「えー、では
結局、大和と他二名は五分ほど遅刻して学校に着いた。先生がこれからの学校生活に向けて、クラス全体を鼓舞している時に堂々と教室のドアを開けたのだ。
そして、授業を受けた後の昼休み。
「武! 一緒に昼飯食おうぜー!」
大和は隣の席に座る眼鏡の少年、吉備野武に意気揚々と話しかけた。武は嫌悪感を露わにし、大きなため息をわざとらしくつく。
「ほんっとうにありえねえ」
わかりやすいほど不機嫌に言う武だったが、大和は全く気にしていない。
「なんだよお。俺がいなかったら、もっと遅刻してただろ?」
「だから僕は迷子だったわけじゃないって、何回言えばわかるんだ? くそ、僕がやらないといけなかったのに……」
前髪をぐしゃりと握りつぶしながら、武はぶつぶつと何かを言い続ける。
そんな武の肩をポン、と叩き、大和は親指を上げてグッドサインを作った。
「わかるぞ、自分の失敗は認めたくないものだよな。これ以上迷子については言及しないけど、明日からは気を付けて……」
「違う! 僕はお前と違ってやるべきことが……」
「俺だって困っている人を助けなきゃいけない! でも、遅刻しそうなら学校に向かうのが、学生の本分だろ?」
まるでヒーローが無謀な一般人を説教しているようだと、大和は一人満足げに鼻息を鳴らした。
そして武を慰めるように、馴れ馴れしくその肩を叩く。それが煩わしくなったのか、武は強めに大和の手を振り払った。
「やめろ」
さすがに武から向けられる視線が敵意に溢れていることに気付き、大和は手を合わせて謝る素振りを見せる。
ぞわりと背筋が冷えたのは、武の視線があまりにも高校生らしくなかったせいだ。怖気ついた大和の声は、みるみるうちに萎んでいく。
「わ、悪かったって……」
「はー、なんでこんな奴と隣の席なんだよ……やってらんねえ」
ガタリと大きな音を立てながら、武は立ち上がる。
「あ、飯行くのか? 購買か? 学食か?」
「ついてくんな」
合わせて立ち上がった大和だったが、強めの拒絶の言葉に、そのまま座り直してしまった。武は振り向くことなく、教室から出て行ってしまう。
「だ、大丈夫ですか……?」
そんな大和に声をかけてきたのは、共に遅刻した少女、鶴ヶ丘百合だった。
「あ、ゆ……鶴ヶ丘さん! 全然! でも、武の機嫌はすげー悪いっぽい」
「はい、失礼ながらお二人の会話を、そこで聞かせていただいておりました……。吉備野さん、大和様に助けていただいた身でありながら、なんと恩知らずな……」
噛みつくように言い捨て、武の出ていったあとを睨みつける百合の雰囲気もなんだか異様であり、大和は若干引いていた。
「まあまあ、俺は全然気にしてないし! てか、俺のこと様付けなんてしなくていいよ。同級生なのに、堅苦しすぎるって」
「や、大和様を呼び捨てにだなんてできません! 大和様は
緩やかに赤く染まる頬を抑え、百合は身体を左右に揺らす。
前髪は真っすぐに切り揃えられ、腰辺りまで長く伸びた黒髪。ぱっちりと開いた大きな瞳。華奢すぎず、かといってふくよかすぎない絶妙な体型で、一つ一つの所作が綺麗なその様はまさに美少女そのもの。実際、百合に向けた視線が周りから飛んできているのは、大和も気付いている。
しかし、大和を見つめる、潤みつつも深いところから覗き込んでいるかのような、じっとりと絡みつく視線。それのせいで、大和は愛想笑いを浮かべるほかなかった。先ほどの武の視線とは、また違った悪寒を背筋に感じながら。
(さすが高校。変なやつもいるんだなー)
そんな失礼なことを考えながら、大和は改めて席を立つ。
「とりあえず、腹減ったし飯にしてくるよ! 俺、今日弁当持ってきてないから、購買に行って……」
「まあ! そういうことでしたら、私もご一緒します! お小遣いもお父様からいただいてますから、大和様の分も買わせてください」
「え、いいよそこまでしなくても。さすがに女の子に驕ってもらうのは……」
「学校にご案内いただいたお礼もまだしておりませんから……どうかご遠慮なさらずに、ね?」
