王の言葉はなかなかに厳しい。確かに今回エイリンドがルルを追って里を飛び出したのは、独断の行動である。報告すべきことは本来何も無い。


「も、申し訳ありません。我が愛弟子が母上の許しを得て里を出たのがあまりにも心配で、居ても立ってもいられず……独断の行動であったことはお詫びいたします」


 しゅん、と項垂れるエイリンドの姿に、マリエンガルドは鏡で口元を隠してこっそりと笑った。

 年齢の割に人格の円熟味が足りないこの息子は、本当にただ愛弟子への心配で行動したのだろうということはありありとわかる。


 ――ただ、マリエンガルドは、エイリンドがルルを将来の伴侶と思い込んでいたり、そのつもりで師匠をしているという事実までは知らなかった。


「わかりました。ルルの身を案じての行動であったことをかんがみて、その件については許しましょう。して、そなたの尋ねたいこととは?」


 あくまで余裕を持った態度でマリエンガルドがエイリンドに促すと、エイリンドは更に一歩玉座に歩み寄った。


「ルルが身に付けている『エルフの秘術』について、私は何も存じません! 最も年若い彼女が習得していて、私が知らぬ秘術とはなんなのですか! 次代の長であるはずの私が与り知らぬことなど……」


 謁見の間に響き渡る大声に、マリエンガルドは思わず顔をしかめた。そして思った。――うちの息子、思っていた以上に面倒くさい、と。


 片手を挙げてエイリンドの言葉を遮り、長い長い嘆息の後で女王は頭痛を感じ始めたこめかみを押さえつつ口を開く。

 どう言えば、この頭が固い息子を納得させられるだろうと悩みながら。


「まずひとつ、そなたは考え違いをしていますからそれから正しましょう。

 エルフの長は血統ではなく能力によって継ぐもの。現時点でそなたが後継者と見做されているのは、際だって優れた者がこの里にいないためです。つまり、後継者は未定。ならば現女王の息子が、幼少期からの教育も心構えも、長として相応しいのではと考えている者が多いだけのこと」

「そう……だったのですか?」


 エイリンドがよろめいて一歩後ずさる。本来の事情を初めて知った彼にとってはショックな事柄だったのだろう。

 保守的な種族であるエルフの中で、突出した個性を持ち改革を起こすような人材は極々稀にしか現れない。「際だって優れている」と他から認められるような者もそうそう現れるものではない。


 結局は、慣習として長は世襲である。全ての土地に広がったエルフを統合して考えても、例外は数千年に一度程度でしかないのだが……。


 ルルエティーラは、まさにその「例外」になり得る少女だった。

 死して輪廻の輪を巡る魂は、時に別の世界を次なる生の地に選ぶことがある。

 真なる「エルフの秘術」として世界の理に触れたことのあるマリエンガルドはその事実を知ってはいるが、本来特定の者しか知り得ぬ世界の理に属することは、広めてよい性質のものではない。


 マリエンガルドは父王から長の地位を継いだが、彼女自身が優れた素質の持ち主だった。

 彼女は魂の色を見、相対する者の本質を見抜く。

 他のエルフとは明らかに違うルルエティーラの魂の色は、彼女がこの世界に馴染みないことの証拠だった。


 エルフとしては自由に過ぎる気質や好奇心は幼い頃から発揮されていたし、前世の記憶を取り戻したことでよりはっきりと魂の色が色濃く表れた。


「ルルの『エルフの秘術』は彼女の内にある叡知そのもの。私にもその全ては分かりかねるのです。選ばれし特別な魂の持ち主、それがルルエティーラ」


 ルルが他世界からの転生者であることをそれらしく迂遠に告げると、エイリンドは息を詰まらせて目を見開き――その場に崩れ落ちた。

 自分が特別だと思いがちなこの息子の矜持をバッキリと折ることができたかな、などとマリエンガルドは軽く考えていたが、事態は女王の思惑の斜め上に進んだ。


「つまり……つまり、母上はルルこそが後継者として相応しいとお考えでいらっしゃるのですね!」


 何故か、顔を上げた息子は目をきらきらと輝かせていた。

 若干の不穏を感じつつ、まあその選択もなくはないと、マリエンガルドは頷く。


「彼女が今後どのような成長を遂げるかにも寄りますが、可能性としてはそれもあります」

「ああ! 今ようやく我が使命に気づきました! ルルが幼き頃から私が彼女に惹かれていたのは、その魂が特別だったからなのですね! ルルの旅は人の世界を知り、緩やかに閉塞しつつあるエルフの世界を変革するためのものなのだ!」


 いや、全然違うわ。あの子はただこの里では食べられない肉が食べたいだけなんだよ。

 ――とは、さすがに言うことができずに、マリエンガルドは必死に威厳を保ちつつ言葉を発することを控えた。


「この私が女王マリエンガルドの息子として生を受け、厳しい教育を受けてきたのも全て、選ばれし存在であるルルエティーラに寄り添い、彼女を守るためだったとは!」


 何もかもを自分に都合のいいように勘違いしたエイリンドは、感極まって涙を流している。


 1500歳を超えた息子が、200歳のルルが幼い頃から恋愛感情を向けていたことを女王が知ったのは、まさにこの時であった。

 そなたは馬鹿なのですか? と必死に自制をしないと呟いてしまいそうになりながらも、エイリンドの精神の高潔さと生来の高貴さを示す魂の色に、余計混乱する。


「えーと……」


 えーと、など女王に即位してから久しく使ったことのないような言葉だ。自分の頭を整理しようと思わず素になりながらもマリエンガルドが悩んでいると、エイリンドは力強く立ち上がった。


「私はメイデアの森のエルフの女王・マリエンガルドの息子エイリンド! 運命に従い次なる女王の帰還まで彼女を守り抜くと誓いましょう! それでは母上……いえ、女王陛下、御前を辞する無礼をお詫び致します」

「お待ちなさい! あの子にはたまには里に戻るようにと言ってあります! そのうち戻って……ああ……」


 マリエンガルドの言葉も終わらぬうちに、全く話を聞いていなかったらしいエイリンドは謁見の間から駆け出していった。


「…………やっぱり馬鹿なのね?」


 女王が思わず呟いた言葉を聞いた者は、誰もいない。


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