「
階下から聞こえる母の声により、少年―大和―は目覚めた。
セットしておいたはずのスマホのアラートは、いつのまにかオフになっている。開き切らない目で画面に表示される時間を見て、大和はベッドから飛び起きた。
「やっべえやっべえやっべー!」
窓の外は晴れ。電線に止まっている雀が、平和を象徴するかのように鳴いている。
バタバタとパジャマを脱ぎ捨て、大和は新しい制服に袖を通す。所謂学ランと呼ばれるものを身に着け、リュックを背負ってから玄関へ向かって滑り落ちるように階段を駆け下りた。
「やだあんた、朝ごはんも食べないで行くつもり?」
居間から顔だけ出した母、伊奈が声をかける。これまた新しいスニーカーを履き、紐を締めつつ大和は頷く。
「ごめん、もう食ってる時間無い!」
そんな大和にそろっと近寄り、伊奈は声を潜めて訊ねた。
「あんた、昨日サブスク解禁されたバリアマン見てたんでしょ」
その言葉に、大和は目を輝かせながら伊奈に振り向く。
「だってさ、今までずっとサブスクに出てこなかった幻の作品だぜ! そりゃもちろん見るに決まってんじゃん。やっぱヒーロー作品が世に知れ渡るきっかけとなった作品は全然違うなって……」
「馬鹿、もっと声を抑えなさい。お父さんに聞かれたらどうするの」
伊奈の言葉に、大和はハッと口を抑える。そろ、と伊奈の肩越しにリビングの中を盗み見ると、父である
「今のは聞こえてなかったっぽい」
「そう。なら早く行きなさい。もう時間ないでしょ?」
「そうだった! 親父―! いってきまーす!」
そして大和は、慌ただしく玄関から出て行った。
その音を聞いて、ようやく景行はテレビから玄関へと目を向けた。
「大和は今出て行ったのか?」
「そうなの。今日から高校生活が始まるっていうのにねえ」
「初日から早速遅刻ギリギリの登校か……もっと厳しく言ってやらないと、だめだな」
「まあまあ、なんとかなるでしょ。それに今から走っていくなら、間に合うんじゃない?」
そんな伊奈の願いも虚しく、大和は道を渡る途中の老婆の手を引いて、ゆっくり歩いていた。
「よし、横断完了! こっからはもう大丈夫か?」
「ええ、大丈夫よ。ありがとう」
「どういたしまして! それじゃ、俺は学校があるから!」
杖をつく老婆が信号のない横断歩道を渡ろうとしているのを見て、大和は思わず手を貸してしまったのだ。学校までは、まだ距離がある。
「ま、ヒーローは困ってる人を見捨てないからな」
自分は善い行いをしたのだと、胸を張って大和は歩いていく。だがちらりと腕時計を見て、無言で走り出した。
「とはいえ、初日から遅刻するヒーローはだせえよなあ!」
大和の家から学校までは、徒歩二十分ほどだ。始業時間は八時十分。そして現在は、八時ちょうど。学校までの距離は、徒歩十五分ほどといったところだ。
「このまま走って何事もなければ、間に合う!」
実際、道のりはほぼ真っすぐだ。変に車の往来に引っかからなければ、間に合うところだろう。しかし、大和の目に気になる人が映った。スマホと周辺を交互に見て、不安げに辺りを見回している少女の姿が。
(声をかけたら確実に遅れる……でも、ヒーローは誰も見捨てない! それにあの子の制服は……)
大和は立ち止まってから一度息を深く吸い、少女へ話しかけた。
「なあ! あんたももしかして、
大和が話しかけると、困っていたような少女の顔が、少しだけ明るくなった。
「そ、そうなんです……! あの、恥ずかしながら
「俺も同じ高校だよ! 一緒に行こうぜ。この道をまっすぐ行って、ちょっと曲がれば着くからさ」
あまり面倒なことにはならずに済み、大和は内心、安堵した。少女を少し急かすことができれば、遅刻は免れそうだ。
「よし、あんまり時間もないからさ、少し走って……」
その時、二人の横を一人の少年が横切った。大和と同じ制服を着た少年が。
「……あら? あの方は、向こうに行かれるみたいですけど……」
「いや、あっちは学校とは逆……おいおい、一日で迷子二人と遭遇するなんてことがあるかよ」
やれやれと言わんばかりに肩を落とし、大和はすれ違った少年を追いかける。少年は足が速く、なかなか追いつけなかったが、なんとかその肩を掴むことができた。
「なあ! あんたも野暮乃高校の生徒だろ? そっちは学校じゃ……」
バチン!
「……!」
「いっ……てえええ!」
少年の肩を掴んだ瞬間、大和と少年の間に衝撃が起きた。少年は驚いたのか、大きく目を見開いて大和を見る。眼鏡をかけた、大和から見て唇の右下にほくろのある、真面目そうな雰囲気の少年だった。
「な、なんだ⁉ もう春だっていうのに静電気⁉ にしては強すぎだろ!」
「お前……」
指先を痛がる大和に、少年は怪訝そうな目を向ける。大和は少年を見つめ返し、首を傾げた。
「……あれ? なんか、どこかで……」
「あ、あのー……すみません。結局、学校はどちらなんでしょうか……?」
見つめ合う少年と大和に、先ほどの少女が声をかける。大和は、こんなところで立ち止まっている場合ではないと気づいた。
「そうだよ! 学校! そっちじゃないって! 一緒に行こうぜ!」
「は? いや、僕は……うわっ!」
「きゃあっ!」
強引に少年の手と少女の手を取り、大和は走り出した。今度は少年と触れ合っても、何も衝撃はない。
「いそげー! 今ならまだ間に合うはず!」
「離せよ! 僕には行く場所が……って、力強いなお前!」
「と、殿方と手を繋いでしまいました……こんな、こんなの……!」
走っている間に、大和はなんだか楽しくなってきてしまった。今、隣を走っている二人とは、これからも共に過ごすような予感すらしている。
胸がうずうずして、黙っていられない。大和は走りながら、叫ぶように訊ねた。
「俺、