そう言って百合は、大和の腕に自らの腕を絡ませる。強引にそのまま歩き始め、大和は逃れられず成すがままにされるだけ。
「いいって! ちょ、鶴ヶ丘さん! はずいってこれ!」
「ふふ、いいではありませんか。それと私のことは、どうか百合、とお呼びください。これからも末永く、よろしくお願いいたしますね……」
* * *
大和が百合に振り回されている間。武は、学校の裏手にあるプレハブ倉庫に来ていた。
倉庫前に立ち、ドアを二回叩いてから、少し間を置いてもう二回叩く。するとドアが開き、明るい灰色の作業服を着た、用務員の男が顔を出した。
「来たね」
「すみません、
倉庫内に入り、武は力無くすぐそこにあった丸椅子に腰をかけた。大友と呼ばれた用務員の男も丸椅子に座り、新しく棒付き飴を取り出すと、口に入れた。
「いいよ。聞かせて」
「はい。実は、今朝頼まれていたオニ退治は失敗しました」
「失敗?」
「はい。同じクラスの生徒に、迷子と間違われて……指定された場所へ行くことができませんでした」
武の話を聞き、大友は無精髭の生えた顎を擦る。
「なので、今夜のオニ退治前に……そいつを倒してから、行きたいと思うんですが……」
「それは、妙な話だねえ……」
「……はい?」
大友の言葉に、武は怪訝そうな表情を向けた。
「おれが確認した限りでは、武くんに頼んだオニは消滅している。でも、退治してないって……どゆこと?」
「え……僕が行けなかったから、朝日さんが行ったとかは……」
「いいや、朝日ちゃんは今日は仕事で出れない。だから武くんにお願いしたんだけど……」
二人は顔を見合わせる。一体どういうことだと首を傾げ、大友は思いついたことを尋ねる。
「なにか変わったことでもあった? 思い当たる節、ある?」
「変わったこと……あっ」
武の気付いた声に、大友はその先を促した。
「教えてくれる?」
「……その、さっき話した同じクラスの生徒なんですけど」
「うん」
「彼に肩を掴まれた時……音がしたんです。何かが弾けるような、音が」
「音……」
「僕はなんともなかったんですが、彼は痛い、と」
武の話を聞き、大友は何かを思案するように視線を下げた。大友の様子を不思議に思うが、返事を待つ武は背筋を伸ばす。それから、手首に下げている数珠玉と、一緒についている黄色の勾玉、桃色の勾玉に触れた。
やがて大友は、顔を上げる。長く息を吐いてから、武の手首にある勾玉へと目を向けた。
「……もしかしたら、後継者、なのかもしれないね」
「……!」
武の顔が、一気に強張る。気付いていながらも、大友は続けた。
「武くん、今夜のオニ退治。その子も連れてきてくれないかな」
「は……な、なんでですか」
「後継者だったら、今のおれたちには必要だよ。武くんには、酷な話かもしれないけど……」
「……ち、違う場合は、一般人をオニ退治に巻き込むことになります。それは一番良くないことだって、大友さんもご存じですよね……⁉」
「もちろん、わかってるよ。でも……」
「すみませんが、そのお願いは聞けません!」
武が勢いよく立ち上がり、丸椅子は倒れる。椅子を視線で追ってから、大友は武を見上げた。
「武くん……君の気持ちはわかる。わかるけど、こちらの事情もわかってほしい。ただでさえ、十年前からオニの動きは活発になっているんだ。戦力はおれと君、それと朝日くんだけ。きっとどうにもならない時が来るから、それまでに……」
「それでも!」
武は逃げるようにドアに向かい、大友に対して背中を向ける。大友も立ち上がるが、追いかけようとはしなかった。
「“モモタロウ”は……僕が継ぐんです……だから……」
肩を震わせながら、武は出て行ってしまう。大友はため息をつくと、武が倒した椅子を起こし、もう一つ、棒付き飴を取り出した。
「難しいなあ……おれは、どうしたらいいんだ……?」
天井を見上げ、遠い誰かへ向けて大友は訊ねる。
無論、返事はなく、昼休みの終わりを告げる学校のチャイムが聞こえるだけだった。